「嘘も100回言えば真実となり、子供が善人と言う思い込みの怖さに耐えられない!」偽りなき者 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
嘘も100回言えば真実となり、子供が善人と言う思い込みの怖さに耐えられない!
予告編を観てから、この作品を見る為に映画館を訪れた観客は、既に主人公の身の上に降りかかる大事件の内容を知ってしまっている訳だが、それでも直この作品には、観客の心を惹きつけ、飽きさせない力が充分にあった。
そして、ファーストシーンの10分程で、主人公であるルーカスが暮している町の人々の様子とルーカスとの関係性や、ルーカスの人間性の総てが、この短い時間に要約されてぎゅっと描かれ、観客である私達は、ルーカスの人間性の真実を知る証人となるのだ。
そんなシーンを描いたカメラワークは最高で、シナリオも抜群に素晴らしいできだった。
しかし、ルーカス以外の映画の中の人物達は、ルーカスの身の潔白な事を知らないが為にルーカスに対する、疑いと憎悪の想いは留まる処が無く、日増しに大きくなって行くのだが、当のルーカスは幼なじみで有る大親友のテオの娘が、悪気の無い、子供の口から出た作り話と言う嘘が原因で、自分が濡れ衣を着せられる事になった事実を知った後は、身の潔白を訴えはするが、決してその親友の娘を攻撃し、貶めるような真似はせずに、ひたすら無実だけを町の人々に訴えてゆくのだ。
ここに彼が、真面目で優しさに溢れる真の教育者でもあると言う姿が見えて来るから、観客は、歯がゆい思いで先行きをジーッと見守る事しか出来ないのだ。
この作品は1度でも信用を失ってしまった人間は、社会の中では赤ちゃんよりも弱者になってしまい、人間社会の中に於いては、事の真実がどうであれ、1度着せられてしまった濡れ衣を払う事はその殆んど不可能であり、嘘が一人歩きをして、伝言ゲームの様に噂は、どんどん勝手に膨張し、それに伴い憎悪だけが倍増する恐怖を見せ付ける。
あなたが、もしもルーカスだったら、どんな行動をするだろうか?
そして、ものもルーカスの友人だったら、自分はどんな行動をするのだろうか?
此処に、人間の弱さと強さ、そして愚かさ、都合の良さなどの身勝手さが鋭く描かれる。
私達、普通に暮らす平凡な人間は、日々冷静に思考し、理性も知性もあるので、そう間違った判断や、行動を起こす事など無いと信じているが、その事自体が何の根拠も無く、直ぐに容易く人間は他者を見る判断基準を変化させてしまう恐さをこの映画で見せ付けられるのだ。
これ程、映画を見ていて、恐い事は無かった!
自分には真実を見極める目が有るだろうか?
そしてルーカスの様に勇気を持って生きる事が出来るのだろうか?
正直私には、自信が無い。
そして、幼稚園の園長は仕事柄からか、或いは責任上からか、真実を調べた上で言っている様に語るのだが、現実的には、そもそも自分自身が見たいであろう事を言い続けるのであって、真実を究明しようとしているとしながらも、自分の思い込みの世界から抜け出す事が出来ないでいる。そればかりか、思い込みだけで物事を語り、心を開かない。ここに人間の恐さが浮き彫りになる。そしてラストも息が抜けない程恐いのだ。
さすがは、トマス・ビンターベア監督・脚本作品である。
彼の前作「光のほうへ」も信じられない様な、絶望的なストーリーを付き付け、人間の真実を浮き彫りするのだが、本作もその前作を越える秀作で有り、問題作だ。
本当に、子供は嘘をつかないなどと言う想いこそ、私達大人の勝手な思い込みなのだ。
これ程恐い映画は、他に無い!そして俳優陣はルーカスのミッツ・ミケルセンを始め、皆素晴らしい芝居を展開してくれていた事で、更にこの映画に真実味を加えていた。
ドグマ95の映画は衝撃的だが素晴らしい力を誇っている。