風立ちぬのレビュー・感想・評価
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ジブリは好きですがこの映画は不可
私にとって本作品の第一印象は、トレーラーにて関東大震災とその直後の混乱を極める東京の描写と、そこで流れている「まことに生きるのに辛い時代だった。」というテロップでした。そこで早くも疑問が沸きました。過酷な現実を大部分度外視したファンタジーを得意とするジブリが果たして闇を描けるのかということです。
実際に観てみると悪い予感は的中していました。主人公の堀越二郎は汽車乗車中に関東大震災に遭遇し、偶々乗り合わせていた里見菜穂子を実家に送り届けることになります。そこまではいいのですが、その後、二郎本人の生活に焦点を当てた場面が皆無なのが大問題です。銀行の取り付け騒ぎを友人と目撃する場面があるものの、彼らはまるで他人事のように眺めているだけです・・・。東京の復興についても二郎の妹である堀越加代が上京したときに、これまた自分たちには関係ないことであるかのように語っています・・・。もちろん、彼らの生活は磐石なのか、金銭的な厄介事はこれっぽっちも出てきません。挙句の果てに妹が医者になりたい旨(特にこれといった理由もなく)を言い出す始末です。
この時点であの予告編は一体何だったのかと問いたくなります。主な登場人物たちに、「まことに生きるのに辛い時代だった」という表現は全く馴染みません。
関東大震災の描写はここまでで終わりです。これまでのシーンで重要な伏線となって後半に影響を及ぼすことはありません。関東大震災がいつの間にか収まると、知らない間に二郎は三菱重工に就職が決まっており、ここから更に庶民感覚とは無縁な生活が始まります。
設計士として二郎は職務に邁進し、留学を重ねて会社において一目置かれる存在になっていきます。そして、別荘地(軽井沢とのこと)で菜穂子に再開します。二人はすぐに恋仲になり、二郎はあっけなくプロポーズまでしてしまうのですが、ここで菜穂子は自分が結核であることを告げます。ここから先はよくあるお涙頂戴の話なので割愛します・・・。
ちなみに本作の思想としては当然反戦なわけですが、登場する大日本帝国の軍部やドイツ第三帝国のドイツ人に特に酷い人物が登場するわけではありません。ヒトラー政権のことを「ならずもの」と批判する人物がいますが、この批判は個人的には浅薄だとは思いますが、一般的には妥当なところでしょう。
しかし、本人が意図したかどうかとは無関係に、主人公たちは軍需産業の人間として、軍部と癒着し、兵器を開発していたのです。それをはぐらかすようなやり口は非常に気に入りません。この映画を観ていると、技術には非がなく、使う人間が悪いという思想が垣間見えます。特に誰かを槍玉に挙げているわけではありませんが、それも主人公たち、戦闘機設計士を擁護するためのように感じざるを得ません。
この映画はこのように掴みどころがありません。極限に置かれた人間が取る必要ではあるが汚い手段は全く無視し(生活苦の描写がありません)、そして戦争に関しては脇役を使って反対の旨を主張させているくせに、その戦争に大いに加担している主人公たちには罪がないように観客に思わせてしまっています。庶民と軍部の二項対立で考えるならば、主人公は確実に後者に属しているのです。それなのに映画全編に溢れるフワフワした反戦の空気は一体何なのでしょうか。私には皆目理解できません。
感動
なんかこの映画はよかった派と悪かった派に分かれていますが、僕はス五億よかったと思いますよ。
あの最後のシーンが泣ける。サバのところとかこいつ変人か!とか思いました(笑)
ジブリによくある主人公をサポートする役の人、今回はあの外国人と同僚(名前忘れた・・・アハハ)ですかねぇ。二人ともすごく重要でジブリ名言がたくさん生まれましたね。あと恋人も。
風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント
この作品はジブリということもあり入口は広い。しかし、他のレビューを見るとかなり極端に評価が分かれているようだ。
私はとても楽しませてもらったので、これは何故なんだろうと考えてみた。
悪い評価の方の多くは、ジブリ作品が好きでそれに対しての自分なりの概念がしっかりと出来上がっている人が多いようだ。今回の作品は、今までのジブリ作品のように受け手の目線に合わせた表現方法を執っていない。そして淡々と物語りは進行していく。低い評価の方はそこに違和感を覚え拒絶してしまったのではないだろうか。
また、大正から昭和初期の風情を実写やCGよりある意味リアルに描き出している故、現代の社会を是とし過去は暗黒であるという考えの方もこの作品に良い評価を与えないだろう。その匂いだけで辟易し拒絶反応を起こしてしまうだろうから。
そして、これは主題にも絡んでくるので最も重要だと思うのだが、自分で夢を持ったことが無く、ゼロから何かを創り上げたことが無く、その楽しさと成功後の寂莫とした感覚を知らない人は、主人公に感情を移入することは難しいかもしれない。
そこで、これから見られる方にアドバイス。”風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント”
1、見る前に、これから見るのは”ジブリのアニメ”ではなく単に”作品”という目で見ることを自分自身に言い聞かせましょう。
2、大正、昭和にかけての街の風情、匂い。障子の桟までぬくもりが感じられる実写を超えたリアルな感触を楽しみましょう。
