劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
序盤はこんな世界だったら良かったのにと思わせるような魔法少女達の活躍を見て楽しまされ、それだけでは終わらないよな、というらしい展開もあって期待を裏切らない。でも最後は救済が待っているかと思いきや驚愕の結末。
完全に作り手の思惑通りに転がされた感に大満足した。
初見ではわからない所も多くあるが、物語を楽しむのに支障はないし、後で考察を見て楽しむこともできる。
こうなったら新作も気になってしょうがない。
来年の映画楽しみ
取り敢えず来年の映画のワルプルギスの廻天を楽しみにしている。
正直fateシリーズもそうだがここから初めて見始めようかなと言っている友人がいて正直困惑している。
正直この映画の新編の叛逆の物語自体初公開は2013年で配給元のアニプレックスが携わった総集編は2012年の前編【始まりの物語】と後編【永遠の物語】にわけて公開された。
それなのにそこをすっとばしてここから見ようとするのは前後関係もわからず鬼滅の刃の無限城編をみてなんか猗窩座カッケエ!みたいに叫んで映像美がーとか効果音や立体音響スゲエー!とか言っているにわかキッズと同じでその友人と見るのは正味嫌な気がする。
TV版と劇場版を見てから視聴することを勧めるも映画見て気がのれば見るとのことらしいがそれで見たところで満足するだろうか?
ワルプルギスの夜は?魔女化は?ソウルジェムは?あのシーンでの意味深な台詞は?とか叛逆の物語のときですら初見でわからずに何度も劇場版に通っていた人がいるのにあまりにも作品に対する造詣というか認識が低すぎる。
あまりネタバレはしたくないから個人的な愚痴ばかりになってしまったが映画は最高でした、この映画も含めて。
ただやはりTV版の方(Editionじゃない方)が表現や台詞の誇張加減とか適切な気がする←さやかの【あたしって、ほんとバカ】とかね。
映画は映画の表現があるからそこは仕方ない部分はあるだろうけどとにかくワルプルギスの廻天とても楽しみです、それまで考察サイト見たり、またTV版や劇場版見直してきますね。
廻天プレビュー、叛逆からの相互補完による永久機関の実現か?
叛逆は序破急の破。設定・脚本・構成・物語・美術表現、いずれも高いレベルでバランスが取れていて・・喩えるならロマネ・コンティ。
2026年2月に「廻天」を控えていますが、こちらも観る前にマイ基準で⭐︎5確定。以下に理由を記しておきますが、
1) 予告編、キービジュアルから、廻天を序破急の「急」として、特に、キービジュアルのポスターは、物語としての完結だけでなく、作品の世界観を象徴的に完結させていると見ています。それはざっくりと、陽(まどか)と陰(ほむら)による相互補完、それによる世界創造。(←西洋的な二項対立でなく東洋的な相互補完)
2) ほむら推しなので、反逆からの流れでほむらがほぼセンターになりそうなので、結果はどうあれOK。(←私情バイアス)
3) ダークファンタジーなので、1960年代〜1970年代のアメリカン・ニューシネマ(ニュー・ハリウッド)のような鬱展開は所与〜バッドエンドでも文句が出ない〜として、これが逆にハッピーエンドに着地するようであれば、祭り状態が起こり得ます。(←減点要素に乏しく潜在的に加点要素が大きい)
4) 検索エンジンのAI さんが頑張っていて、「まどマギ ほむら 最後」で検索すると、ほとんどそうだろうというネタバレが出てきてしまう。この作品は予習がmustなので外れていたとしても参考になります。(←ネタバレ注意)
5) 結末が想像できるとして、そこにどう着地させるかは、脚本と構成、各場面での演出。結末に至る過程としてキービジュアルのポスターで注目しているのが、キュゥべえの座っている位置かな。
本作の映像表現、SF設定については追って私見を加筆します。
・・・
追記です。
1) 映像表現〜美術作品。マニエリスム、シュールレアリスムの系譜。
・まず、劇団イヌカレーの映像表現、これは系譜的にオリジンが実写でもアニメでもなく、「美術」にあると観ています。かなり好みなのですが、好みは分かれるところでもあり、シュールレアリスム系に抵抗が無ければ受容し得る映像表現・・代表的にはマックス・エルンスト。
・ (続き)アニメでは、ロシア・チェコの作品の影響を受けているようですが、具体的にはおそらくユーリ・ノルシェルティの「霧に包まれたハリネズミ」@1975、ヤン・シュバンクマイエルの「アリス」@1988辺りか。
