GODZILLA ゴジラのレビュー・感想・評価
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過去のトラウマをゴジラが吹き飛ばしてくれる
メタファーな表現があり、いろいろなとらえ方があるとは思うのですが、東日本大震災の津波や原発事故、9.11テロの貿易センターを思い起こすようなシーンがあり、自然災害、人災に対しゴジラが戦ってくれてるんだと思うと、実に爽快でした。日本のゴジラも現実世界でのうっぷんを晴らしてくれて大ヒットしたことから、今回のハリウッド版も日本ゴジラのコンセプトを受け継いでいてくれて良かったです。 音楽も、オリジナルをオマージュしてる感があり、重厚感が増して最高です。退屈なエンドロールも音楽で楽しめます。
ゴジラの意味が
確かに何見たかったと聞かれたらゴジラと答えるが主人公は親子二代に渡る活躍を見せたブロディ親子でゴジラである必要を感じなかった。
吹き替え版をみたからかゴジラが神だとか、生態系の頂点ではるか前から降臨していて、さらに怪獣退治の為に原爆実験を行っていたと表現されると、人類の愚かな行為(原爆)により産みだ出されたと言うそもそもの設定が変えられてしまったように感じシラケてしまう。
あれは。。。
ハリウッドがゴジラを描くのは2回目。よほど企画がないのか、オリジナルなものを見せてほしい。
が、前のローランド・エメリッヒ版とは比べものにならないくらいの出来のよさである。
破壊神としてのゴジラと人類がどう戦うか、これがゴジラ映画のテーマである。そして、そのゴジラは人類の傲慢が生んだ生き物という側面ももっている。
だが、いつの間にか、ゴジラは人類の守護神としての役割を付与されるようになる。
ギャレス・エドワーズ監督は、その「ゴジラ対◯◯」というフォーマットが好きなのではないか。もっというとゴジラよりもガメラのほうが好みなのではないか。
本作はまさに対決もので、ムートーという、電磁パルスを出し放射線を食料とする飛竜のような怪獣と、ゴジラは戦うことになる。
芹沢博士(渡辺謙)は、自然はバランスをとろうとする、などというへ理屈を語るが、もはや観ている我々はそんなことはどうでもよくなっている。
ムートーはオスメス2体いて、オスには翼があり空を飛ぶ。さしずめギャオスである。あれを観てギャオスを想起しない日本の映画ファンはいない。
ゴジラがこの2体にぶちかますそれぞれの最後の一撃は、カタルシス以外のなにものでもない。
人間ドラマも充実していて、おもしろいものを見せてもらった。
ギャレス・エドワーズ監督の映像感覚が、僕とフィットしている感があり、それは、昔懐かしい東宝怪獣映画の刷り込みがなせることなのか、ギャレス・エドワーズ個人と合うことなのか。その答は、次の「スター・ウォーズ」のスピンオフで判明するであろう。
できることなら、ギャレス・エドワーズ監督に第2弾を撮ってほしい。
ゴジラと言う黙示録
アメリカにできて日本にできないこと。 映像表現は言わずもがな、物語の骨子に及ぶまで、ゴジラの復活はこの国の文化の終焉を暗示しているようで、感慨にふける半分、何とも言えない微妙な気分にさせられた。 放射能汚染や情報操作。隠蔽工作など、日本に対する風刺性と見られるメッセージを物語に組み込む粋な演出は、この国の政治に対する、正にアンチテーゼと言っても過言ではない。 そして、とにかく街を破壊しまくるゴジラとムトーの映像表現への金のかけ方は、日本人とアメリカ人の文化への意識の高さの隔たりを改めて思い知らされた次第。 そんな様々なジレンマをまざまざと見せ付けられる格好となった、米国産のゴジラ。 ちょっと太ってはいても、あの鳴き声で思いっきり咆哮するゴジラの姿にはやっぱりシビれたし、文句なしにカッコ良かった。 しかし、いや、だからこそ、逆上陸と言う生ぬるい比喩でゴジラの里帰り迎えて良いのだろうか? おかえりなどと戯言を吐いて、その帰還をお茶で濁して良いのか? これはゴジラの形をしたアメリカからの警鐘ではないのか。 ハッキリ言ってゴジラが日本で作れない事は大いなる恥だ。 ミニチュアを駆使した特殊撮影が、スケールで今回のゴジラを上回るとは到底思いにくいし、かと言って同じ土俵のCG技術では全く勝ち目がない。 今回のアメリカ版ゴジラの続編が制作される事も決まり、仮にそれが往年の昭和ゴジラや平成ゴジラの様に連綿とシリーズ化される事になるならば、それを眼にする世界中の子供達は、ゴジラが日本生まれの怪獣であると言う歴史を認識しないまま、アメリカの新たなヒーローとして潜在意識にとどめる恐れがある。 これは危惧を超えた文化的侵略ではないだろうか。
都合のいいキャラに成り下がってしまった。
前作のハリウッド版の悪夢から十数年、今回は日本版に近い造形である上に、先に公開された国でも評判がいいということで、期待して観に行きました。
が、その期待は木っ端微塵に打ち砕かれました。
なにせ肝心のゴジラが、序盤では進化の頂点にある生き物って言っていたくせに、ムートーなるヘンテコな雄雌の怪獣が出てきた途端、自然のバランスを取るものってことで、ムートーを倒す都合のいい存在に成り下がり、その言葉通りムートーを倒したら、さっさと海に帰るという人間の都合通りに動いて終わってしまいました。
ゴジラと人類の互いの存亡を掛けた超絶バトルを期待したのに残念でなりません。ほんと『パシフィック・リム』が凄くいい出来だったので今度こそはと思ったのですが・・・・・・・・・。
今日のコミコンで続編が確定したそうですが、期待はしないでおきます。
1954年版の精神・・・とか難しいこと言ってないで、楽しも!!