3、他国の場面ではその国の においまで感じられます。その技術力と製作者の粋を楽しみましょう。
4、カプローニがでてくる夢は夢、そこに現実との空間的連続性を求めてはいけません。教条的象徴的意味合いを考えて見ましょう。
5、当時の家屋、道端の木々、草花、トタン屋根等の、これでもか!どうだ!というまで書き込まれたスタッフの方々の心意気美意識を感じましょう。
6、主役は堀越二郎です。彼に感情移入できるかできないかが非常に大きなポイントです。もしそれができれば、他の登場人物たちの立ち位置が芋づる式に理解できます。
以上。もっとあるかもしれないが、とりあえず今書ける事を書いてみた。
そして、変な色眼鏡をかけずに、まっすぐに、とりあえず見て、聞いて、感じてみれば、きっと感動して、泣いて、元気になれると思う。
商業的に成功するかしないかは、その作家活動の持続性に影響はするかもしれないが、その作品の本質とはまったく別の物であろう。
創造されたものの意義は、万人が理解できるかできないかに左右されるものではない。難解なものでも素晴らしく永久に賛美されるべきものはあるし、万人に理解されても陳腐な即座に消滅してしまうものもある。
そして、本当に感動したければ、感動できるような作品を感動できるように、自分自身に準備をさせるべきであろう。それが、作品を味わう作法である。
本来そこまで大上段に構えなくても、これは十分にやさしい作品なんだが....。
祭りの後の寂しさを知っている方、自分が書いている図面に涙の跡が付いた事がある方、世の理不尽さに涙しそれでも一歩でも前に進もうと気力を振り絞ったことがある方。
そんな方は、この作品をなにも意識しないで楽しめることと思う。
あなたを生かす風となる
宮崎駿の作品に対しては幼少の頃ちょっとしたトラウマがあって、
『ハウルの動く城』あたりからようやく観られるようになった自分。
そんな訳で宮崎駿作品は半分程度しか観たことがないし、
その他のスタジオジブリ作品となると、驚くなかれ、皆無です。
なので過去作との比較などというおこがましい真似は
決して出来ないのだが、本作を観終えて感じたのは、
『なんて美しくて優しい映画だったろう』という気持ち。
確かに子どもと一緒に楽しめる映画ではないかもだし、
堀越二郎という人物の事をさらっと予習しておかないと
理解の難しい部分もある。
また、二郎の心情描写は丁寧だが、時代背景を巡る描写は淡白だ。
現代に通じるテーマであるという事を示すためにも、
大震災や不況の描写にもう少し時間を割いて欲しかった気もする。
歴史の流れについても軽く予習しておいた方が良いかな。
けど、それらの敷居の高さを乗り越えてでも
本作は観る価値はあると思う。
柔らかく温かな色遣い、
しゃしゃり出ずに物語に寄り添う優しい音楽、効果音。
個性も表情も豊かなキャラクターの数々に、
画面の端から端まで生き生きと躍動する背景。
この映画には手作りの温もりがある。
物語と、この世界と、そして登場人物への深い愛情がある。
ついでながら二郎役の声優さんについて色々意見あるようだが、
そこまでこだわりの無い自分としては、むしろ素朴で素直な声は、
作り込まれた声を当てるよりも人間の体温を感じる。
真っ直ぐな心を持った二郎、夢に対して快活なまでに貪欲な
カプローニ、魅力的な笑顔で辛辣な皮肉を飛ばすカストルプ、
終始しかめっ面だが実は部下想いで情熱家の黒川さん等々、
キャラの魅力を挙げればきりがないのでここではやめる。
二郎が夢に向かう姿から受けた感銘についても、他の方に譲る。
「飛行機は呪われた夢」というフレーズも非常に興味深いが、
文章が長大になるのでやっぱりやめておく。
ここでは別の事について書いてみたい。
映画の冒頭で引用される言葉。
『風立ちぬ。いざ生きめやも』
(風が吹いている。生きようと試みなければ)
妙な言葉だ、と鑑賞中にずっと引っ掛かっていた。
風が吹いたら、なぜ我々は生きようとしなければならないのか。
観終えてから思い出したのは、終盤の菜穂子の姿。
彼女が無理を押して二郎のもとへと向かったのは、
二郎に逢いたいといういじらしい想いが第一だったと思うが、
菜穂子は彼の夢の妨げになりたくなかったからこそ、
彼の傍にいたかったのではないかとも思える。
けれど何より……自分が傍にいれば二郎の力になれる
という自覚が彼女にはあったんじゃないだろうか?
病床の菜穂子に生きる力を与えたのは二郎で、
挫折した二郎を再び浮き上がらせたのは菜穂子だった。
互いが互いにとって必要な存在だと彼等は知っていた。
自分に生きる力を届けてくれた人への深い愛情と尊敬の念があった。
最後、カプローニは菜穂子のことをこう呼んだ。
「まるで美しい風のような人だった」と。
二郎が飛行機を空へ飛ばす為の風だったなら、
菜穂子は二郎を空へ飛ばす為の風だったんだろう。
風立ちぬ。
風とは、あなたを空へ飛ばそうとしてくれるもの、
あなたの夢を後押しし、「生きて」と願ってくれる人、
あなたに生きる喜びを与えてくれた人。
だから生きねばならない。
風を届けてくれた人への感謝を込めて。
ポール・ヴァレリーという作家が語った言葉の
元の意味なんて知らないが、本作から感じたのはそんな事。
僕らも後ろに色々なものを遺してきた。
愛した人、いつか見た夢、数多くの見知らぬ人たち。
けど消えてなお彼らは、僕らに今を生きる力をくれる。
僕らは遺してきたもの達の為に、前に進まなければ。
