3人のアンヌ : 映画評論・批評
2013年6月11日更新
2013年6月15日よりシネマート新宿ほかにてロードショー
寂れた海辺の街で交錯する、さまざまな人の思いと願い
近年のホン・サンス作品の登場人物の区別が全くつかない。すべてが同じひとつの映画のいくつかの断片、あるいはいくつかの表情のようなものとして、ホン・サンスの映画は作られているように思うし、今回のタイトルにもはっきりと現れているように、監督自身がそのことに自覚的なのだと思う。
「3人のアンヌ」といってもアンヌが3人いるのではない。いや、いるのかもしれない。そんな曖昧な領域にアンヌがいる。例えば舞台となる寂れた海辺の観光地には、多くの人々の愛と悲しみと喜びと涙と怒りと血と諦めと野心と思い出と可能性、叶えられなかった夢、儚く散った愛、途絶えてしまった願いなど、広がり続ける過去と未来の苦い思い出が堆積していて、それが彼女を作っているのではないか。そんな儚い夢想が広がる。
イザベル・ユペールという俳優が、それらの思い出と夢を聴き、アンヌというひとりの女になってそれらの思い出と夢を演じる。思い出の数だけアンヌがいる。それらは実際にその浜辺で起こったことかもしれないし、起こるはずだったことかもしれないし、起こって欲しかったことかもしれない。浜辺を訪れたさまざまな人の思いと願いが「アンヌ」という女を巡る関係の中で交錯する。その危うさと奇妙な親密さ。この映画の観客たちはいつしかその浜辺を訪れた人となっていることだろう。私たちの浜辺がそこにある。アンヌはここにいる。映画を見ているうちに、誰もがそんな思いにとらわれるはずだ。
(樋口泰人)