「宮崎作品で一番切ない物語」風立ちぬ ry0123567さんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎作品で一番切ない物語
風立ちぬを観た。
観終わったとき、「よかった」と「またか」という気持ちが7:3で入り混じった。
先に言っておくと、ナウシカ~もののけ姫(最後の20分前まで)までの作品はパーフェクトだと思っているが、またああいう「昔の作品」を観たい、という気持ちはさほどない。それよりも宮崎駿の「新たな作品」を観たい、と望んでいる。
千と千尋~ポニョに関しては、面白くないとは思わないが、好みの作品ではなかった。そして残念ではあるが、それはしょうがないことだとも思っていた。すべての作品が自分に向けられたものであるはずはないから。
今作に対しては期待が大きかった。「大人に向けた作品」だろうと感じていたからだ。
結果、想像以上に大人に向けた作品であり、子どもへの配慮はほぼ与えられていなかった。そういう意味では紅の豚に似ている。(どちらも雑誌に掲載した自身の趣味の飛行機漫画を原作にしていることもあるが。)さらにそこに、宮崎作品では初の試みとなる、純粋で濃密なラブストーリーが合わさってくる。
宮崎作品を観る場合、大抵の人は、僕もだが、どうしても「宮崎駿」というブランドを意識し過ぎてしまう。それは「風の谷のナウシカ」であり、「となりのトトロ」であり、「魔女の宅急便」である。子どもから大人までを魅了して止まない傑出したファンタジーワールドだ。
カリオストロの城、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫。 世界中を探しても、一人の監督が、これだけの傑作を作り上げた例は他にあるだろうか?僕はないと思うし、毎回色眼鏡で観られてしまうのは、こんなことをやってのけてしまったための弊害に他ならない。
さて今回の作品。宮崎駿自身が「簡単にはファンタジーを作れない時代になってしまった」と述べていた通り、軸となるのは、大正~昭和の日本の実情だ。主人公は実在した戦闘機の設計者、堀越二郎と、実在した小説家、堀辰雄を足した架空の人物。作品自体もノンフィクションな要素は多いように見受けられるが、基本的にはフィクションだ。
物語は二つの骨組みに支えられている。ひたすら純粋に飛行機作りに励む二郎の夢物語と、菜穂子との悲恋のラブストーリーである。
前者はとにかく地味だった。派手さは極限まで抑えられ、あまりにも淡々としていて、あまりにもリアルだった。そのため、子どもや女性の中にはここで飽きてしまう方もいるのではないかと心配になった。
宮崎駿は元々戦闘機や戦車オタクであり、それらに関連した雑誌漫画を多々描いている。その宮崎駿からすれば、 別段知識をひけらかしたいわけでもなく、二郎の飛行機に対する純朴な想いを描きたかったに過ぎないのだろう。
ただ、一般人との感覚のずれは小さくなかったかもしれない。僕は一応夢追い人であるので、夢を追い続ける二郎の姿に、深く深く入り込んだ。「そうなんだよ。そうなっちゃうんだよ。」と共鳴した。また、二郎に宮崎駿自身の姿も重なり、思わず涙腺が緩んだ。
だがこれは「特定の人」に限定した効果であるような気がする。
二郎のキャラ設定も相まって、敢えて大げさな演出をしていないため、何か迫ってくるものに欠けていると感じてしまう人は多いんじゃないだろうか。そのため多くの人はそこで置いてけぼりになってしまう可能性がある。
業界内では非常に評判が高いと聞いたが、きっと二郎のように必死に夢を追い続けた人たちにとってはたまらない演出だろう。だが、そのギャップは否めない。
一方、後者の菜穂子とのラブストーリーは万人受けする内容であったと思う。
健気で一途で可憐でありながら、結核を患った女神のような女性、菜穂子。宮崎作品のヒロインに恋し続けてきた僕のような男性にとっては、今作の菜穂子もどストライクな女性であるはずだ。その菜穂子と二郎の純粋すぎる悲恋の行方は、正直、涙なしには追えなかった。
こんなよくある狙い過ぎたラブストーリーは、ふつうなら目を覆いたくなるものだが、それを宮崎駿が「ここ」でやったことに意味があり、宮崎作品の世界観及びクオリティーによって安さと気だるさをまったく感じさせない絶妙なバランスを保っていた。これは流石だと思わされたのと同時に「とても斬新な試み」だと感じた。