「少年よ! まだ風は吹いているか?」
立ち止まって、耳をすませ。
あなたに向けて、風はいつでも吹いている。
暗く重たい今の時代を生きる僕らにエールを送り、
前進する力を与えてくれる、清々しい風のような映画だった。
この作品を作ってくれた方々にも、感謝と敬意を感じずにいられない。
〈2013.07.20鑑賞〉
美しい夢の先を、生きねば。
この作品は、あのころと今を比べさせて説教臭く語るものではない。題材にされた人物を褒め称えるためのものでもない。夢を追い求めることの素晴らしさを描いたものでもない。この映画が描いているのは、美しい夢に憧れ、最大限の努力と才能を振り絞って美しい夢に生き、その美しい夢のある到達点を迎える人間の物語だ。つまり、夢に生きた一人の人間の人生。ただそれだけなのである。
しかし、それだけではあまりに悲しい。美しい夢に生きた人間にとって、その夢を描ききったその先に待ち受けているのはあまりにも残酷な生だ。とりわけ、クリエイタ―と呼ばれるような夢を形にする仕事の人間にとって、その想いが純粋であればあるほど、夢の到達点の先というのは、身体とインスピレーションの老いで思い描く美しいものを創れないことに絶望しながら生きていくしかないことは想像に難くない。劇中、夢の中でカプローニが若き堀越二郎に対してしきりに話していた「10年で何ができるかだ」という言葉は、正にそのことを指しているように思う。
そこで現れるのがヒロイン里見菜穂子という存在だ。彼女は、出会うまで美しい夢に関すること以外にまったくの無頓着であった堀越二郎が惹かれていく存在として描かれている。つまり、彼女の存在は美しい夢と同じほどに彼を夢中にさせる存在であったのだ。そして彼女はそれを理解していたことが、彼女が黒川邸を去るシーンで明らかにされる。決定的なのは黒川夫人の「彼女は美しいところだけを見せていたのよ」という言葉だ。そのシーンに合わせるように現れる、冒頭の夢と同じ飛び方をするゼロ戦試作機のテスト飛行の美しい映像もすべてを物語る。
そして、ラストシーン、おそらく最後になるであろう夢の中で彼と再会した彼女はこう告げて、風になる。「生きて」と。
美しい夢に生きた主人公が、他の誰でもない、夢のように美しい彼女に告げられるこの言葉こそ、堀越二郎、そして監督宮崎駿含めすべてのクリエイタ―への救いの言葉なのだ。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
「風立ちぬ、生きなければならない」
この言葉は堀越二郎と里見菜穂子が劇中はじめて交わした言葉であり、そしてこの言葉は、すべてを表わしているのではないだろうか。
長文、駄文失礼いたしました。
欲張りすぎた作品
映画を見て共感できなかった者です。ジブリをもう見たくなくなるくらい
怒りを感じました。
・大人な映画 ・文学的 ・傑作
どうしてこうなるのか理解できません。
古典小説・映画を通過してきた人ならば、ストーリーの薄さや
恋愛描写の陳腐さ、主人公のロボット化したような感情表現・・・。
ハーレクイーンのようにある筋書きにそってアルバイトが書いたような
小説や、好きなものだけとにかく詰め込みましたという同人誌を
見たような後味でした。
堀辰雄か、堀越二郎のどちらかに集中したストーリならまだしも
堀辰雄の世界をベースに、堀越二郎を無理やりくっつけたような
話にいささか怒りを覚えました。
菜穂子の描写も「男性の理想像の塊」としか思えない。
若い、きれい、従順、守ってあげたくなるような病気もち。
とくに病気で居候の身なのに、のんびりお散歩ときたところに
「???」でした。いくらお嬢様育ちでも、嫁に行った女性なら、
同じ母屋で働いている女性に気を遣いませんか?
結末も「まさかこのまま適当におわらせるんじゃ」と思ったそのとおりに
終わりました・・・
総じて「美しい」作品でしたが、美しいだけで
汗のにおいも、埃っぽさも、オイルのねばっこさも、血のにおいも感じられない。
自分は絶対にこの作品が文学的とは認めたくないです。
「必死になって生きて」
がメッセージなら、他の文学作品・映画作品にいいものが
たくさんあります。
高校の文学史掲載作品を読むだけでもこの映画より
はるかに「人が生きること」へのメッセージを受けとることが
できます。
☆2つにしたのは、風景の描写と、音楽が良かったこと。
その点はさすがだなあと思いました。
<追記>
公開から1週間経ち、いろいろ考えたことを少し追記します。
・大人不在の映画?
みんな味方、叱る人いない。唯一反抗したのは大人ではなく「少女」。
・最初から最後まで「Look at me」を主張する菜穂子
※これはあくまで一女性の感想としてみてください。作品中で少し不自然に思った点をいくつかピックアップ(ひねくれた考えかもしれませんが(^^;))
・女中にこともができたことをわざわざ二郎に告げる(二郎は興味のない話をわざわざしている?)→女中は恋愛対象外と言いたい?
・二郎と菜穂子の父が婚約について話をしてるときに割ってはいる →結核を理由に二郎との縁談を絶対に壊したくないエゴの現われ?
・結核なのに二郎と床を一緒にしたがる →仕事よりも自分だけをみてほしい
・黒川邸から突然いなくなる →結局仕事の方を優先した二郎への反抗。黒川婦人の「美しいところをだけみてほしかった」は外見のみならず、女のエゴの部分が出る前に去ったことを含めている?
・エンディングでの再登場 →飛行機が飛んだのは私が風をおこしたのよ、といいたい?
