「10年間」風立ちぬ poissons_aさんの映画レビュー(感想・評価)
10年間
本作品の中に、「芸術家も設計家も才能は10年だ」という様なセリフがあります。
宮崎監督の10年を振り返って見ると、風の谷のナウシカからすると、だいたいもののけ姫まで辺りが10年という区切りになります。
いやもっと前から才能は開花していただろうという考え方もありますが、映画監督としては上記の期間になると思います。
ではその後の作品はどうか。
「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」そして「風立ちぬ」
「千と千尋の神隠し」を筆頭に、興行的には「もののけ姫」以前の作品より成功しています。
しかし、それは単純に、それまでの10年の名作で築き上げた、宮崎監督のネイムバリューであるとも言えるでしょう。
初期から10年までの作品は、監督自らが描く緻密なシーンが至る所にあり、そしてそれ以外の箇所も、監督の目が行き届いており、結果、全編に渡り、監督の計算され尽くした、細部へのこだわりがひしひしと感じられ、何度観ても感動新たに観る事ができます。
しかし、それ以降は、監督が描くシーンは体力的な問題から激減し、それ以外のシーンも、監督の目が行き届いていない様に感じられるのです。
目が行き届かないのは、監督の精神力的な問題だけではなく、駄目な部分が多すぎ、そこにばかり気を取られ、全体にまで目を行き届かす事の出来ない状況になってしまうという事も言えます。
これは、今や日本アニメ業界全体が抱える問題ですが、若手育成の失敗によるところが大きいといえるでしょう。
いや、しかし、それ以前も状況的には今とそれほど変わっていなかったのかもしれません。
ただ、宮崎監督の才能が、そういった逆境をも全て解決出来てしまうほどの、とんでもないパワーが炸裂していたのだろうと思います。
監督自らも、自分の力を炸裂させる期間は終わったと認識しているのかもしれません。
もう体力的にも精神的にも、これが最後だろうと悟ったのかもしれません。
まだまだやりたい企画は山の様にあるでしょう。そういう発想的なものは衰えてはいないでしょうが、それを形に出来るという事も含めて、10年間という期限を言ったのかもしれません。しかし、会社という組織の中、自分以外に出来る者がいなければ、自分がやるしかありません。仕方なくという言葉は語弊があるかもしれませんが、ある意味仕方のない10年以降だったのでしょう。
その10年以降を今観返してみると、「ハウルの動く城」「千と千尋の神隠し」「崖の上のポニョ」までは、様々な物事のために、なんとかしよう。なんとかしなければ。という、そんな焦りの様なものが感じられ、こだわり云々という以前の問題を孕んでいた様に感じます。
しかし、今回の風立ちぬは、自分の好きな物へ思いを馳せ、想像し、妄想し、いいじゃないか、もう最期なんだから。これくらいの我儘させてもらってもいいだろう、と言う様な、どこか吹っ切れた感じが伝わってきます。
それに加えて、日本を、世界を代表するエンターテイナーが、これほど私的な作品を創るという事は、とんでもない事の様に感じられますが、やはりといいますか、これが日本人という奴なんだなぁと、真のエンターテイナーにはなりきれない。結局最後は内へ内へと思考が及んでしまう。宮崎駿という人は、ある意味真の日本人というところがあります。だれよりも日本人らしい彼らしいと言えるでしょう。
まぁそうは言っても、今後100年後も語り継がれ、観られ続けるであろう名作を、アニメーション映画監督としていくつも世に残すという偉業は、その10年の間に、持てる才能を遺憾なく発揮できた証拠といえるでしょう。そして、老いも若きも、あの10年の間に、そしてこれから先も、幸せな時間を過ごさせてもらい、もらえる事に感謝せずにいられません。
これが最後なのかどうかはまだ分かりません。まだ仕方なく、会社の都合に付き合わされるかもしれません。でも、私は、後はやはり子供のために、短編アニメーションなどでいいので、創ってくれたらいいな、などと勝手にながら思っております。
ありがとうございました。