真夏の方程式のレビュー・感想・評価
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少年への眼差しが哀しくも愛おしい。
夏になると、どうしても見直したくなる。夏を舞台にした日本映画屈指の名作だ。やはり「真夏の方程式」が映画としては一番に東野圭吾作品の世界観を表現できているのではと思う。ペットボトルロケットのシーンの美しさは邦画では出色の出来だった。あの瑠璃色の海中の美しさを少年に教えてあげる、偏屈な物理学者の優しさが堪らない。理科好きは当然のこと、理科嫌いでもワクワクする実験装置、それもごく普通に身の回りにあるグッズで可能になるスリリングなアイデア。事件の本筋は東野圭吾作品にありがちな、愛する人を護るための自己献身の物語だが、今回はその犯行の課程でいたいけな少年を犯行の共犯者に仕立ててしまった大人の罪作りが大きなテーマとなっており、これが真夏の太陽と海の輝きと、どす黒い大人の悪意と一寸した思い付きで子どもを事件に巻き込んでしまう軽率さが相まって、何とも切ない想いが胸を締め付ける。「容疑者Xの献身」は小説は面白かったが、映画は困り物だった。小説は単なる自己犠牲の美談だけではではなく、他人に認められない天才が、己の才能に酔って暴走する哀しさを表現していたと思う。最後に何で?と慟哭するのは、単に「なぜ、俺の気持ちを分かってくれないのか?」だけではなく、完璧なはずの作品を、何故ぶち壊してくれたんだ!との悔しさと怒りが込められていたと思う。小説は読み取れたが、映画は堤真一という見目麗しい男にして、醜男の独りよがりの深情けと嫉妬と天才故の自己満足・自己陶酔のカオスが表現出来ていなかったので残念でした。同じように横溝正史の「悪魔の手毬唄」も、映画では単に近親婚を避けるため、が犯行動機として描かれていたが、小説を読めば、犯人のリカが自分も元芸人で、その能力を発揮出来ずに田舎で燻らなければならなかった哀しさを、「見立て殺人」という奇想天外な犯罪を演出して見せる自己満足・自己陶酔の賜物だと読み取れたのだが。映画「沈黙のパレード」も被害少女の叔父の増村のエピソードをあっさりと短くし、ヘリウム風船のガスボンベのミスリードをバサッとカットしたりとちょっと残念でした。その点、この「真夏の方程式」は小説の世界観を変にいじることなく映像化してくれていて、また、夏を舞台にしたこの小説を見事にビジュアル化してくれて、監督に感謝したい。
すべてを知ったうえで自分で選択する
テレビシリーズの第2弾は未視聴。小説も未読。
容疑者xの献身と同じく大切な人の罪を被る話。違うのは”愛”について湯川(あるいは作者)の理解が進んでいるというところ。
今回も誰も救われないような話だが、でも全員が自分ですべて知ったうえで納得し決断していることで、方程式が成立している。客観的に見れば不幸な結末だが、それぞれの主観的にはそうではない。容疑者xの献身では、愛について”解なし”としていたが、これが作者なりに考えた解なのだろう。
やりきれないがこれで全体最適になっている気もする。全体最適になっているけど、でもやっぱりやりきれない。
一番の問題は、容疑者xの献身のように、成実がすべてを知ったうえで自首を選択したらどうなるのだろう、って思っちゃうところ。この一手で今作の方程式が破綻するような気がする。この点と、やっぱりやりきれないって思っちゃう点で容疑者xの献身で残した疑問を解決できてないと感じるので自分としてはあんまりかな。
あと、最後の一緒にダイビングするところで成実の自殺をほのめかすシーンがあったが、あからさまに前作の雪山のシーンを模倣したような感じだったのは個人的に興醒めだった。雪山のシーンは原作にはないらしいし、今回も原作にないんだろう、これが監督の精一杯のオリジナリティなんだと思えて仕方なかった。