・・・総じてやっぱりここ、あそこを無理やりくっつけて解釈しようとしても
材料がいまいち手がかりがもやっとしててつかめないですね・・・
この作品の主人公を実在したのと違う名前にしたらよかったのかもしれない。実在する人物名だから現実の史実に囚われる。それでいてこれはファンタジー作品と言われると、夢オチの肩透かしをくらう。堀越二郎を見たかった人でがっかりした要因のひとつではないか。
(30代女性、既婚、会社員(ものづくりエンジニア経験あり)の感想です)
二郎はスーパーマン
観終わったあとに妻が「二郎はジブリ作品のなかで一番かっこいい」と言ってました。
そりゃそうです、あんな完璧な人間がいたら男でも憧れてしまいますよ。
二郎のスーパーマンっぷり
<幼少期>
・いじめっ子を一本背負いで投げ飛ばす
・小学校中学年(?)のときにイタリア語の本を読む
<青年期>
・足をけがした女性を背負って震災直後の混乱した街を歩く
・有名企業に期待の秀才として入社
・屈強なドイツ人に臆することなく意見を述べる
・入社5年後、戦闘機の設計をまかされる
・上司、同僚、部下から慕われている
やさしくて、行動力があり、秀才、エンジニアとしての才能も十分、家柄は裕福、おまけに顔も並以上です。
そりゃ惚れないワケがありません。劇中でも菜穂子と女中さんが「白馬の王子さま」と言っていますが、その通りです。
挫折といえば、幼少期に視力が悪いことでパイロットになることを諦めたことと、初めて設計した戦闘機の失敗です。
戦闘機の失敗は大きな挫折だったでしょうが、避暑地で数日たてば見事に復活!成功のためのヒントまでひらめいて、会社にもどってきます。
映画を観終わって「すごく良い映画だった」「今までのジブリで1番だった」とは口が裂けても言えませんでした。
この数日どこかモヤモヤが残っていたのですが、ようやく考えがまとまりました。
二郎がスーパーマンすぎて共感できないんです。まったく“生き抜くこと”に苦労していない。
「生きねば」がこの映画のメインテーマ(メッセージ)なのかもしれませんが、とてもこの作品でそれを感じることができません。震災や戦争も二郎にとっては、別の国で起こっているできごとであり(そう僕には見えました)、本当に精一杯生きているのは、菜穂子であり、二郎がシベリアをあげようとした子たちであり、出稼ぎのために線路沿いを歩いていた人達ではないでしょうか。スーパーマンで今後も普通以上の生活をおくるであろう“生き抜くこと”の苦しさが感じられない二郎にはとても「生きねば」と言ってほしくありません。
それと映画の宣伝について。ジブリ映画って「笑ってこらえて」などバラエティで特集を組み、制作風景や作者の考えをあらかじめ伝えないと何も伝わらない作品だったでしょうか?
恐怖すら感じた関東大震災の描写や、空や雲、昔の日本の風景など映像はとてもきれいだと感じました。
声優キャストも、瀧本さんと國村さんらとてもすばらしい演技でした。
映画の感想は人それぞれで当然です。僕はこう思いました。
実写で見たい
西島秀俊主演で滝本美織ヒロインで
実写で撮った方がずっと面白いだろうと思った。
なぜ二人は魅かれあったのか?ほとんど描かれることなく中途半端。
主人公の挫折はどこにあったのか?
ゼロ戦の前に開発した飛行機が墜落したこと?
何もかも中途半端でどうせなら5時間ぐらいかけていいから
もっと細かな心理描写をして欲しかった。
興奮さめやらず
相手の事がお互いよく分からないまま、家の存続のための見合い結婚が当たり前な時代(健康な伴侶が期待された)、菜穂子は吐血後にたどり行く自らの運命を見極めながら、結核で病身の我が身を迎え入れてくれた、尊敬し慕う二郎に寄り添う。
終盤、二郎が悪い風の予感に注意がそがれ、試験機の着陸を見逃してしまう瞬間に、妻・菜穂子の絶命が示唆される。
尊敬するイタリア人・カプローニと続けられる夢と妄想の入り混じった邂逅の中で、零戦のパイロットは戻らなかった。国を滅ぼした。などといった言葉が、あっさり淡々と述べられる。
時代に能力を求められて躊躇う理由はない。それは今日の航空・宇宙、原子力に携わる技術者も同じで、二郎と同じく美しささえ見出すだろう。
二郎の最後の夢に現れる菜穂子の姿に、胸が苦しくなる。亡くした肉親と夢の中でしか再会を果たせない沈痛の日々を思い起こす。 夢から覚めた二郎の寂しさは いかばかりか。
牛が引く舗装されていない道、広がる緑と木造の家屋。劇中で語られる‘貧乏’だった日本の景色に終始見入った。
人の声を効果音にしてしまう、ジブリ美術館の短編に続く試みは、航空機に機械音ではない生の声で生命を吹き込む面白い仕上がりになっていた。
「トトロ」の糸井重里と同様、庵野秀明に期待されたアプローチや、瀧本美織を始め出演する俳優陣も良かった。
詩のような映画
詩のような映画
【何故、主人公の声が庵野監督なのか】
この映画は、堀越二郎という実在の人物の自伝を元にしたフィクションですが
七試艦戦や九試単戦なども出てきますから、あくまでもリアルな人物
そして、そのほかの人物は、二郎の回顧録の中の登場人物という違いがあるのでは無いでしょうか。
だから、二郎には芝居がかって欲しくなく、あくまでも、個人の回顧録のような感覚で見て欲しかったのでは無いでしょうか?
そして、物語も、二郎の夢の中と、現実が、なんの前触れもなく切り替わります。
見る方も、ここは夢?現実?ついて行くのが大変です。
その結果、冒険活劇でもなく、ファンタジーでもなく、一連の詩のような回顧録の様な映画にしたかったのではないでしょうか?