・ (続き)シュールレアリスム作品を含めてそれらのオリジンを遡ると中世後期の「マニエリスム」・・ミケランジェロをルーツにフォンテーヌブロー派やエル・グレコ。 (次回作「廻天」のキービジュアルはジュリオ・ロマーノの「神々と巨人族の戦い」を思い起こさせます。)
・ 実写に寄せていくアニメ表現のCG化は大きな趨勢ですが、むしろ、精細な背景xデフォルメされた2Dキャラという表現の組み合わせの方が好みです。ほとんどアートと言っていい水木しげるの「妖怪画談」シリーズを思い起こさせる。
・・・
2) SF設定〜宇宙論的には「宇宙の熱的死」がベースシナリオ。ただし、ファンタジー設定として「対称性」を組み合わせながら進めると、「廻天」で物語の劇的転換が起こりそう。
・ 初期の頃、作品の設定を全体的にファンタジーと捉えていたので、「叛逆」を観終えるまでSF設定についてあまり考えてこなかった。
・ 【エントロピー】付け焼き刃になりますがハードSFファンの1人として考えてみると、まず、ベースシナリオで問題となるのは宇宙全体での「エントロピー」。(キュゥべえ達の対策は、エントロピー増大には目を瞑り、熱的平衡を先送りするための絶えざるエネルギー供給の方。)
・ もし宇宙が「孤立系」ではないと設定すると、エントロピーの「捨て場」を新たに持ち込めることになって、キュゥべえ達の懸念も存在意義も不要に。
・ 【願いと代償】エネルギーを消費するとエントロピーの発生を免れないというのは、典型的には希望に対する絶望、まどかの「救済の魔女」(←エネルギー)に対する「絶望の魔女」(←エントロピー)。「円環の理」を発動させると副作用/反動を免れないわけです。
・ であれば、絶望の魔女をよそで吸収してしまえばいい・・それができるのはもう1人の神であるほむらであって、「叛逆の理」(仮称)によってそれを行なった時、今度はまどか同様に副作用/反動を免れない・・それが「舞台装置の魔女」(ワルプルギスの夜)、もう1人のほむらということに。
・ 【陰と陽の対称性】であれば、絶望の魔女とワルプルギスの夜を倒してしまえばいい(かなりテキトー)。相打ちにさせるのもありだけど、まどかvs裏ほむら(ワルプルギス)、ほむらvs裏まどか(絶望の魔女)・・これだと予告編での「世界は“彼女”を許さない」の辻褄が合うし、「叛逆」でのほむらの台詞(まどかとほむらが敵になる)も理解可能。
・ 【相互補完・永久機関】まどかとほむらが戦いを終えた後で「円環の理」と「叛逆の理」(仮称)を作動させると、まどかからのエントロピーをほむらが吸収するか、理想的にはこの2人による仕組みが「永久機関」であればエントロピーは大域的に発生しない。
・ 【ホログラフィック原理】最後に、まどかもほむらも世界の書き換えができるということは、それぞれ神です。SF設定として世界の書き換えは「ホログラフィック原理」によります。3次元空間であれば宇宙の果ての2次元の事象平面に書き込みを行う、余剰次元込みで10次元であれば9次元の超曲面に対して・・林檎の皮に書き込むと等価/双体の関係で林檎の中身が変えられる。(←アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」@1982、同「3001年終局への旅」@1998、レオナルド・サスキンドの「ブラックホール戦争」@2009)
・ 【陰と陽の対称性(補足)】アルティメットまどか、悪魔ほむらはそれぞれ神。二項対立的な神と悪魔ではなく東洋的な陰陽の関係と考えておきます。ただし、神をもってしても願いと代償の原理を免れず、まどかからもほむらからもそれぞれ一対の魔女が派生。自身の鏡に対して単独では対処できないので、まどかとほむらとが一対を成して解決するというファンタジー構成のイメージです。
・ 【神身分離?】(続き)クラークの設定では、銀河系を勇躍する魁(さきがけ)族は、既に肉体を持たず、例えるなら林檎の皮に自身を埋め込んでしまっている情報生命体/精神生命体。ホログラフィック原理の設定でいくなら、まどかもほむらも神々の機能と肉体とを「分離」することで、神として永久機関を回しつつ、人として仲良く暮らすことができます。(←ハッピーエンドシナリオ)
来年の2月に新作映画があるので、3年ぶりに視聴。 狩野英孝の副音声...