1954年版オリジナル「ゴジラ」の精神を踏襲してとか、難しいこと言わないで楽しみましょうよ!そうやって比較しようとすると、ツッコミ所満載ですけど、単純にエンターテイメントとして見ると、「さすがハリウッド」と唸ってしまうような極上品です。
全て人間の視点の高さから見上げるアングルで撮られているのは、いい怪獣映画の基本!Goodです。特に落下部隊のゴーグル越しの描写は秀逸でしたね。
ゴジラが上陸した意図、ヒールなのかベビーフェイスなのか、ハッキリしねぇな~と思っていたけど、ラスト、まさかあぁ来るとはね。善でも悪でもない、「神」だよね。八百万の神の国でしか描けないファジーな結末を、キリスト様の国で描いてくれたとは、恐れ入りました。相当、昭和ゴジラを見てるな、この監督!
しっかし、ムートーだけに、グレートムタのマスクを思い浮かべてしまったのは、私だけだろうか・・・。
身勝手な人間という存在
面白かった! 人間なんていう存在はたまたま地球上に巣食っているちっぽけで無力な生き物なんだということを嫌というほど感じさせる映画だ。 ゴジラとムートーは人類の思惑を完全に無視して,彼らなりの理由で地上に存在している。その圧倒的な存在感といったらもう・・・! それに引き換え,人間という存在の何と醜いことよ! 「放射線を食う」というムートーの習性を自分たちの都合のいいように利用したはいいが,制御できなくなると殺して捨てようとする。 そうすることすらできなくなると,ムートーは単に地球上で生きようとしているだけなのに,その存在を一方的に脅威とみなして抹殺しようと戦いを挑む。 ムートーを滅ぼして生態系のバランスを取ろうとしていたゴジラをすら,敵とみなして攻撃する。 ゴジラがムートーを滅ぼすと,今度はゴジラを「救世主」とあがめ始める。 人類の節操のなさと身勝手さが際立つばかり。 ところで,ハリウッド版ゴジラを見ていてつくづく思ったことがもう1つ。 「パシフィック・リム2」がもし制作されるなら,何とかしてゴジラとコラボレーションできないものか。 実に見ごたえのある映画になると思うんだけどなあ。
恐怖、重量感、現場感。これが観たかった!!
賛否両論で、評価が二分するのはもちろん観て分かりましたが、予想以上に「否」が多過ぎて残念です。
私としてはこの映画、5億点です (星一個につき1億点分の効力を発揮します)!
怪獣がこの世界に出て来たあの「現場感」は、パシフィックリムよりも遥かに上回っていると感じます。重低音が表現する重量感で、画面としての出番やサービスは少なくとも「ゴジラが来た」とひしひしと感じることが出来るはずです。
そしてついに画面としてゴジラが登場した時の威圧感、重量感は半端じゃないですし、人類全てに怒りをぶつけているような表情には心底痺れました。
1954年版の「初代ゴジラ」をビリビリと感じます (もちろん1954年に私は生まれていないため後追いで観ただけですが) 。スタッフ達のゴジラ愛が本当に伝わる作品でした。だからこそ、この日本での評価の低さは悲しいです。
少しゴジラ愛が強過ぎて情が移ったのか、ゴジラが悪役ではなく「守護神」というような位置づけになっていて、ガメラじゃん?ていう感じは確かにありました。そして最後にゴジラを見送る芹沢博士の表情、あれはどうみても "芹沢博士"ではなく、"ひとりのゴジラファンとしての渡辺謙" の顔でしたね(笑) ただしこの2点は、私としてはむしろ感動を呼び、欠点とは全くもって感じなかった要素であります。
大津波、原発の崩壊、メルトダウン。この描写がしっかりとされていたため本当に「恐怖」を感じます。ゴジラ=自然災害なのだとしっかり認識できるよう、描いてくれていました。
基本的には「初代ゴジラ」であり、それでいて「ゴジラ 対〜」「ゴジラ VS〜」の要素もしっかりと上手く物語に組み込まれていて良かったです。ゴジラが尻尾蹴り一発で黙らせる描写、口をおもむろに開いてそこに必殺技をぶちこむ原始的で凶暴な戦いっぷりには心底感動しましたし、劇中何度も声をあげそうになりました。
後半はきちんとゴジラの活躍が描かれていましたし、出番としては十分だと思います。中盤の「戦闘シーンかと思いきや場面が変わる」というのは、人によってはストレスに感じる展開だと思いますが、クライマックスで完全に拭えていたのではないでしょうか。
というより、この現場感や「ゴジラを目の当たりにした"世界"」の描写こそがまさしくゴジラ映画だと思います。少なくとも初代ゴジラを観て私が感じたことです。
正直、パシフィックリムがアメリカであまり当たらず日本で大ヒット、GODZILLAがアメリカで大ヒットして日本では賛否両論 (予想以上に"否"が多め)、というこの状況には落胆しています。
何とも…
自身が好むスタイルの映画ではない為かハリウッド頑張った~という印象にとどまります。 どちらかと言えば私的には、レトロな昔ゴジラを好みます。 でも渡辺謙さん、英語がどんどん上手くなっていきますね~!!さすが国際俳優!!
