セデック・バレ 第二部 虹の橋のレビュー・感想・評価
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セデック・バレの美しさたるや!
一部、二部を1日で鑑賞完了。
この映画を観るまで、恥ずかしながらこんな歴史が、こんな文化があったことを知らなかった。
彼らの文化の美しさと素晴らしさに感動するとともに、歴史上繰り返されてきた全ての侵略や植民地化という暴力に心底腹が立つ。
教科書上は彼らの文明が踏みにじられた事実がたった一行で説明されてしまうことすらある。
他にもマヤ、アステカ、蝦夷、アイヌ、アボリジニ、アフリカ、アマゾン、そしてこのセデック・バレも。
失われたものたちの偉大さと魅力を、そして無念さを強く感じさせられる作品だった。
長尺なこともあるけど
セデック・バレたちの歌、踊り、祭り、ファッション、生活、宗教感、思考、身体能力、文化の継承に至るまで、その魅力や情報がぎゅっと詰め込まれてて、かつその構成も上手くて納得感が強い。
森の中を駆ける勇猛なセデック・バレのシーンはどこを切り取っても美しい。。戦士たちのカッコよさよ。
物語上、戦闘シーンもかなり多いのだけど、どのシーンも迫力があって、場面や撮り方も違って、観客を飽きさせないのが上手い。
冒頭はセデック・バレたちの伝統的な狩りのシーンや部族(社)同士の対立シーンから始まり、日本軍が絡み、どんどん悲壮感を増してゆく。
残酷な描写も多いのだけど、どのシーンも本当に素晴らしい。戦争の虚しさを感じさせるための残酷さという要素が多分にある。
個人的には、最後の日本軍鎌田のセリフだけはいただけなかった。。武士道に通じるものがあるということが理由で賞賛されるべきではない。賞賛され、尊重されるべきはセデック・バレの文化そのものである。
個人的にもうひとつ、、前述とは完全に矛盾するのだけど、セデック・バレにある「虹の橋」という極楽浄土的な思想は悲しく切なかった。あの世ではなくこの世で人生を、文化を繋いで欲しかった。(もちろんその思想なしでは到底救われない世界だったからこその産物なのだともわかってるけど)
Wiki情報によると事実では彼らは霧社事件で日本軍に対してたいした実ダメージは与えられなかったようだが、そんなことはどうでもいい。
ただただ、失われた文明の尊さと美しさを感じさせられる名作。
失われた文明の尊さを訴える同様の作品としては
シネマ歌舞伎のアテルイ、彷徨える河
本だと パパラギ もオススメです。
一部、二部一気に見終わりました。二部は戦闘のシーンが中心です。 キ...
一部、二部一気に見終わりました。二部は戦闘のシーンが中心です。
キャストの方はほとんどがセデック族の方で素人さんということですが、
戦闘シーンでの身体能力の高さが画面から伝わってきて、
後の太平洋戦争時に、ニューギニアでは高砂義勇軍として
ジャングルを素足で駆け巡り、困窮した日本兵を助け、蛮刀を手に
果敢に敵陣に切り込んでいく勇猛な姿を彷彿とさせました。
多少脚色されているとはいえ、この事件が起こったのは史実です。
日本人の他文化に対する無理解が衝突の引き金になったことは確かでしょう。
民族の誇りを守る為に女子供も巻き添えにして死んでいくセデックの男たち。
方や、自国民を惨殺した原住民の妊婦達を保護し、優しく接する日本人の姿。
決して日本人だけが絶対悪ではないと感じられる描き方は
皮肉にも、その後の日本と高砂族と呼ばれるようになった彼らとの
戦場の中で生まれた絆に続いていくのだと思いました。
当時アジアでもっとも近代文明化された日本人と、日本統治下の
台湾の中のさらに原住民族の彼らとの接点はなんだったのでしょうか。
第二部の終わりに河原さぶさんが演じる台湾守備隊司令官が、
セデック族の中に日本人が失くした大和魂を見たと語るシーンがあります。
大和魂とは何かをここで語ることはできませんが、刃の交わりをきっかけに、
出自や背負う民族の歴史を超え、お互いが大切にしているものを理解し、
対等な立場で尊重しあえる世界があることに気付く入り口に立ったのだと私は思います。
それはセデック族側からも同様で、高砂族と呼ばれるのを受け入れた彼らを
日本の同化教育の結果と言ってしまっては、セデック族の方に失礼というべきでしょう。
この監督の次作にその答えの一つが描かれているように思えてなりません。
胸が張り裂ける
臨場感溢れる作品で劇場で鑑賞しなかったことを後悔しました。
私は、セデック族と日本兵との激しい戦いよりも何よりも一番心に突き刺さったのは、セデック族の女性達が小さな子供を連れて、「男たちはどうしてこうなの」「この子達が可哀想」と歌いながら首をつり自決するシーンです。同じ女性として胸が張り裂けそうになりました。
死後の魂の存続を信じるセデック族の死の価値観は日本人である私とは違います。ただ、文化が異なっても女性達は戦争になると真っ先に自分が犠牲になることを知っています。自分の命よりも大切な子供を失うことを知っています。