来年の2月に新作映画があるので、3年ぶりに視聴。
狩野英孝の副音声付きTVアニメ総集編から続けて観たが、圧倒的に面白い。
そもそも展開を忘れていたため、全てを目新しく楽しむことができた。
特筆すべきは、やはり転校生を紹介するシーン。
TVアニメ第1話でのまどかとほむらの出会い、TVアニメ終盤で描かれる2人の本当に初めての出会い、そしてついに今回は立場が逆転。
あまりにも対比が美しい。
そして、最終盤の廊下のシーンも観ていて美しさを感じた。
3年前と違い、展開を一応全て理解できたのも嬉しかった。
なぎさって急にどうして出てきた?、(ほむらのソウルジェムの中の世界で)さやかだけなぜまどかの記憶がある?など疑問に思っていたのが正直なところだ。
ちゃんと観ていれば
なぎさ=ベベの本来の魔法少女の姿であり、魔獣の世界がソウルジェムの中の偽見滝原の外の世界であるため、既に円環の理に導かれている
さやか=魔獣の世界で円環の理に導かれている
のだと理解できた。
円環の理であるまどかに叛逆するシーンはなぜか胸が高鳴った。これこそ「まどマギ」って感じ。
ワルプルギスの夜がどうなるのか全く想像がつかないし、本当に楽しみだ。
終盤で急展開?
続編があるので、今更ながら観ました
テレビアニメ版は劇場編集版を過去に観たくらいです
まどかが魔法少女になって
魔法少女が魔女にならなくなった世界での活躍になっている
中盤からこの世界自体が魔女がつくった空間だと疑うようになり
これはほむら本人が魔女化しようとしてつくった空間らしい
中盤からの展開は難解なのでわかりにくい
最後は悪魔にほむらが「円環の理」からまどか達を引き抜いた世界になったということかな
なんとなくスッキリしない終わり方なのでバッドエンドっぽく感じる
魔女とかの演出がユニークなので
作画的にはよかったと思うが
途中からの展開は賛否両論ありそう
革命の予感
8回見ました
今日まさかのリバイバル上映初日に行き8回目を迎えます。
この素晴らしさは何回も見ることで際立つ作品です。
1回見ただけじゃダメなんです。
内容を整理してからもう一度見て下さい。
凄いから⭐︎
なんと言ってもTV作品を大事にしているからこそ伝わるものもあります。
8回目なのにいつも同じ所で泣きます。
ほむらの愛は確かに強い。
しかしあのくらいやんなきゃ悪魔になった意味がない。
まどかがいれば良いんだから。
何度も繰り返してたあの頃を思えば当然の行動だよね。
まどか皆に愛されすぎてスゲー。さすが円環の理
そして新予告の衝撃が半端ない。どうなんのこれ。どうかマギレコ要素だけは入れないでくれ。
そしたら冷めるかもしれぬ。
まどマギ仲間が欲しい、、。語りたい。
私は京子推しなので宜しくお願い致します😀
脚本が気持ち悪い&キャラモノ作品
映像については、半分ぐらいまでは凄く良かったです。街の美しさや犬カレーさんの映像、ちょっとしたミステリーを感じるあたりも凄く良かった。特に後半の心理を抽象化した映像のクオリティはぐっと来ました。
ただ・・・
脚本については、ラストに至った心理描写がTV版の設定のみで、それを中心に話が進むので共感できません。
そこまでのパワーなの?とか、なんでそんな選択しちゃったの?って所は視聴者の想像力で補わないといけなかったり、主人公が自分たちの事しか考えてない所も共感できず、中二が考えた物語の様で気持ち悪かったです。視聴者がキャラに寄り添わないといけない、所謂キャラモノ作品です。
凄い事が起きてる感じの映像はクオリティ高いので、
自分が一番共感したセリフは、「わけがわからないよ」です。
愛が過ぎるとこうなるのかな?
