「ひど過ぎる。(内容の質)」風立ちぬ ausutoraropiuekusu3さんの映画レビュー(感想・評価)
ひど過ぎる。(内容の質)
以下、その理由を書く。
1.二郎が何を考えているのか分からない。
二郎は様々な所で人助けをする。そこから正義感や思いやりがあることは伝わってくる。
しかしそこには矛盾点がある。
戦闘機という多くの罪のない人々やパイロットを殺すものを作る葛藤や、不景気、貧しい人々や飢えている子供がいる中で、膨大な金が使われる戦闘機への葛藤が、殆ど伝わってこなかった。少しはあったが、そんなに思いやりや正義感のある人間なら、そんな仕事が本当に出来るのか?他のやり方を考えることを試みたり、他の方向にいくこともできたのではないか?たとえその仕事をやらねばならなかったとしても、その葛藤がもっと描かれていいはずだ。その姿を見せてほしかった。
サバの骨を見ながら『美しい』などと言って、『美しい飛行機作り』にひたすら邁進する姿は本人なりに『力の限り生きて』はいるが、『非人間性』すら感じる。本人の人間としての信念や考え方、価値観が伝わってこなかった。
個人的な話になるが、熱中するほど好きな夢を自分も持っている。しかし自分はもしその究極の夢を実現することが、二郎のように多くの罪のない命を奪う事に繋がるのならどうするかと考えた。自分は加担しないで叶える方法を出来る限り探し、違う道を探すと考えた。強制的に加担せざるおえないと立場にあったとすれば、とても平静ではいられないと思う。しかし二郎にはそれが殆ど描かれなかった。
ただ『夢を追う姿』を純粋に描いたと言われても、すんなり何もかも無表情で受け入れる二郎に納得出来ないものがあった。
『力の限り生きれば』なんでもいいのか?『どう生きるか』が大事なのではないのか?ただ『美しい』飛行機を求め戦闘機を設計する二郎の生き方や姿勢には『狂気』すら感じた。
2.国際社会への認識の欠如。
宮崎アニメは世界的に有名だ。
宮崎アニメファンだった他国の人が、この作品を観てどう思うか?
右傾化していると思われないか?
これは本当に危険なことだ。何も今このタイミング(近隣諸国と色々ある中、また何度か政治家の発言が問題になった後)
で戦争映画を、しかも真っ向から反戦と言っていない、肯定しているようにも、美化されているようにも受け取れる作品を作るべきではなかった。
宮崎駿は自分の影響力について分かっているのか?
日本人はそもそも海外の目を意識していなさ過ぎる。(自分は長く海外に在住し、様々な文化圏の人々と関わった経験があるので、そう感じるのかもしれない)グローバル化する今、一国の思い込みでは国は生きてはいけない。海外の目を意識しなければただの変な国と思われ、孤立するだけだ。
男尊女卑な国だと思われないか?
もともと日本は世界からそういうイメージで見られている。時代で仕方ない部分もあろうがジェンダーの視点から観た時、気になる細かい箇所が多数あった。(二郎の親友の見合いに対する発言など)
外人を馬鹿にしていると思われないか?
山盛りのクレソンを無心に食うドイツ人の滑稽な描写や不気味な感じ、その他、外国人の描写の仕方が気になった。
3.煙草の場面が多過ぎる。
特にドイツ人と煙草を交換する場面はいらない。煙草=カッコイイという安直な理由で使ってるとしか思えない。
4.絵の技術の低下。
(自分は絵をやっているから特に感じたのかもしない)今迄感じなかった人物の表情、顔の輪郭、群衆の顔が気になって現実に引き戻されることがあった。主な登場人物の表情が生き生きとしていないと感じた箇所が何度かあった。下手であったり、同じであったり、不自然であったり。更に二郎の顔自体(表情ではなく骨格など)が場面によって変わったと感じた箇所が何度かあった。やたらイケメンに描かれたり、少しエラがはったり、普通だったりした。
5.本当に『生きねば』を伝えたいなら、もっと苦しんだ人達を描くべき。
一握りの金持ちのインテリのエリートばかり出てきて、特に二郎とその親友には本当の人の痛みが分かっていないように見受けられた。戦時下、苦しんだ人は沢山いたはずだ。防空壕も、兵士の悲惨さも、根っこを食べるひもじさも、何ひとつ伝わってこなかった。その中で必死に生きた人がいたはずだ。一方二郎は裕福で、有名大学に行き、避暑地で休み、、、恵まれた環境で、葛藤も殆どなく生きていた。個人的に海軍と話している時、彼らの話を殆ど聞いていなかった二郎にその人間性が出ていると感じた。自分達は特別、そんな意識すら感じた。