だから、ラピュタのようなワクワクする盛り上がりもないし、トトロのようなかわいさもないです。
この映画は、二郎や菜穂子の気持ちに寄り添って、その立場に立ってみると味わいが解る気がします。
不治の病に冒された菜穂子、その病と自らの夢とその結果に呆然とする二郎
そこで物語は終わります
【何が言いたいのか解らないと思った人は】
この映画が見えてないと思う
本来、文学や詩など、具体的に何か強いメッセージなどはあるわけではなく
それらは宿題のように、自分で答えを出すモノです。
映画を見た後に見て欲しいという紙を開いたときに
そういう映画なんだと確信しました。
テレビで宮崎アニメはずっと見てきましたが
初めて劇場で見ました。
ラピュタやトトロ等も良かったけれど
このお年になっても新しい表現方法にアプローチする宮崎監督は凄いですね。
【庵野監督に声を頼んだもう一つの理由】
庵野監督と言えば、エヴァの監督、そして彼や彼の世代
庵野監督のアニメを見る世代、すべての若い人に、零戦にあこがれる人たちに
堀越二郎の気持ちになって欲しかったんじゃないかなぁー
【おまけ】
映画の一場面で
ラピュタの登場人物
ドーラとじっちゃんが出てきます
笑っちゃいました
【自分はどう見たか】
これは、日本人とは、本来どういう物なのか?
と言うことを伝えたかったのではないでしょうか
二郎が子供の時の田舎の美しい風景
そして、起こる関東大震災
そこで出会う主人公とヒロイン
やがて主人公は就職し飛行機の設計士として働きますが
海外に行ったり、そこで堂々とした振る舞いをします
その後、日本の避暑地、多分、長野、軽井沢のように見えましたが
そこで、外国人と歌を歌ったり、
ヒロインが病を押して主人公の元に来たとき
格式張ったしきたりをちゃんとやってみたり
日本人って、こうだよな
と言う感じが伝わってきました
海外の人に受け入れられたら嬉しいです
あと、出てきた軍人の目の焦点が定まってなかった(^0^;)
「君は何者だ?」
「日本の少年です!」
これですよ、日本人を伝えたかったんだよ
喫煙シーン多すぎ R18にすべし
喫煙シーンが多すぎ。
病人の前で吸うの推奨しているようだ
おとな向けと言っているが、結局、子供も多く来ている。映倫はエロとバイオレンスしかチェックしていないのか?
駿は子供にそんなに「喫煙を文化にするつもりなのか」。それは絶対認めないよ。
単なる自己都合の我流文化論に過ぎない
この十年のジブリ作品で一番良い、が・・
途中まで、これはひょっとしたら、宮崎駿の最高傑作の一つになるのでは、と思いながら見ていた。子供やライトファンにアピールせず、やりたい事をやってる前半から中盤までの映画的な物語の流れは素晴らしい。
関東大震災や戦前の描写は、ジブリのアニメーションでも一つの到達点になるような出来栄え。そして物語の主軸として、主人公と技術屋達のプロジェクトX的、仕事への熱い情熱が生き生きと描かれている。主人公が夢中で仕事に打ち込む姿は技術屋的、オタク的な人の持つ魅力で溢れている。
主人公に抜擢された庵野秀明の声も心配していたが、明晰で逡巡のない、周りの眼を気にしないぼくとつな主人公のキャラクターと声がマッチしていた。
こういった素晴らしい部分が数多くあるにもかかわらず、この作品は同様に大きなマイナス面も多々ある。正面からオタク的男性の魅力が描かれている一方、ジブリ史上で一番女性が魅力的でないのだ。それにしても、今まであれだけ女性キャラクターを生き生きと描いてきた人が何故?
恐らくは、男女の恋愛のプロセスを描くという事に関して宮崎駿は今までやって来なかったのでは?(まさか、お互いに大好きだと言って、キスをしょっちゅうしてる描写を入れれば恋愛だろうみたいなことなんですか、宮崎さん?それこそオタク的中二病の発想・・。)
最初の一時間を主人公の物語に割いているのと、病人の女性という受身のキャラクターゆえ仕方の無いことなのかもだが、彼女の描写がとにかく不十分だ。単なる記号的な、都合の良い清純な女の子像になってしまっている。
二人が惹かれあうのが、きっかけしか描けていない。彼女がどんな女性なのかということがわからなければ、主人公が彼女に惹かれていく理由が観客にもわからない。二人の恋愛に感情移入できないので、観客は置いてけぼりである。彼女が魅力的な人だという事が伝わらなければ、その人がいなくなる悲しみも半減してしまう。
また、エンディングが最近の宮崎駿作品同様、カタルシスを与えない演出なのは別にかまわないが、省略し過ぎだろう。彼女の死、敗戦をファンタジーの世界で見せててしまって、現実として一切見せないのはどうなのだろう?この作品のメッセージが、「仕事に生きること」や「生きぬくこと」なのなら、夢のシーンをエンディングに使うにしても、もう少しその後の現実の出来事を見せてからの方が効果的だったと思う。
彼女が亡くなり、そして、自分の作った飛行機が結局多くの人を殺す道具になり、日本は敗戦する。そんなどん底の状況でも主人公が仕事を通して救われる、それでも生きていくのだというところまで現実の描写として見せて、夢の中でやっと彼女に再会する。そこで初めて彼女に対して「ありがとう」や「生きていきます」という言葉を伝えれば、もっと自然に観客の感動、共感につながるのではないか?