しかし、二時間の作品ではこの両者の融合が今一つ実現できていなかったように思う。飛行機作りと恋愛を、ただ平行に並べただけのようになってしまった。菜穂子とのラブストーリーは確か開始一時間を超えた辺りから動き始めたと思ったが、これが少々遅かった。逆にそこからはラブストーリーが大半を占めるため、零戦が生まれる過程が希薄になってしまった。また、合間合間が二郎の夢の世界で繋がれるのだが、これも今一つ効果が薄かったように感じた。
つまり、最近の宮崎作品の特徴でもあるボリュームに対する描写の少なさが、今作でもややしこりを残した。小説であれば問題はないのだが、アニメーションの場合は行間を読む時間が限られるため、頻発させられると少々苦しくなる。描写が多すぎる作品を僕は好まないが、最近の宮崎作品の描写の少なさは少々観客を信頼し過ぎているように思えてならない。それが結果的に観客を突き放すことになってしまっているわけだが。いずれにしてもストーリーに対して描写がやや追い付けていないように感じる。どこがどう足りないのかを僕は上手く答えられはしないが、このバランスというかセンスが「昔の作品」とは違うものになってきたように思う。三時間の大長編にしてでも、この部分が解消されていれば、より素晴らしい作品になっていたはずだ。
また、テーマの問題も大きかっただろう。
宮崎駿の趣味である飛行機漫画を無理矢理映画化したわけだが、きっぱり飛行機か恋愛のどちらか一方で勝負しても面白かったように思う。今回は、大震災、戦争、貧困、病気などの重い背景が付きまとう世界で勝負を挑んだわけだが、メインは二郎がひたすら純粋に夢を追い続けた部分であり、そのバックの背景にはなるべく目がいかないように配慮されていた。「時代の背景を気に留めることなく己の夢を信じぬけ」という現代の僕らに向けられたメッセージとも捉えられるが、それらの背景に対する描写の少なさに、軽い消化不良を起こした人は少なくなかったように思う。それはもちろん「敢えて」の演出だが、功を奏したのかどうかは少々疑問だ。
ところで、今までの宮崎作品では幼少期から青年期までを段階ごとに描いていった作品はない。幼少期がフィードバックで登場する作品などはあるが、今作のように10代後半から30代半ば?までを描きわけるというのは初の試みであったはずだ。ここでいつもは強みであるはずの飄々とした素朴なキャラデッサンが仇となった。場面変更の際、キャラの年齢がわからず、どの時代に移行したのかが一瞬わからなくなるのだ。これは主人公の声の問題にもよるが。
二郎の声に、僕は最終的には慣れていたが、やはりもっと適当な声があったように思う。
当然素人であるので、年代ごとの声色の変化などは皆無に等しかった。僕は声に関しても大げさなトーンの演出は好きじゃないので、俳優が役を務めることに対してはまったく気にならないが、それでももう少し演技のできる人物に任せてもよかったように思う。なお、主人公以外は非常によかった。とりわけ菜穂子は、その素晴らしい声のおかげで、よりダイナミックに彼女の繊細な質感を感じ取ることができた。
久石嬢の音楽は、やはり秀逸であった。多くを述べる必要はない。ただ最近の作品の中でもとりわけ、音楽がシーンを先導していくほどのノスタルジックメロディは聴こえなかった。その点がやや物足りなく感じた。
また、画のクオリティに関しては、もののけ姫~千と千尋の神隠しを頂点とすると、やや控えたのだろうか、と思うシーンがいくつか見受けられた。ただそれに関しては、今回も様々な実験の上で生まれてきたのだろうから、僕は文句を言えないし、文句を言うほどの批判もない。
総評として、「個人的に」とても好きな作品になった。なぜなら僕には作品全体を通しての淡泊さがとても適当な清々しさであったから。それは、晩夏の少しだけ涼しげな風のようだった。
とにかく切なかった。ここまで切ない宮崎作品は初めてだった。夢を追い続けることも、愛する人との短い旅も、すべて切なさに終着した。思い出すだけで込み上げてくるほど切ない。多くの人は、「切なさ」を大切にして生きていると思う。「切なさ」は人生の上でも非常に大切な感情だと思う。夢を追うことも、人を愛することも、やはり「切ない」。それを改めて思い知れた。だからこそ一吹きの風に愛しさと慈しみを込めて、「生きねば」と、背中を押された。
最後にひとつ。この「風立ちぬ」をもう一度観直した際には、おそらく僕は、今よりとても強くこの作品を愛しく感じることだろう。