「女はなぜ、そうしたのか……」さよなら渓谷 CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
女はなぜ、そうしたのか……
『パレード』('10年)『悪人』('10年)『横道世之介』('13年)と、いま旬の監督達が積極的に映画化に挑戦する吉田修一の原作を、『まほろ駅前多田便利軒』の大森立嗣監督が映画化。
幸せになれない女と、幸せになる事を許されない男。過去の事件を引きずり、その呪縛から解き放たれる事なく「一緒に不幸になろう」と誓った男女の、何とも不思議な関係を描く。
過去の事件の被害者である女は、加害者である男と同棲生活を始める。過去の事件の呪縛から解放されるためだろうか、女は男に激しいセックスを求め続ける。男は黙って女に従い優しく接する。その生活は、この映画の狂言回しである記者(大森南朋)の目から見ると「仲良くやっている」ように写る。
しかし、女は男に「何も文句を言ってくれない」とつぶやき、そして男の前から消える。男は「幸せになりそうだったから、彼女は出て行った」と捉える。
女は、自分が幸せになる事を拒んだのか。あるいは、男が幸せになる事を許せないと考えたのか……。
なかなか考えさせられるストーリーだ。
事件の被害者・加害者という側面でこの男女関係を捉えると、「被害者と加害者が同棲するなんて……」という思考に入ってしまうだろう。実際、そういう視点が狂言回しである記者から与えられる。しかし、本質は「被害者と加害者が同棲生活を送る是非」ではなく、そうしたシチュエーションはもちろん大事ではあるものの、単に「装置」であるだけで、この2人の男女の心の動きクローズアップするために用意させられただけだ。本作は、女の最後の行動=心の機微を、どうやって解釈するかって事にこそ、面白みがある。
もっとも、この記者は(あるいは後輩の女性記者も)、最初から最後までずっと野暮な視点を持ち続ける。それは、「野次馬」=観客の視点でもあるわけで、そもそも女と男の関係なんてものは、赤の他人には絶対に理解できるはずのないことを、原作者はいいたいのかもしれない。
作品に冒頭、この男女の隣家の主婦が起こす事件が描かれるのだが、そちらの事件については、うっかり見逃したのか、最終的にどうなったのか。ストーリー上、キッカケでしかない事件ではあるが、インパクトがあるだけにそこが気になった。