結局、この作品の魅力は宮崎駿の歴史や飛行機、機械に対するオタク的情熱であり、恋愛ドラマ描写の稚拙さもまたオタク的ステレオタイプな描写がゆえという、監督の持っている特性が吉と凶の両方に出てしまっている作品だなと思う。
苦手ならば、恋愛の部分のストーリーを捨てて、普通に伝記的な物語部分を語るだけでも魅力的な作品は作れたはずだ。近年の彼の作品で一番素晴らしい内容を持つ作品だっただけに、余計に残念だ。(あ、ついでに今思い出したが、ジブリの作品で久石譲の音楽がこんなにも耳に残らない事ってあるんだろうか・・。)
最後に、もう一つ。この作品に対して、「子供にはわからない。」という批判があるようだが、これには本当に驚かされる。
堀越二郎の伝記って予告で言ってるよね・・?予告は見てないけど、ジブリだから子供向けだと思った?じゃあ、「おもひでぽろぽろ」や「火垂るの墓」はどうなんのよ?あれって子供むけに作られてると思う?少なくとも幼児が見る映画じゃないでしょう。
日本てアニメ大国だと思ってたけど、世間の認識ってそんなもんなのか・・。いや、確かに本人は「風立ちぬ」以前はずっと子供に向けて映画作ってきたって言ってますよ。でも、宮崎駿は数々の国際映画祭で最高賞、栄誉賞を獲得し、アニメーションという表現を世界に実写同等の映画表現、芸術表現として改めて広く知らしめた作家でもある。
実写映画を見に行って、「子供にはわからない」と不満を持つ人はいない。見る前に一応子供でも見れる内容か実写なら確かめるでしょう。「内容は知らないけど、アニメだったら子供向けだろう」→つまり、アニメーションって未だに芸術表現として実写作品と比較してなめられてるんだなーと、思わざるをえない。
才能をたたえる映画
ゼロ戦の開発者である堀越次郎の才能をたたえるための映画だった。彼が一点の曇りもない好青年として描かれていた。勇気あって親切で才能にあふれていて、ルックスがよくて姿勢が正しく胸板が厚くて、育ちもよく、美人の彼女もいてコミュ症でもない、常にキリっとしていて非の打ちどころが皆無の鼻もちならない人物!
彼女はかなり瀕死の病弱だとは言え弱音は全くはかないし、血色がいい顔のままの美女、正直うらやましいばっかりだ。
物語はあんまり盛り上がらず、感想としては普通だった。4分間の予告が素晴らしかったため、ユーミンの『ひこうき雲』で泣く準備をしていたのに、掛かったのは物語が全部終わった後だった。ゼロ戦のテスト飛行で掛かって、それと奥さんが山で死ぬ場面がクロスオーバーしたらどれくらい泣けたか分からない。しかしそれではあまりにあざといとか臭いからと言って避けたのかもしれない。
だったら、そんな難病ものを題材になんかしなければいいのにと思った。戦闘機開発と恋愛があんまり噛みあっていない印象があった。
物議をかもした庵野監督を声優として起用したのは、声がモサモサしていて絵にあんまり合っていなかったように思った。もっとモサい印象の絵だったら合っていたんじゃないかな。しかしこれでキリっとした声ならますます鼻もちならなくなりそうだから、いいバランスだったのかもしれない。
「天才の人生」をのぞき観る映画
この映画は、才能に命かけ生きた(傍目には極めて淡々と)天才の人生を、やはり天才である宮崎駿監督が、説明しすぎず、あえて不親切に「自分の視界」と重ね合わせながら、そのままに描いた作品だと感じました。
登場する天才たちは、ある意味ですごく子供。堀越二郎が思いつきで貧しい子供にお菓子をあげようとして反発されるシーンに始まり、愛する人が心配になれば仕事を放り出して駆けつけたりしてしまう。
イタリアの設計士・カプローニは、自分が手がけた飛行機がテイクオフに失敗すると、その様子を撮影するのを力づくでやめさせます。フィルムを引っぱり出しカメラを湖に投げ入れてしまう。
二郎は理想を追ってつくった飛行機の設計に一度失敗し、墜落させてしまういますが、それが挫折(これもまた淡々とですが)として描かれます。でも、失敗を犯しても上司の信頼は失っていない。
普通の人間、もしくは一般的には秀才と呼ばれるような人間からすれば、あれは挫折のうちに入りません。次のチャンスに備え上司の期待に応えられるよう努力をすればいいだけのことです。
でも、天才たちは、自分のつくりたいものがつくれなければすぐに傷つく。それはもう挫折なのでしょう。どんなに応援してくれる人がいても、素晴らしいと言ってくれる人がいても、当時の日本の工業レベルの低さという言い訳できる環境も関係ない。普通の人にとっては慰めになるようなことも、天才にとってはなんの意味も持たない。
宮崎監督は庵野秀明さんを「現代で一番傷つきながら生きている」と評しましたが、その心情を乗せて欲しかったのでは? と感じました。
後半、二郎はそのスタンスを恋愛にも持ち込みます。奈穂子との関係も飛行機同様に“美しさ”を優先します。
二人があまりに淡々としているので、受け入れてしまいますが、普通の価値観を持っていれば美しい生活よりも菜穂子の体調を最優先すべきでしょう。でもそうはしない。二郎は結核を患った奈穂子の隣りで、手をつなぎ、タバコを吸いながら作業を続けます。まるで子供です。
この構図は、美しさを追い求めるがゆえに、人を殺す兵器である戦闘機をつくってしまった二郎の人生とも重なっていると思います。
ただ、公式ウェブで公開されている企画書では
「この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない」
とあります。でも実際の作品は、この部分のニュートラルさが少し欠けていたかなとも感じます。「二郎は戦争は嫌で、ただ美しい飛行機がつくりたかったのだ」と理解されてもおかしくない。
物語の中で零戦にあまり触れなかったこと。零戦の脅威によって、日本の飛行機開発がGHQによって10年にわたって禁止され、その結果二郎が飛行機の設計に携わる機会を失う“本当の挫折”が描かれなかったあたりは、親族の方に配慮したのかもしれません。
本当の挫折が描かれれば「天才の人生」と「普通の人の人生」がブリッジされ、また違ったテーマを持ったとも思いますが、本当の挫折を味わうことなく72歳まで天才として生きてきた宮崎監督が描くべきものではないと判断してもおかしくなさそうです。
