オール・ユー・ニード・イズ・キルのレビュー・感想・評価
全447件中、301~320件目を表示
映画は脚本ありき。
原題は「Edge of Tomorrow」なのに、なぜこんな覚えにくい邦題にしたのか、と思っていたら、桜坂洋の原作のタイトルがこの映画題名だった。
それはともかく。
よくできていた。
時間がループする話はいろいろあったと思うが、決定版かもしれない。
初めは主人公のケイジ(トム・クルーズ)とともにループを体験するのだが、話が進むにつれて、ケイジがとてつもない回数をループしていることがわかってくる。
この呼吸が絶妙なのだ。
我々が初めて、またリタ(エミリー・ブラント)が初めてでもケイジは何回も経験していたりするのだ。
ダグ・リーマン監督は、これまでもヒット作といわれる作品は撮ってきているが、僕にはいつも何か物足りない作品が多かった。「ボーン・アイデンティティー」にしろ「Mr.&Mrs スミス」にしろ「ジャンパー」にしろ。
本作はそういった印象を払拭する出来であった。
脚本が抜群によくて、演出はその脚本に奉仕しているかのようで、やはり映画は脚本ありきである。その脚本にはクリストファー・マッカリーがかんでいるのだ。さすがである。
トム・クルーズ主演作としてもトップレベルであろう。
死ぬことが前提の新たなループもの
原作を読んでから、映画を観ました。
原作は素人の若者たちがやむなく戦わざるを得ないぐらい人材が欠乏している状況下で、ループに巻き込まれる主人公の至極個人的な葛藤を描く青春モノですが、映画はトム主演で年齢層が高く、スケールの大きいプロ軍人モノとしての印象を受けます。
勿論、トムは最初よわっちいですが。
ループを信じない上官との軋轢や、ギタイを戦略的に駆逐しようとする映画のシナリオに対して、小説の方はたった一人の理解者を失う若者の切なさが強調されています。
どちらも別物として楽しめます。
ループするたびに「戦場のビッチ」ことリタを好きになる主人公、という展開は共通してますが、映画では台詞にせず早いカットで表現するのがうまい。
トムのリタを見つめる目がどんどんシリアスになってくる。彼にリタを守りたいという感情が生まれる瞬間は、とても惹き付けられるシーンです。
青臭いライトノベル的要素は削られているものの、原作へのオマージュはそこここにあり、例えば原作で心痛と疲労のため一人で居る事が好きなリタは、映画でも孤独を好み一人高度な訓練を行っている。最初のシーンで原作の「前支え」的なポーズをとっているのは、ファンサービスでしょう。
かなり重要な珈琲のシーンはサラリと描かれていますが。
原作のリタは超細身なのに巨大なバトルアクスを振り回すが、それはあまりにアニメ的なので、カッターナイフのような剣になっていたり、ボディスーツが真っ赤から赤いペイントが雑に塗られているだけなど、より現実的に転換されている。
また、エンディングも違いますが、私はどちらもいいと思いました。
映画版はご都合主義という意見もありますが、リタへの恋心をケイジだけが抱えているという点では、映画版のケイジも孤独であることには違いない。
(宇宙にはたくさんのギタイがまだ漂っているとはいうものの)とりあえず地球のギタイを掃討したというからには、リタとケイジは戦闘仲間にはもうなれないわけだし、あれほどの戦いの濃密な時間と信頼関係は失ってしまったのだから。
同胞を失った悲しみを一人抱える原作のケイジも、秘密を抱えつつも前向きな余韻を残す映画版もどちらも好きです。
>>あえて、二つの媒体で異なる点や疑問を書くことにします。
◆原作
・ケイジがたまたま第一戦でギタイ・サーバを倒したあとは、リタが代わりに(意図せずに)サーバを倒していたため、彼は二回目以降はサーバを倒していないもののループの対象となってしまった…というのが、やや出来すぎな気もするが、しようがないのかもしれない。
・もし、ケイジの死の後に長いことサーバが生き延びていたとしたら、ケイジの生死に関わらず時間は進んでいくことになる。にも関わらず、対象者はケイジのままなのだろうか。もう一度リタになることはないのか。