アメリカ人による日本侮蔑。
映画『ゴジラ』に、アメリカの日本への侮蔑を見る。 アメリカ映画『ゴジラ』(2014年)が話題である。無理やりつくられた話題のような気もするが、たっぷりと前宣伝で、100円の物を500円、1000円の価値があるかのように欺くのは、いつものアメリカ映画商法である。 さて、その『ゴジラ』だが、アメリカ人の日本人への憎しみと侮蔑と恐れとが、これほど強いものかとあきれ果てた。 この映画は、次のようなメッセージにあふれている。 「日本人は、すべて醜く、冷酷で、自分勝手で、アメリカから受けた恩など省みず、その反面、アメリカ人は、すべて正直で真面目で礼儀正しく、日本人やその他の人種へ親切かつ愛情を持って接し、庇護している」というメッセージである。 主人公ブロディが父親とともに、禁止区域(日本の東北らしい、ジャンジラ市にある原子力発電の研究所)に入って日本の警備隊に逮捕される場面では、日本人はまさに戦時中の憲兵隊の悪いイメージで描かれている。研究所本部に戻って、怪獣が研究所を破壊する場面では、ブロディを手錠で自動車にしばりつけたまま、警備隊員は割れがちに逃げ出す始末。そんなことは、ありえないだろう。 にもかかわらず、ブロディは、ハワイのモノレールの場面では、ご親切にも、見ず知らずの日本人の少年(これがなんとも愚鈍に描かれているのだが)を、助けて、無事両親の元へ返してやる。両親は礼などもいわず、少年を連れてさっさと退場。ブロディは人知れず、にっこり安堵する。こんなことは、ありえないだろう。 自己満足の自分大好きのアメリカ人映画だから、我慢するという見方もあるが、アメリカ人の自己欺瞞性と自分勝手な自己正当化と自己満足による傲慢さには、ほとほと愛想がつきる。 渡辺健演じる芹沢博士は、右往左往する能無し人物として、描かれており、毅然とした日本人らしさなど微塵もない。単なる、寄生虫のような怪しい人物である。一方、アメリカの提督(『市民の命が第一だ』を何度言えば気が済むのだろう)は、判断ミスで多くの犠牲を出したにも関わらず、軍人らしい誇りと責任とにあふれた偉人として描かれている。 こんな白人至上主義のハリウッド映画を見るにつけ、アメリカ人イギリス人などの白人たちが、「日本はまともな国ではない。日本人をまともな民族だと考えてはいけない」という、強いメッセージを、世界中の人々に向けて、強く発信し、そのために、実に注意深く映画を作っていることがわかる。
破壊神は?
ガメラ4かな?仇役の怪獣も造形、設定特に繁殖するところなんかマンマでは?でも、1998版に比べれば格段にいい出来。とは言っても白目の破壊神が良かったと思うのは私だけ?ゴジラとガメラは明確に役割を分けましょう。次回作もあるようなので、破壊神復活を望みます。
GOGODZILLADZGODZILLAGODZILLAILLA
素晴らしかったです。 ゴジラは絶対的強者であるが、それだけではいけない、が、絶対的強者である。 ゴジラは「GODZILLA」だけど「GOD‐ZILLA」である、が、「GODZILLA」である。 これを見事に表現してくれています。 ・ゴジラ登場後、すぐシーンが変わる。 ・ゴジラの格闘シーンが短め。 この不満感を与えるかもしれない演出。 私は、これらにより想像を煽ってもらい満足しました。
今の時代のゴジラ映画
冒頭15分の原発シーンは観ているのが辛かったです。妻を自らの手で殺さなくてはいけない科学者、、ここでもう嗚咽。 そして渡辺謙演じる芹沢博士の「We call him、、ゴジラ!」やっぱこれですよ!ガッジーラじゃなく、ゴジラ! ツッコミどころはたくさんあるけど、いいじゃないですか!160億かけてゴジラ映画を真っ当に作ってくれたってだけで感謝です。 ラストのゴジラの背中に拍手!
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