「これが外国語映画賞とったらみんなハッピー」偽りなき者 たがやすさんの映画レビュー(感想・評価)
これが外国語映画賞とったらみんなハッピー
タイトルに下記との繋がりはありません。個人的な願望ですので、流してください(。-_-。)
この映画、デンマークの山奥にある村で幼稚園の先生を務めるルーカスは子供達の人気者、親友のテオや村の仲間とも頻繁に交流している。しかしルーカスの幸せな日々を脅かすのは、親友テオの娘クララの小さな罪だった。幼いクララが言った抽象的な一言を大きく解釈してしまった幼稚園の園長は専門家を呼び、「ルーカスに卑猥な行為を受けたの?」と何度もクララに尋ねた。しかしクララがルーカスを嫌うのは、彼を好きでハートのビーズアートを贈ったのにルーカスに相手にされなかったからである。専門家に何度も尋ねられたクララは彼にフラれたとも言えず、うなずいてしまう。
そして保護者が呼ばれ、警察の捜査が始まり、ルーカスはクララに犯した罪を問われ幼稚園から追い出されるのだ。無実の罪を受けたルーカスは親友テオや村の仲間はもちろん、村のショッピングセンターへ行くことさえ拒まれるのだ。
この映画「偽りなき者」は警察が罪を着せる話でも、誰かが恨みを持ってルーカスを陥れる話でもない。これは、安直に子供の言葉を信じ込んだ大人たちが一方的な立場でルーカスを罪人扱いしてしまった物語である。子供にはルーカスを裁く能力も、罪人にする力もない。
罪を着せられたルーカスが親友テオの家で「僕を信じているか」とテオに話す場面で、テオは「娘が嘘をついてるのか。出て行ってくれ」と強引にルーカスを家の外に出す。それを見たクララが大きな間違いをしてしまった事に気付き、「何もなかったの、私がわざと言っただけ」と母親に言っても「嫌な出来事の記憶は忘れようとするのよ」と相手にしてもらえない。これはまさに大人の思い込みが事件を難しくしてしまっている。子供は嘘をつかないという話もここで矛盾してしまっているのだ。
その後クララはルーカスの家に「あなたの犬(ファニー)の散歩をする」という口実で訪れるが「ママに許可を得なければ駄目だ」とクララを追い返してしまう。しかしクララは自分が招いたこの問題を解決したい、その正義感がルーカスの家に導いたのだ。
さらに掘り下げるとこの映画は誰が悪いなどということを問い詰めることはしていない。幼稚園の先生をつとめるルーカスはクララに真実を言って欲しかっただけなのだ。
もしクララが被害者とするならば、これはクララとルーカスの問題であり、それを他人が過剰に反応するのはクララの意見を無視したエゴであって家に石を投げ入れるなどの復習をたくらんだり、スーパーマーケットで拒んだりするのはクララが望むことではない。それでクララの気持ちが晴れるわけでもない。
しかし社会は厳しく、簡単に信頼を失ってしまうのだ。罪人が自分の店で買い物をするなんて。という意識である。
映画には語られないテーマの話題になるが、そもそも幼稚園の園長が「この問題は隠密にすませたい」という場面がある。そこで私はこの園長は信頼できるのでは。と思ったけど園長は専門家一人の問い詰めにより簡単に決定してしまう。ルーカスはやっていないと言うが、クララはうなずいている。クララが嘘をつくはずがないという勝手な思い込みだけで判断してしまった。彼の信頼は初めからなかったのか?と疑問に思ってしまった。
何が言いたいかというと、片方の話だけで結論を出してはいけない。両方聞いて矛盾しているならばどちらが間違っているかを考えなければいけない。それは偉い専門家が結論を出したとしても同じである。村に広まったうわさとは恐ろしいものだが、誰かが判断したうわさの断片でものを語ってはいけないということだ。多数決の不正確さもこの映画を見たものならばよくよく理解できるだろう。
猟銃で鹿を殺した後に彼が罪人となる構成の面白さや彼が罪を犯している可能性、半年後の主人公の気持ちなどのまだまだ話足りない部分はあるけれど、それはまた年を重ねてから書きたいところである。