普通の人生を歩む人に共感は難しいのでは? 作品を観て自分に残った感情は、自分には決してできない「天才たちの送った美しい人生に対する憧憬」でした。
宮崎監督の映画は、いつも「割り切れない部分」があり、今回もそれは存在します。ただ、これまではそうしたものが作品の中心に、誰もが無視できない状態で置かれていたような気がします。今回は端的に「泣ける話」だとミスリードも可能な構造になっているのは気になりました。宮崎監督が自ら涙を流したことを好んで宣伝に用いていることも含めてですが。この点については「美しくない」と思いました。
美しい
全体的に、美しい。
絵もストーリーも
全部全部美しかったです。
ジブリ作品はすべてみてきておりますが
時間がゆっくりだなあと感じた映画は
これがはじめてです。
なほこさんは美しく、
じろうはまっすぐでした。
すこし難しいですから
子供さんにはむいてないかもしれません
ほんとうに、
今までのジブリ感がなくて、
わくわくは全くしません。
ですがそれを上回る
自然に涙がでてくるような、そんな映画
飾っていない
作られていない
まっすぐな人生
なんか、終わった後
もう一度じっくり見たくなりました(笑)
セリフで表現されていない部分に感動
飛行機を作ることが夢で、夢に一途、それでいて真面目で優しい少年だった主人公。
しかし、時代は大正から昭和初期。今でいう旅客機ではなく、戦闘機の設計の方に国自体が力を入れていたのだろう。戦争が起きる事は自然の流れであるかのように教育されていた時代だったのだろう。彼は、夢見ていた素敵な飛行機ではなく 戦闘機の設計を悪意なく必死で続ける。
所々で、裕福ではない人々が多いにもかかわらず莫大な費用が 戦闘機に投入されていること、そのせいで食べたいものも食べられず 我慢を強いられている子供たちの存在も知るが、それでも 彼は戦闘機の設計(もっと言うと、彼にとって戦闘機も旅客機も”夢の飛行機”でしかなかったのだと理解した)をやめようとはしなかった。
人殺しのために研究を重ねて作られた戦闘機であったかも知れないが そのおかげで現代のような安全な旅客機を作り上げる事が出来たのかもしれない。皮肉なものではあるが。
隔離されるほどの病気である結核の婚約者に対しても 感染を恐れることなく まっすぐに愛を捧げている姿にも心を動かされた。
戦後生まれの戦後育ちである私にとって、理解しがたい時代背景ではあるが、祖母や祖父、父や母に聞いた話等と照らして考えると セリフで表現しきれない部分で 主人公や登場人物の膨大な苦悩があったのだろうと、推測は膨らむばかりである。
宮崎さんの作品にある”隠されたメッセージ”は 一度観賞しただけではわかりづらいため また観たい、とそう思わされてしまう作品の一つとなった。
夢を見る事を忘れ、深く考えることを忘れてしまった私たちにもっと想像を膨らませ、そして考えろ と言いたかったのかもしれない。
現代に必要な映画
「つまらない」という人はこの作品に刺激を求めていたのでしょうか?
この作品はけしてつまらなくはないと思います。
色々考えることのできた作品でした。
知らない時代の天災や経済、国交事情など、歴史が好きな私にとっては
面白かったですよ?
いわゆる言葉だけ放ち省略された部分は自分なりに色々想像したり、
久々に「妄想」できた気がします。
脳が活性化できた作品でした。
終盤急ぎすぎ
いつもの通り映像は美しかったです
ただ、監督はこの主人公をどのように描きたかったのか、最後まで掴めませんでした
話し方は、昭和初期の日本映画の俳優さんはこんな話し方だったなあとは思います
でも、描かれているのは、現代なのか昔なのか中途半端な人で
留学するような人はこんな現代風のフェミニストなのかなあと思いましたが
なんだかしっくり来ません
だから、声や話し方に違和感があるんだと思いました
内容は、ラストの部分が急ぎすぎてて
一番言いたいことが全部ぼやけてしまった感じがしました
1機も帰ってこなかったことや、菜穂子さんが亡くなった時の
その時の様子が回想だけで終わってしまっているのが残念です
主人公がその時どうだったのか
どんな風に感じて、どんな風に乗り越えたのか
少なくとも、それが丁寧に彫り下げてあれば、
もっと説得力があったのになあと残念に思います
酷いレビューですみません
二郎の生き様に、『風』を感じました。人の出会いはまるで風のごとく吹き抜けて、立ち止まることはないのですね。
これまでのジブリ作品や多くのアニメ作品が子供を対象としてきたなかで、初めて大人の鑑賞のための純愛作品となったのが本作。主人公の二郎と菜穂子が織りなす純愛は、キラリと小玉の輝き放ち、観客を魅了し、試写会終了時には大きな拍手に包まれました。
本作の魅力は、関東大震災から、戦争が始まる昭和初期という暗い時代が背景なのに、そのことを糾弾せず、自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物の純情と純愛を描いていることです。暗さや悲惨さにあまり触れていないことと、宮崎監督作品にしては、珍しく文明批判とか持論の反戦平和を露骨に語ることもない、毒気のない仕上がりがとてもいいと思えました。それについては公開後に、あの時代を美化しすぎているという物議を醸し出しそうです。でも、たとえどんな時代であるとも、まっすぐに人を愛することの美しさは変わらないことを見事に切りとって見せていると思います。特に、菜穂子が花嫁として登場するシーンは本当に美しく、素直に感動してしまいました。
そんなピュアな心情の描写に磨きをかけるのは、これまた美しい映像美と音楽です。特筆すべき点は、背景の遠景に至るまで、非常に緻密に描写されていることです。水や森、雲のリアルな質感。そして何よりももう一つの主役である「風」の吹き抜ける描写が、自然で素晴らしいのです。
