千年の愉楽 : 映画評論・批評
2013年3月12日更新
2013年3月9日よりテアトル新宿ほかにてロードショー
中上健次による<路地>の世界を、ラフな奔放さで描いた若松孝二の遺作
昨年、不慮の交通事故で急逝した若松孝二の遺作が、中上健次原作の「千年の愉楽」であることは、当初、意外な気がした。しかし、プロローグで霧に包まれた岩窟が写し出され、山の斜面に張りつくような集落風景のインサート、その<路地>で生き死にする荒ぶる男たちを見ていると、中上が紀州の<路地>にこめて描出した血族の呪縛、神話的世界と若松の<性と暴力>にまみれたスキャンダラスな作品群とは深く通底しあっていたと納得されるのだ。
ただし、日本文学の古層に深く分け入るかのような叙事的な語り口の原作とは異なり、若松孝二は通常通り、低予算、早撮りというルーティンを遵守し、息せき切ったようなラフな奔放さで強引に押し切ってしまった感もある。
産婆として荒くれ者たちの誕生と死に立ち会ってきたオリュウノオバ(寺島しのぶ)が、死の床で、夢うつつのままに遺影の夫・礼如(佐野史郎)とユーモラスな対話を交わす中で、回想が重層化されていく。オリュウノオバは、かつての「犯された白衣」で暴行魔を慰撫する少女、「聖母観音大菩薩」で絶望した男たちを全身で抱きとめた八百丘比尼など、若松孝二が繰り返し描いてきた<聖なる母性>のイメージの集大成といえる。
寺島しのぶが時おりみせる慈愛に満ちた表情が印象的だが、セックスシーンが、従来の若松作品と較べて烈しさ、暴力性が希薄なことも特筆されよう。古い日本家屋の中で繰り広げられる情交はどこか隠微で、饐(す)えた死の匂いを発散し、静謐ささえ湛えているのだ。
これはやはり若松孝二の遺作にふさわしい。
(高崎俊夫)