「ひたすらに「美しさ」を追求した、巨匠渾身の一作。 宮崎駿に敬意を込めて、生きねば。」風立ちぬ たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
ひたすらに「美しさ」を追求した、巨匠渾身の一作。 宮崎駿に敬意を込めて、生きねば。
零戦の設計者・堀越二郎の狂気にも似た情熱と、妻・菜穂子との恋愛を描いた歴史劇アニメーション。
監督/脚本/原作は『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の、巨匠・宮崎駿。
主人公、堀越二郎の声を演じるのは、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ(監督/脚本/原作)や『さくらん』(出演)の、映画監督・庵野秀明。
二郎の友人である航空技術者、本庄の声を演じるのは『メゾン・ド・ヒミコ』『ストロベリーナイト』シリーズの西島秀俊。
二郎が所属する三菱重工業設計課の課長、服部の声を演じるのは『海猿』シリーズや『パコと魔法の絵本』の國村隼。
二郎の夢の中に現れるイタリアの航空技術者、カプローニの声を演じるのは『陰陽師』シリーズや『のぼうの城』の、狂言師・野村萬斎。
第41回 アニー賞において、脚本賞を受賞!
第85回 ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞において、アニメ映画賞を受賞!
第37回 日本アカデミー賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
原作は2009年〜2010年にかけて「月刊モデルグラフィックス」に連載していた漫画「妄想カムバック 風立ちぬ」。これは映画鑑賞後に読了。
まず注意したいのは、本作は実在の航空技術者・堀越二郎(1903〜1982)の自伝映画ではないという事。堀越二郎の人生をベースにしながら、そこに作家・堀辰雄(1904〜1953)の自伝的小説「風立ちぬ」(1937)をミックスして作り上げた、完全なるフィクションである。ヒロインの名前は堀の長編小説「菜穂子」(1941)から取られているなど、飛行機マニアと文学オタク両方の資質を持つ宮崎駿の”妄想”の結露とでも言うべき作品なのだ。
宮崎駿がアニメ制作に携わるようになって50年目という節目の年に発表された本作。公開後、宮崎駿は長編アニメ監督からの引退を発表。この映画が彼の引退作品となった(はずだったのだが…)。
本作最大の特徴、それは説明を徹頭徹尾排除しているという点であると思う。
作中、いくつも印象的な場面が描かれるのだが、それが一体なんだったのか教えてはくれない。ドイツ留学中の出来事とか、クレソン食いまくるカストルプさんの正体とか、何か意味があるようなのだがその答えは描かれない。観客が考えることで答えを導くしかないのだ。
また、二郎という男の心理についても分かりやすい形では描かれない。喜怒哀楽の薄いこの男の感情を読み解くためには、多少の読解能力が必要となることだろう。
観客をふるいにかけ、ついてこられないものは容赦なく置いていくという非常に不親切な映画であることは間違いない。ジブリなんだからどうせ子供向けでしょ、なんて思っていると痛い目を見ることになるだろう。
確かに分かりやすい映画ではない。時間経過や場面展開が唐突で、形が歪なところも少々気になる。菜穂子との恋愛描写もちょっと湿っぽすぎるんじゃないの?なんて思ってしまう。
でもこの映画、めちゃくちゃ感動するんです。初鑑賞時なんて劇場でボロ泣き…😅
その理由はやっぱり、宮崎駿が真剣に「美しいアニメ」を作ろうとしているからだと思う。整合性やストーリー性、分かりやすさを排除してでも、どうしても描きたかったものがある。そういった想いがスクリーン越しにビシバシ伝わってきて、その創作意欲と制作姿勢に胸が揺り動かされてしまった。
本作の主人公の堀越二郎は目が悪いことに対するコンプレックスを持っている。朴念仁の様でありながら女の子にはすごく興味がある。
そして、飛行機が大好きで大好きで堪らない。それが戦争の道具であることはわかっていながら、開発を止めようなどとは露程も思わない。
…いや、こんなもん完全に宮崎駿自身の投影じゃないですか!
アニメがただ消費されるためだけのコンテンツである事を理解していながら、どうしてもそれを作ることをやめられない。周囲にどれだけ敵をつくっても、同じ道を歩む息子との間に大きな壁を作ってでも、ただ自らの理想である「美しいアニメ」を作ることに執着し続ける。
純粋な熱意に突き動かされる自分自身と堀越二郎を重ね合わせ、それを凄まじい妄想力で一つの作品として成立させてしまう。宮崎駿の正直さと、純粋ゆえの狂気はやはり凄まじい。
ちなみに、「タインマスへの旅」(2006)という宮崎駿のエッセイ漫画があるのだが、この作品では宮崎駿自身が作家ロバート・ウェストール(1929〜1993)と夢とも現ともつかぬところで出逢う。この関係性は本作における二郎とカプローニのそれと酷似している。この点からいっても、二郎が宮崎駿の投影である事は間違いないだろう。
二郎は大きな挫折と絶望を経験するが、最終的にはありのままを受け入れ、自己を肯定するに至るというエンディングを迎える。
ここに、宮崎駿の50年間にわたる葛藤と闘いの日々が込められているような気がする。自分が歩んできたアニメーション制作という道は果たして正しかったのか、苦悶の末に導き出した答えを作品の中で明示してみせた。その姿勢と覚悟にもう大感動ですよ!あのエンディングを鑑賞した時、心底宮崎駿作品を見続けてきて良かったと思った。
庵野秀明の声優起用は色々と物議が醸したが、個人的には全然アリ。はじめこそ違和感があったけど、後半になればキャラクターとピッタリ一致してきて普通に泣かされます。
そもそも、自分のアバター的なキャラクターを普通の役者にやらせたくなかったのでしょう。愛弟子のような存在である庵野秀明にこそ、宮崎駿はこのキャラクターを演じて欲しかったのではないでしょうか。その師弟愛に、また胸がジーンとしてしまうのです…。
宮崎駿が引退を覚悟して作った作品。その凄みは確かに伝わりました。
やれタバコ吸いすぎだの左翼的だの、歴史認識が甘いだのとなんか公開当時は色々とケチをつけられていたような気もするが、そんなことはどうでも良い。「美しいアニメ」だった。ただそれだけです。
当代最高のクリエイターとしてその生き様を我々に示し続けてくれる宮崎駿に敬意を込めて、生きねば。