これは憶測ですが、年齢からいって宮崎監督の最後の一作となるかもしれない本作のために、スタジオシブリが総力を挙げて描いたという意気込みが、ヒシヒシ伝わってくる緻密さでした。おそらく日本のアニメ技術の最高峰といっていい出来上がりではないかと思えます。そして、色調も彩度が高めでメリハリがあるのにとてもカラフルで、ファンステックなんですね。
それに合わせる 久石譲の音楽もとてもステキで、ギターの独奏とストリングスが情感をたっぷりに歌い上げてくるのです。主題歌の「ひこうき雲」もまるでこの映画のために作られたかのような填りよう。この歌は、 当時16歳だった荒井由実が死んでしまった友人を弔うために捧げた楽曲だったとか。そんなエピソードが込められているからこそ、しっくりくるのですね。
ただ結末は、尻切れトンボになってしまったのが残念。時間の関係なのでしょうか、それともシャイな宮崎監督はふたりの結末まであからさまに描くことをためらったのでしょうか。ラストシーンを迎えた試写会場でも、観客の“ああ~”という大きなため息に包まれました。心情としては、最後まで描いて欲しかったです。
ひょっとして、堀辰雄の原作と堀越二郎を合体させたストーリーの矛楯から、ふたりの最後の心情を描き切れなかったのかもしれません。その矛楯とは宮崎監督自身の心の中にある、「兵器である戦闘機などが好きな自分」と「戦争反対を訴える自分」という矛楯を抱えた自らの姿が、投影されていることからきています。戦闘機の開発にのめり込むことが、平和の象徴たる菜穂子を結核の末期なのに放置して、そのいのちを蝕む現実から逃避してしまう矛楯。まして、飛行機への夢の追求が、武器となって多くのいのちを奪う事態を招く矛楯について二郎はどう思っていたのか、結局その矛楯には触れられずに終わりました。でも純愛作品としては、逆にそういう結末のほうが良かったのかもしれません。
二つの話の合体だけに、ふたりが再会してラブストーリーが展開するのは、後半になってから。かなりじらされます。前半は、二郎が飛行機設計に関わるエピソードが語られます。この部分が長くなるのは、宮崎監督自身に格別の思いがあるから。実は、監督の父親も飛行機設計技師で、主人公の二郎と重なるところが多々あったからのです。
でも後半からの菜穂子の登場方が待っているから、この部分も駆け足にならざるを得ません。加えて二郎がなぜ飛行機設計にのめり込んだかという過程があまり詳しく触れられないのは、夢のシーンのため。重要な転機となるエピソードは、全て夢の中で語られるという展開も、分かりづらいところでした。夢のシーンは、航空機産業黎明期の功労者であるカプローニ伯爵との同じ志を持つ者同志の時空をこえた友情を描くために、考えられた展開だろうと思います。でも、まるでウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』のように突然夢の世界にワープする展開をとるよりも、もっと現実世界での二郎が飛行機設計による夢の実現に時間を割いて欲しかったです。
さて、本作では、『生きねば』というテーマが、全編を貫いて描かれていました。
作中に登場する「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se leve, il faut tenter de vivre”を、原作者である堀辰雄が訳したものです。「生きようか、いやそんなことはない」の意ですが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれています。
ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっています。
また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえているのです。
宮崎監督と鈴木プロデューサーは、「いざ生きめやも」という言葉をもっと分かりやすく言い換える言葉を探して、キャッチフレーズの『生きねば』という言葉に行き着きいたそうです。その思いが劇中の二郎と菜穂子に投影されて、命を縮めてでも療養生活を放棄して結婚を強行。たとえ短くともふたりで幸せに過ごせる時間を共にする選択に向かわせたのだと思います。
菜穂子のモデルは、原作の作中の「私」の婚約者・節子であり、さらにそのモデルは、堀辰雄と1934年に婚約。翌年に12月に死去した矢野綾子という現実に存在した女性でした。本作の純愛に胸打たれるのは、宮崎監督の頭で考えたフィクションでなく、実際に堀辰雄が抱いた愛する伴侶への愛と悲しみが色濃く織り込まれているからです。本作からも、僅か1年余の結婚生活で堀辰雄が抱いた『生きねば』という切ない思いがよく伝わってきました。
愛する人ととの死別が近いことが分かっていても、決して怯むことなく飛行機設計に立ち向かっていった二郎の生き様に、『風』を感じました。人の出会いはまるで風のごとく吹き抜けて、立ち止まることはないのですね。
宮崎駿監督の弟子筋に当たる庵野監督の吹替え初挑戦は、朴訥な人柄がそのまま二郎にマッチしていて、素人とは思えない填りようでした。この仕返しは、今度庵野監督作品に師匠の宮崎監督を強制的に出演させることですね(^^ゞ
「生きろ」がテーマ
最初この映画を見ていて、ストーリーの展開は遅いし、退屈だなぁ・・と感じてました。確かに今までの宮崎作品とは違うと、そんな思いでしたが、試写会の後にしばらく考えてみて、最後のユーミンの「ひこうき雲」の歌とコラボレーションして「生きる」事への強烈なメッセージが込められた映画だという事が鮮明な印象として残りました。日本の航空技術に大きな夢を持った堀越二郎、零戦を設計をした人、そして戦争では人が死ぬ。戦闘機を作らなければいけないという矛盾を抱えながらも生きなければならない。それと、恋人の奈緒子、結核で先に絶ってしまう。ラブストーリーが長かった為に少し掴みにくかったのですが、この二つの死を並べて、「生きねば」と、強烈なメッセージを伝えたかったのではなかったのでしょうか?堀辰夫の「風立ちぬ」がぴったりその物な映画でした。「風立ちぬ、いざ生きめやも」
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