偽りなき者のレビュー・感想・評価
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緊張の糸は張ったまま
とても良かった。
映画としてはめちゃくちゃ面白かった。
だけど、こんなにキツい2時間はそうない。
疲れました。
一つの子どもの嘘でここまで人って変われるのか。
変わるんだろうなぁ…
リアリティがあり過ぎて、自分も他人の子と二人きりに
なるのはやめようと思いました。
証拠がない、子どもの証言だけが頼り。
濃い霧の中を進んでいく物語に胸が苦しく、
眉間にはシワを寄せたまま。
男の友情が最後の砦。
熱いものも感じられたけど、
飼い犬の事を自分は忘れない。
主人公もきっとそうだったんだと思う。
そして、周りの人の中にも疑ってる人はいる。
もう元には戻れない、あんなに楽しそうだった男たちの
飲み会もラストでは嫌な雰囲気で、
最後の最後まで緊張の糸は張ったままで、
とても面白かったです。
白だと知っているのは観客だけ
ウディアレンの最盛期、ハンナとその姉妹あたりまでは、オシャレな映画監督の代表格で、文化人がよくその魅力を語っていたものです。
私は昔からウディアレンが苦手で、映画そのものにも感興できませんでしたが、とりわけ映画にまとわりつく山の手なスノビズムが嫌いでした。
今でこそ居ませんが、かつてはアレン映画の解釈をのたくる文化人が大勢いて、あれらのエスプリを解するのがオシャレと見なされていたわけです。
例えるなら、中野翠もどきがウジャウジャ居て、しきりにウディアレンを褒めそやしていたわけです。(むろん中野翠は立派な批評家です)
その雰囲気がじつにスノビズムでした。昭和の終わりごろの話です。
しかしアレン節も、時代を追うごと、徐々にありふれたペーソスになり、先年(2018)のディランファローの二度目の告発で、長年、年1でつくりつづけた監督業も、ほぼ休業状態に追い込まれてしまいました。
このセクハラ告発を、どう見るか、人それぞれですが、私にとっては残酷な美醜対決に見えます。
アレンと仕事をしない又は後悔していると公表した俳優はティモシーシャラメ、レベッカホール、エルファニング、エレンペイジ、ミラソルビノ、グレタガーウィグ、クロエセビニーetcといったそうそうたる美麗スターたちであり、対するのは、年老いたアレンとあの化粧っ気のないスンイーです。
何が真実なのかは解りませんが、MeTooの潮流にプラスしてスターたちの拒絶があってはアレンに分はありません。
マリオンコティヤールはこの一件を、
「私生活についてはよく知らなかったけど、養女と結婚したと聞いて、正直ちょっと気持ち悪いと思ったのを覚えているわ。撮影現場でもどこかギクシャクしていて、私にとってはあまり良い体験ではなかったし、彼と仕事をすることはもうないでしょうね。今回の報道が事実か否かは、当事者じゃないから何とも言えないけれど、ディランさんが苦しむ姿を見て胸が痛くなったということだけは確かね」
と語っていて、これは殆ど一般的な見地を代弁してしまっています。泣いて訴える女性にシンパシーを感じない人は圧倒的少数派ですし、じっさい彼は限りなく怪しいわけです。
真実は知る由もありませんが、個人的にはミア側もかなり過当な感じがします。
ハリウッド俳優が養子を引き取るのは知っていますし、その行為そのものは殊勝な心がけですが、いくらなんでも引き取りすぎです。それ(多人数の養子)に自分自身を母たらしめる目的はなかったか、そんな富者の驕りを感じずにはいられないのです。ディランの告発は信じられても、結局、ミアの養子乱受容に起因があるはずです。
とはいえ、おそらくアレンはやった、と思います。
しかし当人はもちろん否認したうえで、釈明しています。曰く「そもそもこれは何年も前に決着している問題であるし、何十人もの女性から訴えられている奴(もちろんワインスタインを指しています)と、ひとりの義娘から一回だけのことを訴えられ、その他にいかなる告発の来歴もない私を一緒に語らないでくれ、ほんとに迷惑しているんだ」というものでした。
この気持ちは解ります。50年以上に及んで映画業界に貢献し、多大な評価を浴びながら、一回の告発によってキャリアが破綻したわけです。事実A Rainy Day in New York(2017)もお蔵入りです。
この時、私たちはそれが一度だけの過ちであろうと社会の敵になる罪を痛感します。子供にやったことは許されてはならないのです。
それは、たとえシロでも、たんなる嫌疑であろうと、生涯の汚点になってしまうのです。この映画のラストの一発の銃声はそれをあらわしていました。疑いが晴れたかに見えた後だっただけに、より一層「ビクッ」となりました。
なにしろ彼はやっていないのです。そしてそれを痛いほど知っているのは観衆だけなのです。その物凄まじいジレンマ!