・もし、サーバがたくさん存在し、ケイジ以外の人が倒した場合、ループ対象は複数になるのだろうか、それとも最新の討伐者に移行するのだろうか。
・原作の上官フェレウはブラジル人なのですが、日本人が無理して借り物の外国人風のセリフを話させているようで違和感。ケンジがリタとの闘いの後で、先輩のヨナバルが文句を言うのもなんだか不自然。
◆映画
・原作の設定に限界を感じたのか、αとΩがあり、全てのギタイはΩの一部という設定に。αの血には人類抹殺を可能にするため、未来から過去へと情報を伝送する役割がある。ケイジはその血を浴びたため、ループ機能を得られるが、浴びただけで…ってのもなかなか無理矢理(笑)
・いかにもハリウッドらしい終わり方でしたが、次回作を匂わせるような終わり方ではないのは好感。ケイジが最期に再びαの血を浴びたために、ループ機能を身につけ過去に戻るものの、ギタイ(Ω)自体は殺しているため、ギタイが滅びた過去になっています。ただ、ケイジは単独でそのパワーを得ているため、彼がこの先死んだら、また過去に戻るのかどうかという疑問も残ります。
面白いのは、ギタイのビジュアルが3媒体いずれも違うこと。
原作では「溺死したカエル」と表現されているが、コミックは深海からきたことに着想を得たのかウニっぽい。
映画では、どうもエイリアンの呪縛から逃れらなれないようなビジュアルで、触手が多いヒトデのようだった。
さらにαはライオンがベースのような悪魔のような顔。西洋と東洋の思い描く化け物の差が楽しめます。
何度でも何度でも
と口では言えるが、実行は難しいものだ。
多分。
誰でも、こんなの初めてって言いそうな。
そんな旅路に連れがいたら、そりゃ好きになっちゃうわ。
みたいな話で、これだけループするのに、更に続編の期待もさせる素晴らしいエンターテインメントでした。
トムさんの格好良さを改めて実感するとともに、まだまだ君に世界は救えるぞ、と応援したくなる。
それにしても、ノーヘルバイクでロンドンに行くシーンだけは、サービスショットだと思います(誰向け?)
あと、トムさんは受けという、腐女子及び同性愛関係者向けのサービスもあって、笑えました。素質ありですね。
おそらく原作とは違うんだろうと思って、読まずに見に行ったのが、吉と出ているはず。
買っておいた原作が楽しみ。
予告編より格段に良い
誰かが「予告編下手すぎ」と書いていたが、その通りだと思う。
確かに予告編どおり、作品紹介文どおりの筋書きだが、イメージしていたものとはまったく違った。
「何回か繰り返す」という作品はあったと思うが、そのループの回数は桁違い。これを表現する技術に感心してしまう。最初に死ぬまでも短かったが(それでも、状況設定、人物の性格をしっかり説明する程度の長さがある。)その後のループまでの短いこと。
友人を救おうとして共倒れ。リタを助けようとして自分がアウト。こうして、ああして、とリタと綿密に打ち合わせても、姿勢を低くしなかっただけでアウト。訓練用の機会に叩きのめされてアウト。丘に登って、無数にある車のうち試してないのは2台だけ・・・車の数だけアウトだったってこと。一方、「あ、その場面は前は省略してたね。」と思うところもある。
肝っ玉なし、小ずるいケージ少佐は、終盤に入ってりりしく変わるというよりは、私には絶望していくように見える。
バイクに乗る場面と、カフェにいる場面が理解しにくかったが、あれは、訓練を抜け出してリタに会いに行くかわりに、逃げ出しちゃった、ということ?「ずっと前に死んでいても不思議じゃない。」とつぶやく顔は屈折して見える。そうやって出撃を回避しても、結局ギタイたちはロンドンにも押し寄せてくる。ケージも殺されてしまう。
ケージは、一直線にヒーローになるのではなく、悲惨な記憶を蓄積しながらループを繰り返す。「農家に一晩泊まろう。それだけはまだやったことがない。」とリタに勧めるケージは、ループに疲れ「休ませてくれ。一時の平穏をくれ。」と言っているように見える。