ただこのミステリーと少年との交流を同時に描く構成力は見事だった。
【78.3】真夏の方程式 映画レビュー
本作は、殺人事件の謎解きを主軸に据えながらも、環境問題、世代間の責任、子供と大人の倫理観、そして主人公・湯川学の人間的成長という、複数のテーマを緻密に絡ませることで、作品に奥行きをもたらそうとしている。湯川が子供嫌いという設定から、少年・恭平との出会いを通じて彼の内面に変化が訪れる過程は、キャラクターに新たな魅力を付与し、シリーズに新鮮な息吹を吹き込んだ。
これらのテーマはそれぞれに意義深く、現代社会が抱える問題意識を巧みに取り込んでいる。特に、美しい自然の中で起きる悲劇が、環境保護の重要性を静かに訴えかける点は特筆すべきだ。しかし、これら多様なテーマを一つの物語の中で高い密度で融合させ、強烈な求心力を持たせることには、若干の課題を残した感がある。各要素が丁寧ではあるものの、観客に与える感情的な衝撃や、心に深く刻まれるメッセージの強度という点では、見る者によっては物足りなさを感じる可能性も孕んでいる。物語全体に緩やかに流れる情感は魅力的だが、それが時にミステリーとしての緊迫感を薄める結果にも繋がりうる。
西谷弘監督の演出は、過剰なドラマティックさを排し、静謐な映像美と抑制の効いた語り口が特徴である。舞台となる玻璃ヶ浦の雄大で美しい自然は、単なる背景に留まらず、物語の重要な一部として機能する。その景観は、時に事件の悲劇性を際立たせ、時に登場人物たちの心の揺れ動きを象徴的に描き出す。光と影の使い方は巧みであり、登場人物たちの内面を繊細に映し出す。
演出は、感情を直接的に爆発させるよりも、登場人物たちの細やかな表情や仕草、そして間の使い方によって、彼らの内面や葛藤を表現することに重点を置いている。これにより、観客は登場人物たちの心情を深く考察し、共感する余地を与えられる。しかし、その抑制されたアプローチが、ミステリーとしてのサスペンスフルな展開や、物語の推進力を一部において緩やかに感じさせる側面も否定できない。
福山雅治は、これまでにも増して湯川学の人間的な側面を深く掘り下げた。科学者としての冷静沈着さと、子供との交流を通じて芽生える戸惑いや微かな感情の揺れ動きを、非常に繊細かつ説得力のある演技で表現している。特に、子供の純粋な疑問に直面した際の表情の変化や、科学では割り切れない感情との対峙は、湯川というキャラクターに新たな深みを与え、観客に強い印象を残した。
吉高由里子演じる岸谷美砂は、湯川とは対照的な、直情的で人間味あふれる刑事として、物語に軽妙なリズムと緩急をもたらした。彼女の奔放さと、時に見せる真摯な表情が、湯川との絶妙な掛け合いを生み出し、作品全体のトーンに幅を与えている。物語における彼女の存在は、観客にとっての感情的な案内役としても機能した。
北村一輝が演じる草薙俊平は、湯川学の旧友として、物語に安定感と人間的な深みを与えている。湯川の天才性を理解しつつも、事件や人情に対する独自の視点を持つ彼の存在は、物語に多角的な視点をもたらし、湯川の行動や思考に対する観客の理解を促した。抑制された演技の中に、長年の友情と職務への誠実さがにじみ出ていた。
杏が演じる川畑成実は、物語の核心に深く関わるキャラクターとして、その複雑な内面を丁寧に表現した。過去の秘密と現在の苦悩を抱えながら生きる女性の葛藤を、表面的な強さの裏に隠された脆さや悲しみとして巧みに演じている。特に、事件の真相が明らかになるにつれて見せる、感情の細やかな変化は、観客に深い共感を呼び、物語の悲劇性をより一層際立たせた。