ほむらちゃんの愛が重たい映画でした。
一番は?と思ったのが魔獣(?)を囲んで歌い出したシーン。
何の儀式だよこわ。
戦闘服に着替えるシーンとかその歌ったシーンは
ファンサービスだと思った。
町の外へ行くためにバスに乗るシーン千ちひぽかった。
発想が凄いと思いました。ヤンデレ怖いお。14.5.3
傑作のアニメ映画
映像・演出(20)
シャフトが得意とする現代アート的描写や、随所に散りばめられたメッセージ、そしてほむらの心情と共に自在に変化する世界の意匠は圧巻の一言。
20点
世界観(20)
続編なのでテレビアニメの衝撃的な世界観を踏襲しており、相変わらずいい意味で気持ち悪い世界観が広がっていた。
新規性を考慮して16点
脚本(20)
ファンが見たかった光景を描写してからの、ラストの『瀆神』という結末はかなりぶっ飛んだものだった。
しかし、全体としては、ほむらの視点で進む世界の謎解きがメインで日常パート、謎解きパート、戦闘パートの緩急のバランスが取れており、最後まで楽しく視聴できた。
18点
キャラクター造形もしくは心理描写(20)
キャラクター造形に関してはテレビアニメ版ですでに深掘られているため言及は控える。
本作はほむらの心情が世界や魔女に反映されるというかなりユニークな演出がなされており、心理描写自体は標準的なものの高評価。
キャラクター造形8点、心理描写8点で
16点
メッセージ性(20)
本作は特段強いメッセージは存在しなかった。
しかし娯楽作品であること、テレビアニメの影響とそのメッセージ性を考慮し
15点
総評
娯楽作品としては至高の出来であり、細かい描写は何度も試聴をし、謎を解いてみたくなるような良い作風であった。
間違いなくアニメ映画の中でも傑作と呼ぶに相応しい作品である。
85点
上げて落として、上げかけて地獄に堕とす
未だ色褪せないまどマギの世界。
いつ見ても当時を思い出す。
私を深夜アニメに引き摺り込んだ張本人のまどマギ。
ほむらの真相が判明するテレビ版10話はまさに伝説回。
そして待ち望んだ11話の時に、東日本大震災が起こり、放送が延期され、11,12話が一挙に放送するという事態に陥った。
鮮明に覚えている。
さて、そんな結末だったテレビ版の続編ともなると、蛇足感満載で、めちゃくちゃ不安だった。
しかし、開けてみるとなんとも素晴らしい続編でした。
素晴らしいという表現は違うかもしれないが、蛇足ではなかった。
まず、テレビ版からみんなが求めていたものを作ったという点が凄い。
みんな妄想してたよね。
まどかが普通に魔法少女として活躍する展開。
マミさん無双シーン。
さやかと杏子のイチャイチャ。
5人で活動するシーン。
あの頃、いろいろなMADで再現されていたことが現実として表現されたことに感動した。
あり得ないはずの展開を、うまい設定で実現しましたね。
さて、そんなこんなも、テレビを知っていれば有り得ないわけなので、なんか裏があるはずと思っていると、案の定不穏な雰囲気に変わっていく。
そのゾクゾクが、初めてみたときの気持ちを思い出させる。
やっぱり落としてきたかと。
しかし、そのあとの救済っぽい流れから、視聴者を地獄に叩き落とすあの展開。
賛否は別れるだろうよ。
はてさて、そんな蛇足と思われたまどマギに、うまいこと続編を作ったわけだが、さらにこの続編が製作中。
これの続きとか、一体全体どういう話になるのか。
楽しみ過ぎて、早く情報が欲しい。
ワルプルギスの夜を深掘りする気がするね。
期待して待とう。
個人的にはとても良かった
10年以上前、テレビ版まどマギを観て以来の鑑賞。
もっと早く観ておけば良かったな、と思った。
テレビ版のストーリーをうろ覚えなので、きちんとまた観直す必要がある。
正直、それを観たうえでも完全に理解できるか、分からない。考察サイトなどを見てみようかなと思っている。
ほむらをまどかが迎えに来るシーンで結構感動していたのに、あそこからあの残り時間でどんでん返しがあるとは思わなかった。(おそらくあのあたりは賛否両論なのだろうと思う)
イヌカレーさんの魔女空間が本当に好きなので、映画館で観たら最高だろうなあ。
みんなそれぞれ出番があって、キャラクターをより好きになれた。
難解!