でも最後はヒーロー大好きアメリカ映画だから、勇敢に献身的に敵に立ち向かっていく。突破口は、出撃の前の時点でオメガを倒すこと。但しその前にアルファを倒すと、オメガの能力で出来事の前に戻ってしまうから誰かが囮になってアルファを生かしたままでひきつけておかねばならない。そして共に戦う仲間を作ること。今まで負の要因にしか見えなかったJ部隊のメンバーが、個性あふれ、信頼しあう仲間になる。
そしてループの能力を失い、もう一発勝負しか選択の道がないケージとリタが最後の戦いを挑む。
あのね、舌を巻くような構成力だと思うよ。そして以上のようなストーリーと心理を演技で伝えてきているキャストの皆さんにも、こういうイメージを彷彿とさせた原作者にもブラボーッ!であります。
いわゆるハリウッドの娯楽大作であった
レビューの評価があまりに高いので、これは押さえておかなくては、と劇場へ。
これは、実写版TVゲームである。
何度も何度も死んでは生き返り、振り出しに戻るループシーンを、前半と後半で映像を分けて見せたり、初めて流れるシーンも、何度ものループ後であることを会話から察知させるなど、シナリオと演出は、巧みでうまい。ユーモアとウイットもある。テンポもよく、飽きさせない展開で、よく出来た作品だ。
が!主人公は、何百回と同じ日を繰り返しているが、周囲の人々にとっては、初めての“今日”であるわけで、その状況に耐えられる精神力を、果たして生身の人間が持ち得るのか…などという考えは、ハリウッドの娯楽大作には邪念なんでしょうね…きっと
それに、あのラスト!?ハリウッドの娯楽大作としては、しかるべきかな?
ゲームの世界をうまく取り入れたSF映画
原作読みたくなりますね
陳腐の一言。
ヘタレがタフになる
いわゆるタイムループものだが、その回転速度が凄まじい。訓練の1日を除けば、初回は戦闘開始後たった5分で死んで前日に戻ってくる。同じ経験を繰り返すことによるスキルアップで、この5分が次第に延びていき、最終的に侵略者“ギタイ”の大ボスにたどり着くというわけだ。
最初は5分から始まる「ジ・エンドの壁」が物語の核で、この作品の原題も『Edge of Tomorrow』になっている。邦題よりもわかりやすい。
地球を侵略するエイリアンのミミックス“ギタイ”のデザインは新鮮味に欠けるが、戦闘隊員が身につけるパワードスーツは面白い。洗練されたデザインとは言いがたく、走る姿が不格好で笑える。
それが当初ヘタレで始まるケイジの場合、余計に不格好さが際立つから面白い。トム・クルーズのヘタレさが最高だ。しかもずる賢さを漂わせて、実に上手い。
VFXによる輸送機は重量感があり、ILMによるものかと思うほど素晴らしいデキ。音響も今年観た映画の中でトップクラス。
ヒロイン役のエミリー・ブラントは「プラダを着た悪魔」以来、最高に魅力を引き出された作品になった。
何度、生き返ったのかわからなくなるが、話は整理されていて難解さはない。実際にあんなふうになったら、体力はリセットされるだろうが、続けざまの戦闘は精神が相当タフでないと持たない。これはヘタレがタフになる話だ。
ただ違和感があるのがラスト。どうも時系列が合わず、説得力に欠ける。
あそこは、ブリガム将軍(ブレンダン・グリーソン)との面談まで戻って
「戦いなら任せてください。ほかの誰よりも経験豊富ですから」なんて台詞で終わったほうがよかったと思うのだが。
ゲームにハマった事のある人には…
ゲームにハマった事のある人には、経験があるはずです。
何度も同じステージ試行錯誤してクリアするようなストーリー映画です。サクサクと展開していきます。ハッピーエンドでスッキリとした後味です。
これはコレで良いのですが、ブレードランナーのような、もっと余韻が残るような悲壮感、哀愁感が漂う雰囲気の映画でも良かったような気がします。
ヒロインのエミリー・ブラントさんが、とても魅力的です。
マトリックス レボとカブる所多いですね(笑)
スッキリとした味わい
なかなか面白かったよ。
快作、に残る小骨。
さすがハリウッドと言うべきか
楽しい2時間だった
「当作」と「渇き。」二者択一なら…
不覚にも
映画の作り方が上手い!
全447件中、301~320件目を表示