ペドフィリアを許してはなりませんが、ゆめゆめ迂闊に判定してもいけません。
まったくもって見事な演出で描かれた、冷徹なドラマでした。
現代の魔女狩
SDGs達成率のナンバーワンってどこの国だかご存じですか?この映画の舞台となっているデンマークがそれ。日本はちなみに15位と予想どおり低迷しているのだが、子供たちの将来をもっとも大切にしている国のランキングと思っていただいてもよいのかもしれない。要するに現役世代が犠牲となっていかに次世代につなげる準備を国がしているかが問われている指標なのである。あのドイツでさえGDPの60%以内におさえている国債を乱発し続ける日銀の政策一つとっても、国が今現在のことしか考えていないのは明白。残念ながら日本の子供たちがむかえる将来はまちがいなく今よりももっと暗くなる、とだけここでは言っておこう。
じゃあそのSDGs達成率のナンバーワン国デンマークは天国なのかというと、そうでもないですよと警告を発している本作なのである。カンヌ映画祭で問題作を連発し続けるラース・フォン・トリアーと共にドグマ95を提唱した盟友トマス・ヴィンターベアだけに、福祉大国デンマークに向けられる眼差しはかなり批判的だ。ある少女がついた嘘をきっかけに、近隣の住民や仲のよい友達から村八分にされ、スーパーでは食料も売ってもらえず、窓ガラスには石を投げつけられ、ちょっとおバカな飼い犬まで殺されてしまうお話しである。現代の“魔女狩”の標的にされたのは、その高学歴には似つかわしくない幼稚園の先生をしている心優しいルーカス(マッツ・ミケルセン)。
元はといえば、兄貴の友達が悪ふざけで妹クララに見せたポルノ雑誌のグラビアや、酒に酔うとキスぐせのあるそのオヤジに原因があると思われるのだが、境界恐怖症のクララちゃんがついたたわいもない嘘をまともに信じ、街ぐるみでルーカスに嫌がらせを開始する近所のみなさんもどうかと思うのである。本作を見て、空気を読めない女に対する日本人の陰湿ないじめ体質が描かれていた小林政弘の『バッシング』という映画をふと思い出したのだが、自分たちの大切な子供にイタズラをしたと誤解した普段は温厚なデンマーク人のルーカスに対するバッシングはまさにバイオレンス。さすがのハンニバルも2m近い大男の前ににはなすすべもなくボコボコにされてしまうのだ。
結局少女クララの妄想であることが判明しルーカスの無実は証明され、近隣のみなさんもルーカスを表面上は受け入れるのだが、ヴィンターベア監督はその告発の手をけっしてゆるめようとはしない。隣人を愛せと説くキリスト教の欺瞞に怒りを爆発させるルーカス、そして息子マルクスの初ハントのお祝いに帯同したルーカスが森の中で遭遇するある“事故”によって、ヴィンターベアは人間の本質を赤裸々に描き出すのである。獲物に対する優しさが街の人々が心の中に隠し持っている悪意の象徴であるハンターに狙われたように、時として人間の寛容性が非情な暴力を招いてしまうことを、このラストシーンによって示そうとしたのではないだろうか。
人間の真の姿
くだらなさすぎて引きこまれない
タイトルなし
「正義」のうずに飲まれ少しずつ狂っていく主人公 子供のちょっとした...