気になった点が多過ぎて収集がつかず全ては書ききれない。
6.個人的見解の結論とその他気になったこと。
結局個人的な結論としては宮崎駿は『飛行機が描きたかっただけ』『自分の趣味を描きたかっただけ』と感じた。紅の豚に通じるものがある。(紅の豚は徹底して趣味を貫いているからまだ良い)そこにメッセージとして『力の限り生きる』というテーマをなんとか入れようとしたが、様々な矛盾点を結局収集できずに終わり、後はつぎはぎや、つけたしと、言い訳、他者の目を意識して直した結果、なんだかよく分からない『中途半端』なものが出来た。
上映終了後、菜穂子の死で悲しくなった。しかし死を通して感動させるやり方も好きではなかった。死を描いても良いが、それなら曖昧に抽象的に綺麗に終わらせるのではなく、もっと丁寧に、真剣に向き合って描いて欲しかった。そこに宮崎駿のずるさを感じた。菜穂子の描写や設定は現実味がなく、安っぽく感じた。最後に一番残ったのは、なんとも言えない『微妙』で『もやもやした』感情だった。
スポンサーや他国の目を気にして、こうなってしまったのか。 宮崎駿自身が色んなことを気にして自由に描けない葛藤を表しているのだろうかと深読みもした。真相は分からないが宮崎駿の全力がこの作品だったとは信じたくないほどひどい内容だった。
宮崎駿に本気で正直に突っ込める人間が周りにいないのではないだろうか。(NHKの特集番組でのスタッフとのやり取りを見ても感じた)奥さん位ではないのか。鈴木プロデューサーはそうだろうが、個人的に鈴木プロデューサーの助言はむしろ宮崎駿を変な方向に走らせているように思える。地位の高い者が気を付けなければ起こる悲劇、裸の王様だ。
『無知の知』(勉強し続ける姿勢)
『謙虚さ』(人の意見に耳を傾ける)
を忘れては良い作品は作り続けられない。周りのスタッフも本当に宮崎駿を思うなら、正直に本音でぶつかってほしいと思う。宮崎駿がある意味哀れにすら見える。そして宮崎駿も今迄の賞賛や実績に対する傲慢さを一度横に起き、意見を謙虚に受け止め、考えて欲しい。
もう一つ気になったのは、ウケやオブラートに包むような仕掛けが意識的か無意識的にか、されていると感じたことだ。
ウケは菜穂子(個人的に綾波レイと少し被った)の綺麗、お嬢様、病弱、健気、一途、従順、全て受け入れる姿勢、といった設定や、二郎のたまにあるイケメンな顔の描き方、どんな非常時も冷静で人を助けるといった描写(アシタカやハク的な。しかしよく観察すると、それらとは全く違い、性格に矛盾を抱えている。1.を参照)、親友もイケメン。
オブラートはイタリア人の出て来る夢という言い訳で色々なことを曖昧に丸く収めさせるところ。フランス語や本の引用や『風』を多用してそれとなくカッコ良く、インテリっぽく、意味あり気で深そうにしたところ。関東大震災が入いることでなんとなく災害の大変さを伝えたいのかなと思わせたところ。しかし、本当にそれを伝えたいのなら、もっとしっかりその大変さを入れるべきだ。意外にサクッと終わった気がしたのは自分だけか?
あとは音楽や昔の綺麗な日本の風景でそれとなく『良い映画』な気がしてくる。しかし、実質は違う。誤摩化されてはいけない。騙されてはいかない。よくよくその映画の本質を見ないといけない。それをワザとやっているような気がして、嫌だった。
また『良い青年だ』『感動した』など、登場人物の言葉でまるで無理矢理そう感じろと観客に投げるやり方も好きではなかった。本当は丁寧な人物描写で自然とそう思わせるべきではないのか?
宣伝をやたらしていたのは自信の無さの裏返しと感じた。
宮崎駿は『ファンタジーを作っている場合ではない』と言うが、こういう時だからこそ作れるファンタジーや児童向けの作品もあるはずだ。一方で震災直後ならそう感じるのも、分からなくはなかった。しかしそれならば、リアルを描くならそれも良いが、それならちゃんと向き合い、やり切って欲しかった。この作品は中途半端過ぎる。
7.今後のジブリ
個人的な予想では次回作は今回のことを反省して、昔のトトロのような作品か子供も楽しめるファンタジーになると考えている。またそう希望している。本当に良いものは大人も子供も楽しめるはずだ。男だけ、女だけ、老人だけ、子供だけが面白いと思う作品は、個人的にはその程度の力しかないと感じている。