凶悪のレビュー・感想・評価
全45件中、41~45件目を表示
凶悪の二面性。
凶悪というタイトルの二面性を最後に思い知らされる。
普通の人間が事に耐えられず凶悪化する可能性を、反面教師の如く
最後まで見せつけてくるところが恐ろしい。
新潮45といえば「5時に夢中」で木曜コメンテーターの中瀬ゆかりが
編集長を務めていた頃の事件になる(さすがマリー・アントワネット)
となるとあの編集長は中瀬!?痩せてるじゃん(爆)なんて思いつつ、
死刑囚の告発による実際の事件を取り上げたある意味ノンフィクション
であるこの作品の内容はかなり重い。
ヤクザと不動産ブローカーと記者の「なすりつけ三つ巴戦」に他ならず、
自分達のしていることが分からないヤツほど怖いものはないと感じる。
本業が役者の山田に対し、リリーとピエール(なんかフランス人みたい)
が仲良し感覚で持ち込んだ演技が却って真に迫り、彼を混沌とさせる。
自分の演技があまりにヘタで死んだ方がマシ、とまで山田に言わせた
今作における苦しみが、そのまんま役柄に乗り移ったようにも見える。
休憩時間に「動物の森」でキャッキャッと遊ぶオジサン二人の演技といい、
保険金殺人の被害者である電気屋(ジジ・ぶぅ)のあの危機的演技といい、
凶悪が真面目を喰いまくってしまう存在感がかなり新鮮。
ヤクザの暴力と、それを支配する「先生」こと不動産ブローカーの
凶悪ぶりに唖然としてしまう本作だが、
最も怖さを感じさせるのは、普通の暮らしの中に蔓延っている凶悪。
ことに老人介護におけるそれは淡々としながら凄まじく描かれており、
主人公記者の家庭でも崩壊寸前にまで悪化する。
見て見ぬふりをするのも、面白がって追いかけるのも、金のためなら
魂を捨てるのも、考えてみればみな凶悪になりつつある存在である。
その掬い方が絶妙で恐ろしく、平静に訴えてくるところがなお怖い。
(それぞれの役者の本性を炙り出したような本作。観応えありますよ)
後味は悪い
狂気と直に触れあい事件の渦中の人となる作品とは違い、
どこか淡々としていて、
解体した死体を焼く様は美しくさえ見えるのは、
記者藤井のフィルターを通した世界であるからだろう。
安全な場所から傍観する者に、同じ現実を生きる池脇千鶴が
「楽しかったんでしょう?」と問うと、二重のバリアが破られて、
世界のただ中に放りこまれるような気分にさせられ、はっとする。
藤井の妻の立ち位置と視点こそ、この映画の最も面白いところだと思う。
そこにはいかないけれど、薄皮が剥がれると、どんな闇が飛び出すのかわからない。
保険金殺人の一家は紙一重のところにいる。
また、最初と最後の山田孝之とピエール滝の対比がすごい。
ぼんやもっさりしていた山田が徐々にぎらぎらとした眼差しになり、
滝は怒りや憎しみから解放され、涅槃の境地にいる。
生き埋めになる老人の姿を思えば、後味はすこぶる悪いが、
凶悪はもう一度観たくなる。
あと、藤井の上司役の村岡さんが好きです。
罪悪感抱いて生きた方がマシ
この映画の元になった事件はニュースで聞いた覚えがあった。
“先生”とか“死の錬金術師”とかいうワードにも聞き覚えがあった。
そのときは「世の中怖い人間がいるもんだねえ」くらいにしか
思わなかったものだが……
ピエール瀧演じる死刑囚・須藤の、冒頭10分で呆気に
とられるほどの凶悪ぶり。これを観てもう「嫌なものを
観てしまった」という感覚に襲われた。
日常のすぐ裏側に、こんな陰惨な世界が広がっているなんて
信じたくないが、ちょっと暗がりを覗けばこんな世界が
やっぱり存在しているんだろうか?
