さよなら渓谷のレビュー・感想・評価
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「幸せ」?「不幸せ」?
まだ胃の中に留まってる。レイプという「罪」を共有してはいるけど男女でその保存フォルダが間逆。罪のせいで苦しみ続けた女と罪を抱える苦しみを持つ男。奇しくも再び出会った2人。女は男を許さない為に常にレイプの過去を持ったまま暮らし、男は罪滅ぼしの為に女に従い暮らす。全ては互いの「不幸」のために。
あくまで男の立場からしか物申すことは出来ないが、男は弱い。すぐに情が移る。だから、男は最後女と「幸せ」になることを夢見てしまう。おそらく女はそれを察してしまい「幸せ」を受け入れることが出来ずに「さよなら」を告げたのであろう。
あと、ラスト直前に大森南朋の夫婦が、それまで喧嘩ばかりしていたのに、2人の夫婦の愛を確かめるシーンが入る。素晴らしい対比だなと。お互いの「幸せ」を望んで結ばれたからこそのシーン。
この辺がすごく良かったのかなと。
難しいな
『さよなら渓谷』を観て“呪い”とどう向き合うかについて考えた話
決して愉快な話じゃなく、泣けるでなく、生きるチカラが湧いてくるお話でもないですよ。
それは間違いないんですけども、なんだか観終わった後に、いっぱい宿題を出されたような気分になりました。それを自分なりに答え合わせするために、これから何度か観返さなきゃいけないんだろうなと思います。もうちょっと仕事のヤマ場を越えてアタマに余裕ができたら、ちゃんと考えて、改めて感想書きたいなぁと思うんですけども。
僕はこの映画、“呪い”とどう向き合うかのお話だと思いました。
“呪い”っていうと、オカルトが思い浮かんじゃいますけど、そういう怨念とか恨みとかが、超常現象的に誰かに降りかかるというものじゃあないんです。
この映画での“呪い”とは、「レイプという事実」のことですね。
「レイプという事件」は、法的な処罰とか補償で決着はつけられるものなんですけど、「レイプという事実」は被害者でも、加害者でも、法律でも、誰かの死をもってしても、どうしようもなく消えずにつきまといます。被害者が許す・許さない、加害者が償う・償わないにとどまらず、当事者が関わる人たちにも降りかかるものとして、苦悩や偏見や、時には暴力に姿を変えながら拡散していきます。その“どうしようもなさ”と戦うのか、受け入れるのか、放り出すのか。そういうことを考えさせられた映画でした。
レイプをしたこともない、されたこともない僕には、「あぁ、被害者はかわいそうだね。加害者はヒドいね。」以外の立場を許されないような気もしますし、もっと言えば「被害者をかわいそうって思うのは、レイプ被害者を見下しているんじゃないか」って思っちゃう側面もあって、思考停止しちゃいそうなんですけど、そんなんだったらこの映画を観る意味がないし、この映画が作られる意義もなくなっちゃいますよね。
だからもっと普遍的な意味で“呪い”が自分に振りかかったとき、どう向き合うか。それを考えるキッカケになる「良薬は口に苦し系」の映画だったと思います。
僕にとって秀逸だったのは、ラストシーン。
大森南朋が大西信満に、ある質問をします。その回答が観客に委ねられるようなカタチで映画は終わるんですけど、「A or B ?」で考えたら負けだと思いました。
「はぁ?てめぇ、わかったような顔して全然わかってねぇな!」
と、僕が大西信満だったら答えるような気がします。
「A or B ?」って質問すること自体、質問されることそのものが、“呪い”なんだなぁとゾッとしましたよ。
力量不足
ヅラでしょうか。
原作のドキドキ感なし
もや
あらすじにすごく惹かれて観たが… そもそも真木よう子、美人だし、演...
難役を演じた真木ようこがすごい
悪い意味じゃなく良かったです。
『さよなら渓谷』
不幸の共有
レイプされたことから始まった不幸。加害者にとって何をすることが不幸以下なのか?被害者であるかなこは一緒に生活し身体を重ねることを選択する。加害者の俊介にとっても思い出したくない過去となっているだけに、それが不幸の共有に。
始めは上着をかけられることさえ拒んでいたかなこが時間が経過すると受け入れていた姿や、ビールを注いでもらっていた姿がとても印象的だった。
結果的に、俊介を警察に突き出してしまうのだけど、ここの解釈の正解はひとつではないと思う。
また別の事件から二人に関わることになったマスコミの渡辺も私生活では妻とうまくいっておらず、レイプの被害者と加害者がうまく生活している姿に自分を重ねてしまう状況が比較の対象として斬新だった。
最後のシーンで、俊介が「さよなら」の一言だけの手紙でかなこが出て行ったと話す。
これは、一歩違えば出て行ったのは渡辺の妻だったのだろう。
とても難しい内容だったので、自分勝手なレビューに。ごめんなさい。
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