台湾でも沖縄でも女性達が子を連れて自決した歴史があることを、私は一層忘れることができなくなりました。
最後にそれはないだろう
日本の統治に対して蜂起し、霧社から日本人を消し去ったセデック族。しかし、近代武装した日本軍が本格的に掃討戦を始めれば、地の利を活かしたゲリラ戦で相手を苦しめることはできても、最終的には山中に追い詰められていく。戦いの中で命を落とすだけでなく、自決をはかる者たちも出てくる。
そんななか、日本の高等教育を受けて文明の価値も理解し、天皇の赤子として近代国家の建設に力を注ぐことに喜びを感じていた兄弟は悩む。出身部族は今や滅亡の運命が明らかである。彼らには自らの努力でつかんだ日本社会での地位がある。しかし、この出自を背負ったままでは、同じ天皇の赤子であるはずの日本人から侮蔑を受け続ける。生き続けるにしても、死ぬにしても、一体自分たちは何を誇りにすればよいのか。逡巡しながらも、そうした一切の呪縛から自由になることを願って命を絶つ彼らこそ、この事件での最大の被害者であり、恩讐を乗り越えた場所に最初に到達した人間なのではなかろうか。この長い作品の中で、最も切なく、近代化の悲劇を象徴している。
セデック族の戦士が残すところわずかに数名というところで、頭目のモーナが、「戦いたい者戦え。投降したければ投稿しろ。自分は日本軍に捕まるわけにはいかないから山奥に消える。」というようなことを言う。
ここにきて、この英雄がどうしてこのように落とされなければならないのか。一部族のほとんどが死に絶えたことへの責任の取り方がこれでよいのだろうか。最後まで戦って、誇りと掟を守り抜くことが蜂起の目的だったはずではなかったのか。私が、頭目の共にこの瞬間まで生き残った者ならそのように思っただろう。この頭目は最後の最後で、ここまで自分についてきた者たちを、先ほどの兄弟と同じ苦しみの境地に叩き落とすのである。
観客を圧倒するカメラワークと、頭目モーナの人物としての魅力につき従ってきたこの長い物語の果ての、この彼の言動への理解が出来なかった。
監督が着地点を見失ったバカ映画
セデック族が蜂起するまでを詳細に描いた第一部に対して、ファンタジー映画か!?と思うほどの第二部のトーンの変わりっぷりにビックリ!
ゲリラ戦のプロの如く日本軍を圧倒するセデック族。
日本兵をマシンガンで薙ぎ倒していく少年ランボー。
なのに、追い詰められて自決するセデック族という矛盾。
事実は、日本兵22人・警官6人しか殺られてないのに、劇中ではその何倍も殺してるから追い詰められるセデック族の描写が矛盾してんだよ(笑)
あげくには最後に日本軍将校に「我々大和民族が100年前に失った武士道の精神を見たのだろうか!?」と陳腐なセリフを吐かせる始末。
事実は、日本軍の圧倒的武力で簡単に鎮圧され倫理的教育を施されただけなのに(笑)
女子供を虐殺しといてどこが武士道だよ...
監督が、何が善で何が悪かわからなくなってしまった。と言う通り、今の時代から見たら明らかに倫理観の欠片も無い蛮族を英雄に描きつつ、日本軍も殊更悪くは描かないという、台湾と日本双方に配慮しすぎて、着地点を見失ってしまったとしか思えないバカ映画。
事実は、巡査殴打事件から自分の地位を奪われる事を恐れたモーナ・ルダオがテロを画策して、都合悪くなると自分だけ逃げた卑怯ものだから、監督が霧社事件を調べるうちに善悪わからなくなったのも仕方ないか(笑)
心を揺さぶる、驚きの作品。
軽い気持ちで、見に行った映画だったけれど、あっという間に、映画の中に引きずり込まれてしまった。日本人として、複雑な気持ちになる内容ではあったが、この映画は、理屈抜きの凄さがあり、人の心に何か突き刺さる何かがある。アメリカインディアンの戦いをも彷彿させる。映画の中に出てくる自然、歌の美しさ、とにかく、飽きさせる部分が一部、二部ともない。緊張感を持ちながらの映画鑑賞は、久しぶり、だった。
不謹慎なほど面白い
前編がそれまで抑圧されていた人々の武装蜂起のカタルシス溢れる展開だったので、後編は敗残兵として山に追われ、一人二人仲間が殺され……といったような鬱々とした話ではないだろうかと予想して見に行ったら全く違っていた。鎮圧しようとする日本軍を互角かそれ以上に一歩も引いていなかった。決死の覚悟で『ワイルドバンチ』『硫黄島からの手紙』のような徹底抗戦だった。
それに対して日本軍も他の部族を引き込んで戦わせ、毒ガス攻撃までするなど、ひじょうにえげつない。モーナたちを応援したい気持ちと、日本軍に頑張ってほしい気持ちで引き裂かれるような気持ちで見た。命と命がぶつかり合い、奪い合う激しさがとんでもないテンションで描かれていて腰が抜けそうだった。
民族として生き残る事が重要なのか、誇りを失わないために命を投げ出すことが大事なのか、どっちも大事にできる方法は果たしてなかったのだろうか。か弱き者たちが命を失う場面はとにかくつらい。
エンターテイメント性が非常に高く、不謹慎なほど面白かった!
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