杏子がうれしくてうれしくて
2013年11月劇場鑑賞
素晴らしいエンディングで見事にまとめてみせたTV版まどかマギカ、それからから約三年後の新作です。
あそこからいったいどんな物語をみせてくれるのか、足を運ぶ前から興味はつきません。
でもあそこまできれいに終えた作品の続編なので、やっぱり不安もありました。
しかしこれが予想以上に凄かった。
よくこれだけ物語を膨らませてきたと本当驚きます。
色々な要素が詰まっており、「こんな魔法少女達が見たかった」といったファン目線の演出が盛りだくさんでした。
イヌカレーの世界は大幅に広がり、OPも新作入れて、変身シーンなんて行き過ぎな位飛ばしてます。
作画も動きも良く、特にほむらとマミの銃撃戦はすごかった。
個人的には杏子がうれしくてうれしくて、もう。
その演出だけで涙がでそうになりました。
後半からは話も確信にふれてどんどん重くなりますが、それがとても良く作り込まれているので、観ていてすごい引き込まれるんですね。
以前まどかが作り出した世界はほつれを見せ、そのほつれを正す為ほむらは再び輪廻の中に身を投じて行く。
まっすぐで愚直で寂しくて、でもまったく芯がぶれる事はない。
そんな彼女を見ていると少し苦しくなるほどでした。
そうして迎えた終焉は、TV版とはまったく逆のEDを用意してきた本作。
どのように生まれ変わったか、是非ご自身の目で確かめてほしい作品でした。
そして迎えること2021年4月。
正統続編となる新作映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』が、スタッフ・声優が続投する形で発表されました。
ここにきての新作発表は流石に驚きましたね。
どういった方向に向かうのか、続報を心待ちにしています。
ファンタジックでダークでゴシックでユリチックで萌えチック で悲哀と狂気が浮かぶ世界観
2013年10月頃劇場で見てその表現に圧倒され感動し、その後、2018年頃見直してほむらの悲劇へのカタルシスに浸り落ち込んだ時にその都度好きなシーンを見直し(特にdespairいう名のBGMが流れるシーン)、2021年12月となってマトリックスリザレクションへの失望の元、再度見たい欲求に負けて呪術廻戦0は後回しに見直す事とした。何度も見た為、感動は薄れてはいるが、思う事はあまり変わっていないようだ。しかしもう8年もたったのだという事実に郷愁を感じるし、次作ワルプルギスの廻転への期待を感じながらの視聴となった。
劇場で見た当初の感動は私がこの映画を思い出す時に思う言葉、『遊園地感』という一言につきる。この映画はエンタメとしてイヌカレー空間、梶浦由記によるBGM、虚淵玄による人間の本質に迫るシナリオと象徴的にくっきり分別されたキャラクタの性格、蒼樹うめによるキャラクタデザインが完全にマッチして何の違和感もなく渾然一体となって視聴者にすべてを突きつける。マトリックスリザレクションやシン・エヴァンゲリオンであったような監督による最終回答、『現実に戻れ』は無く、単純にエンタメを突き詰めて提供しようという姿勢をそこに感じる(メタ作品を批判しているわけではない)。
今作のテーマに対するほむらの回答は、『愛』ではなく『執着』である。それを『愛』と言い切るほむらとそれにより生じる世界事象改変、その映像表現には度肝を抜かれた。ほむらの回答は、道徳的に間違っている。よって、創作物の意図を社会常識や自分と区別できない低年齢の者は見てはいけないとは思うし、非常識を選択する人物にフォーカスした作品への抵抗感のある常識的な人たちにとってもこの作品は嫌悪するものとなるかもしれない。しかしながら、ほむらの回答が道徳的に間違っているとはいったが、この作品のテーマ性はTV版から変わらず間違っていない。つまり、インキュベーターによる人類(魔法少女)からのエネルギー搾取に対するほむらの怒りと抵抗、叛逆は間違っていない。
この作品のターゲットは芸術が好きな人、創作物の中の人物の現実社会では発揮できない感情の発露、究極の選択を楽しめる人、そこに価値を感じ取れる人だろう。この作品は一般的なアニメの物語性からは逸脱しており、イヌカレー空間の表現やBGM、シンボルの多様において、アート性の方が際立っている。このような芸術作品を提供してくれた人々に喝采を送りたい。最後に、最近とある猫動画を見ていて感じた事を今作にも言える事だと思い思った事がある。可愛さとホラー、笑いという感情が同時に感じられる作品は強い影響力、視聴者が感じる満足感があるということだ。『萌え』るキャラが存在する日本のおたく文化は彼女らがいるだけで実写ドラマに対して優位な立場にある。そこに恐怖や笑い、人の温もり優しさ等の感情を人に喚起できる作品は今後も需要はあるだろう(岡田斗司夫が言っていたように、そういう作品には油っこさを感じ、時に受け付けないこともあるのだが)。
怒涛の展開!
まずはじめに。魔法少女とは、かくあるべし!みたいなもの見れて最高。題名を聞いて思ってたのはこれだよ。みんなが協力し、可愛い変身シーン、日常では仲良くワイワイと、序盤のこれを見るだけでもとても価値がある。俺が報われる、、、。
とまぁ、実は〜みたいな流れがあるんですけど。
とりあえずマミとホムラのバトルシーンはすげぇな。魅入ってしまうよ!
だんだんとわかる真実、みんなの気持ち、、良き!!!
まどかも、やっぱり辛かったんやね、、、、
悪魔ホムラからの流れは、俺には完全に理解は出来なかったけど、愛の力は無限大ということで。なんだかんだみんな一応幸せで終わったのでは?理には反しているだろうけど、、。次回作が楽しみ!
演出も中盤までの展開も好きだが受け入れられない
全112件中、1~20件目を表示











