「奇妙な三角関係が活かせていない」小さいおうち CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
奇妙な三角関係が活かせていない
昭和初期の中流家庭に奉公していた女中の視点で、戦争に突入する前後の日本社会を描きつつ、その家庭の平穏とそこで起きた小さな波風を描く。
『東京家族』で小津安二郎の映画手法を模倣した山田洋次。齢80にして、今更大先輩の作風を模倣しようというのだから、その貪欲さには頭が下がる思いで見たが、本作でも小津安二郎を意識していることは間違いない。
小津安二郎が徹底して描いた中流階級(中流というよりも、当時のインテリサラリーマン)の家庭が、本作の主な場面となる。まるで『早春』のように、その家庭で起こった不倫な出来事。窮屈な台詞回しと、形にはめた演技を役者に強要する演出。カメラワークでも、随所に小津の構図を取りいている。
しかし、もちろん完全に模倣するわけではなく、山田節は十分に加味してもいる。その辺が、どうにも中途半端にうつるのは、『東京家族』も『小さなおうち』も同様だ。小津の出来損ないという印象が、どうしても残る。山田洋次の悪い癖(例えば、必要以上に政治的メッセージを前面に出してしまう事による逆効果)が、あの窮屈な小津節によって、よりクローズアップされてしまう気がする。
この辺は、山田節をもっと抑えるか、逆に小津のオマージュをもっと整理するかしないと、解消しないだろう。80歳の監督に言うのも何だが、自作以降に期待するしかない。
また、山田洋次は、本作で昭和初期の日本社会を描きたい気持ちがあったことは明らかだ。それは、インタビューなどでも語っているし、そもそも本作の原作が(筆者は未読だが)、そういう意図で書かれているとの事である。
太平洋戦争に突入した以降の日本社会は、様々な映画やドラマで描かれているし、そこで描かれる時代の暗い雰囲気や社会の閉塞感は決して間違っていないだろう。山田洋次も『母べえ』などで描いてきた。
その一方で、満州事変前後の日本社会の雰囲気は、十分に現代社会に伝わっていないという批評は、以前からある。本作でも描かれているように、南京陥落をはじめとした日中戦争(支那事変)に対する日本全体の雰囲気は、厭戦ムードよりも、むしろ歓迎ムードであり、本作で松たか子が演じた「奥様」のように、日本の都市生活者は豊かな文化を享受していた。
そうした時代を描いたのは、山田洋次自身の原体験もあったことだろう。
この点は、山田洋次がしっかりと描いたことが評価されるべきだ。
さて、山田洋次が描こうとした「小津の模倣」「昭和初期の日本社会」という2つのテーマは、方や中途半端、方や成功ではあったが、では、肝心の物語がどうだったかというと……結論から言えば、凡作だった。
本作は、黒木華が演じる「女中」、松たか子が演じる「奥様」、吉岡秀隆演じる「青年」の3人が主要登場人物だ。女中の視点で語る奥様と青年の不倫関係が、物語の中心になるが、単純に不義密通がタブーだった昭和初期の不倫や背徳の恋愛物語ではない。この3人が、奇妙な三角関係であることが示唆されている。
ネタバレというか、これは筆者の解釈だが、たぶん女中と青年は、体の関係に発展している。そして、これは映像で描かれているとおり、終戦後、奥様が旦那様と一緒に戦死した後に、その関係を継続していたはずだ。そして、奥様へ裏切ったという思いから、二人は生涯結婚をせずに通した。
ここからは、完全に筆者の想像だが、二人は、青年の出征前日に体の関係になった。そして、青年は奥様の元に行かずに出征する。二人は戦後に再開し、再び肉体関係になるものの、女中が奥様への思いから結婚までは踏み切れず、間もなく別れた。やがて画家となった青年は、女中に「小さいおうち」を描いた絵を送り、女中は死ぬまで、奥様を裏切った後悔と、青年への思いを断ち切れないまま生きていた……そんな感じだろう。
しかし、これが正解かどうかは別にして、全ての観客にここまで脳内補完を求めるのは、あまりにも不親切だ。
年老いた女中(倍賞千恵子)は、自分を慕ってくれる妹の孫(妻夫木聡)から、女中時代の思いでを手記にまとめるように促され、当時を振り返る形でストーリーが展開する。
その最後の手記で、女中は「なぜ青年が奥様の元へ来なかったのか、今ではわからない」と断定する。その後、妻夫木聡演じる大孫は、年老いた奥様の「息子」(米倉斉加年)と出会うのだが、そこで二人は、青年と奥様の関係については言及するのに、女中との奇妙な三角関係には触れない。そして、物語はそのまま閉じて行く。女中と青年の関係性について、大事なラストシーンでほとんど何も匂わせないから、観客は「結局、奥様と青年の恋愛関係の話だったのね」と帰着するしかない。そして、年老いた女中が、この話をする時になぜ最後に嗚咽するほど号泣するのか、よく理解できない。要するに、「現代パート」が奇妙な三角関係に関して、まったく機能していない。これではダメだ。
例えば、女中の最後の手記が「青年が奥様の元を訪れなかったのは……」と、何か匂わせて未完成のままになっているとか、あるいは、画家となった青年の記念館に、明らかに女中と思われる(もちろん、松たか子ではなく、黒木華でもなく、倍賞千恵子の面影)の肖像画を見せるだけでもいい。
昭和初期の日本の雰囲気が明るい描写であることに対して、大孫から「嘘を書いちゃダメだよ」と言われる年老いた女中だが、ところが女中が手記に書いた当時の様子が正しいという描写が映される。ここで、観客は女中は嘘を書いていないと思わされる。ところが、女中は最後の手記で嘘を書いていた。なぜなら、女中は青年が奥様の元を訪れなかった理由を知っているからだ。だったら、「女中はやっぱり嘘を書いていた」という描写を入れないといけない。むしろ、「女中から見ていた、小さなおうちの出来事は、実は女中が都合良く記憶していただけに過ぎず、別の視点からみたら、まったく異なった『真実』が浮かび上がってくる」というような描写にした方が、作品としては深みが出る。せっかく、最後に出てくる奥様の息子という面白いキャラクターがいるのに、活かしきれていないのだ。息子が見た「小さいおうちの出来事」が、女中から聞いていた話と違うと大孫が知るだけでもいいのだ。
そういう面白そうな設定があるにもかかわらず、効果的になっていないのは、決定的に本作が失敗している点だと評価せざるを得ない。
役者について言えば、何と言っても松たか子が良い。黒木華も良い。その一方で、吉岡秀隆と妻夫木聡が今ひとつ。
ということで、何となく面白そうなのに今ひとつという凡作の出来栄えという作品だった。