この映画がどこまで事実に基づいているかは分からないけど、
そんな不安と薄気味悪さを覚える。
リリー・フランキー演じる木村“先生”はもっと恐ろしい。
パッと見は温厚そうなごく普通のオジサンだが、
オモチャで遊ぶ子どものように無邪気に笑いながら人をなぶる。
それはそれは楽しそうになぶる。そうして殺した後は妙に冷静で、
まるでゴミ処理か何かのようにてきぱきと死体を片付ける。
今から殺す人間の横で死体処理の相談をしたり、燃やしてみたい
と興奮したり、終いにはこんな言葉まで吐く始末。
「老人を殺すだけで金が溢れてくる。まるで油田だよぉ」
……いや……なんというかもう……色々とどうかしております(笑)。
焼却炉のくだりの後でクリスマスパーティなんてとてつもなく
狂ってるし、子どものランドセルに現金を忍ばせるなど、
金銭感覚もトコトン下卑(ゲス)い。
彼は終始そんな感じなので、“先生”と呼ばれるほど
殺しのやり口はスマートに見えない。
なのに、捕まらない。共犯者や被害者自身の罪悪感を躊躇なく
利用するので、そもそも事件が事件として露見しない。
彼からは罪悪感という感情が微塵も感じられない。そのくせ、
他人の罪悪感につけ込む術は熟知しているというこの厭らしさ。
罪悪感。
本作におけるキーワードはこれだと感じる。
“先生”に脅されるままに家族を見殺しにした人々の怯えた顔。
痴呆の進む母親を施設に入れられないでいる主人公。
その主人公の母親に手をあげた事を告白する妻。
波風を立てずに問題を解決できないかとずるずる結論を
先伸ばしにする内に、いよいよ袋小路に追い詰められた人々。
考えたくない問題から逃げ続けても、最後には抱えきれないほどの
重さになって自分にのし掛かってくるだけなのだろうか。
時には罪悪感を抱える覚悟を決めて終わらせた方がマシな事が
世の中にはあるのかも。ううむ、なんだかしんどい。
ラスト、薄笑いを浮かべてコツコツとアクリル板を叩く“先生”。
ひとり取り残された記者の虚ろな表情。
ああして見ると、アクリル板を挟んだあちらとこちらで、
どちらが犯罪者か分からなくなってくる。
良心や罪悪感といったブレーキが、
蓄積された怒りや憎しみで壊れてしまったら、
僕らとあの人殺し達との間に、大した差はないのかもしれない。
主人公はジャーナリズムという盾に隠れて“先生”を殺そうとした。
そしてそれを観ている僕も、“先生”が殺される事を望んでいた。
さらに言えばだ。この惨すぎる事件の経緯を、
好奇心いっぱいに見つめていた事も僕には否定できない。
「あなたはこれを楽しんでいたのよ」
記者を嘲笑うかのようにその妻が言い放った台詞にぎくり。
いやいや、だからと言って、人間の本性は所詮凶悪さの塊だと
認めるつもりはさらさら無くて、あんな人間になるくらいなら
罪悪感を抱いて生きてた方がマシだと思う、多分。
そんなご高尚な事をいつまで言えるかだが、なるべく頑張らんと。
決める事は早く決める! 危ない事には手を出さない!
なるだけ平和に生きられるようにしたいもんです。
ごくふつうの人間の奥底にある嫌な部分を覗き見るような映画。
ずっしり重いけれど、見応え十分。
〈2013.9.鑑賞〉
.
.
.
追記1:
文脈に合わなかったので、
須藤の最後の姿について追記として書く。
須藤が本当に神を信仰するようになったのか、それともあれが
量刑を軽くするためのパフォーマンスだったのかは分からない。
だが、被害者に対する彼の懺悔の念が薄弱である事は分かる。
本当に後悔している人間は、赦されたいという気持ちを
感じる事にすら罪悪感を覚えるものだと思うから。
赦される余地があると考えている時点で、
彼の懺悔に大した価値はないと個人的には思う。
被害者の遺族は死ぬまで怒りと罪悪感で苦しみ続けるのに、
殺人者は勝手に自分を赦し、心の安寧を手に入れるという、
この胸糞悪い矛盾。いやはや。
追記2:
酒で殺害された老人を演じたのはジジ・ぶぅという役者さん。
生き埋めにされた老人を演じたのは五頭岳夫という役者さん。
どちらも肉体的にも精神的にもしんどい役だったと思うが、
このお二人のお陰で現実味のある恐ろしさが出ました。
お二人に労いの言葉を掛けてあげたい。
悪人は死なず
極悪人の主人公のピエール瀧とリリーフランキーは死なず。雑誌記者の山田孝之の懸命な調査がどちらの極悪人をも生かしてしまった、後味が何とも悪い話。見事なほどに後味が悪く高得点です。
話の中で中々リリーフランキーが出てこず、イラついたがそれも狙いなんでしょう。後半のテンポ良いストーリー展開が引き立ち、のみこまれました。
各役者の眼差しが印象的。
登場人物の心理描写に惹きつけられるものがありました。特に法廷でのリリーフランキーの全てのものを睨みつけるような眼差しや、山田孝之の後半になるにつれて重っ苦しくなる眼差しなど、役者の眼力で言葉を超えた心情を訴えることに、成功していたと思います。全ての役者さんの眼差しが印象に強く残りました。
作品のテンポは前半はやたら間が悪く、退屈な感じを受けましたが、後半に向けて畳み掛けるような作りで、前半のテンポの悪さが逆に、いいバランスのテンションを保ってくれたので、個人的には良かったです。
ただ、これといって、鮮烈に印象に残るシーンがなく、前のめりになって鑑賞することが出来なかったです。
唯一、リリーフランキーの小躍りは心に残りそうです。
余談ですが、ピエール瀧が出てくる度に、『瀧さん!がんばれ!がんばって凶悪になってください!!』と、心の中で思わず応援してしまったので、それがノイズに、なってしまったのかもしれません。。。
全45件中、41~45件目を表示