生贄を欲しておる!!
粗筋を読んだだけで観たくないと思ってしまいましたが、良くできていて引き込まれ、マッツ・ミケルセンも魅力的で実際に観て良かったです。子供の嘘を大人が誘導尋問し、本人の話は聞かずに警察に通報、と無茶苦茶過ぎて有りうる展開が上手かったです。ファニーを殺した奴誰だよ!!と頭に来ますし、幼稚園のババアは謝りに来る事すらしません(ババアの時点で止められた)し、曖昧なラストだなあと思いきや「お前は哀れな鹿なんだよ!!」というメッセージが込められていました。どう和解したのかは曖昧にして、このラストを選んだのは印象的でした。
普通の人々による惨劇を冷たい質感で描く怖い映画
本当に強い人だ
偽りがなくても罪は深い
ラストの狩猟のシーンがとても意味深で、この映画で本当に伝えたかったことは、人間の業の深さなのではないかと考えさせられた。
何の罪もない動物たちは、いとも簡単に人間の遊びによって撃ち殺される。
同じ動物なのに、人間はその他の動物たちの命を軽いと思い込んでいる。
飼い犬ファニーも、ただルーカスの飼い犬であったがために、巻き添えになって殺されてしまった。
命拾いしたルーカスは、鹿の立場になってようやく自分の罪に気がつき、目が覚めた…というように解釈しました。
冤罪によって酷い目に合ってきた自分と鹿を重ね、何の罪もないのに何故人々は酷いことをするんだと思っていたけれど、自分は鹿の命を当然のように奪ってきたじゃないか、と。
冤罪 大人はクソッタレ
静かに流れる感じがストーリーと相まって凄く切ない気持ちにさせられました。劇場で観てたら本当に握り拳しちゃう感じ。
マッツミケルセン…いや凄いです
良い演技でした。ほぼ観るの初めてくらいだけど、すごく役に合ってたな。美形だからそれがまた怪しく見えたり、何考えてるか分からなかったり。
マルクスが現れた辺りからすごい興味深くなっていった。町の人の反応とか。
だってオカシイよ完全に。ルーカスの家に石投げられた時点からもうキレそうになって。なんで罪のない犬を殺すのよ。悪人になら何してもいいの?そんな権利だれにあるの?
マルクスが苦しむ事をだれが考えた?クララを信じて守ってるはずの大人が、何故他の子のことは考えられない?ルーカスを責めることでクララを守れてる?守るってどういう事だろう。ルーカスの味方をしてくれた眼鏡のオジさんがマルクスに「私はいつでも君の味方だ。何でも頼ってきなさい」的なこと言ったけど、それが本当の意味で子供の気持ちを理解する事だったり守るって事なんじゃないのかな、と思った。他の大人がしている事は、クララを守る事だとは思えない。ただ物理的に守る事に必死だったり、本当にクララを信用したり心情とか考えるべきだ。
ルーカスはクララを抱きかかえた。それがもう、すごく適切な判断というか、ルーカスの前向きな姿勢を感じた。そうしなければ、自分の身の潔白を証明出来ないし、クララにも悲しい思いをさせる。
ラスト、この事件の記憶が消えることはないのだと思い知る。誰の目も疑いの目に見えるし、ルーカスは常に緊張感を持ちながら生活しざるを得ない。さらに安心してたら命を狙われたりする。この街で暮らす限り2度と彼に平穏は訪れない気がする。
でも彼女もどってきてよかったな〜〜
マッツ・ミケルセン
とっても面白いけど心にダメージ
関連した話で『それでもボクはやってない』を思い出した。性的な事件で...
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