脚本は、東野圭吾の原作が持つ緻密なプロットを映像作品として丁寧に再構築している。殺人事件の謎解きに加え、複雑に絡み合う人間関係、そして過去の出来事が現在の事件にどう影響しているかという点が、段階的に明らかになる構成は見事だ。環境問題が単なる背景としてではなく、事件の動機や登場人物の行動原理に深く関わってくる点は、現代社会への鋭い眼差しを感じさせる。
物語は、単なる犯人探しに留まらず、法では裁ききれない人間の感情、そして世代間で受け継がれる責任と苦悩という、普遍的なテーマを観客に問いかける。特に、物語の終盤で明らかになる真実と、それに対する湯川の葛藤や決断は、観客に深い倫理的な考察を促す。しかし、ミステリーとしての「トリックの鮮やかさ」や「意外性」という点では、比較的現実的な範疇に収まっており、観客に与える衝撃の度合いは、物語の情感的な深さに比べると控えめである。
映像は、玻璃ヶ浦の美しい自然を雄大に捉え、物語の叙情性と、事件の陰鬱さを対比させる効果を巧みに生み出している。特に、海底資源の開発と自然保護というテーマを視覚的に表現するため、広大な海と空、そして開発によって傷つけられる自然の対比が印象的だ。美術は、事件現場のリアリティと、登場人物たちの生活空間のディテールにこだわり、物語の世界観を構築している。衣装は、キャラクターの個性を反映しつつ、物語のトーンに合わせた抑制された色使いがなされており、俳優たちの演技を妨げることなく、彼らの内面を補完する役割を果たした。これらの要素が一体となり、物語の空気感を豊かに表現している。
編集は、物語のテンポと緊張感を巧みにコントロールしている。ミステリーとしての謎解きの過程は、テンポの良いカット割りと的確な情報提示によって、観客を飽きさせないよう配慮されている。一方で、登場人物たちの心情描写や、人間ドラマの重要な局面では、ゆったりとした時間をかけることで、感情の機微を丁寧に描き出した。過去の回想シーンと現在の出来事がシームレスに繋がっており、物語の複雑な構成を分かりやすく提示している点は評価できる。全体の進行は決して急がず、観客に思考と感情が浸透する時間を与えている。
作曲家・菅野祐悟による音楽は、物語の情感を豊かに彩り、緊張感と感動を効果的に増幅させている。ミステリーとしてのサスペンスフルな楽曲から、人間ドラマの繊細な感情を表現するメロディーまで、幅広い音色が物語に深みを与えている。特に、感動的なシーンでのストリングスの使い方や、湯川学の思索を描く際の静謐なピアノの旋律は印象的だ。音響は、海の音や風の音など、自然の音が効果的に用いられ、物語の舞台である玻璃ヶ浦の臨場感を高めた。また、事件の緊迫感を演出する効果音も適切に配置され、観客の没入感を深めた。主題歌である福山雅治の「恋の魔力」は、映画の世界観に寄り添いつつも、観客に強い印象を残す、力強くも切ない楽曲であり、物語の余韻を深める役割を果たしている。
「真夏の方程式」は、科学ミステリーの枠を超え、人間ドラマと社会問題を深く掘り下げようと試みた挑戦的な作品である。湯川学の新たな一面を描き、普遍的なテーマを内包することで、シリーズに多様性をもたらした。ミステリーとしての衝撃度においては抑制的であるものの、その分、静かな感動と深い思索を観客に促す力を持っている。シリーズ作品としてだけでなく、独立した一本の映画として、鑑賞に値する良質な作品であると言えるだろう。
作品
監督 (作品の完成度) 西谷弘 109.5×0.715 78.3
①脚本、脚色 原作 東野圭吾 脚本 福田靖 B+7.5×7
②主演 福山雅治B8×3
③助演 杏 B8×1
④撮影、視覚効果 柳島克己 A9×1
⑤ 美術、衣装デザイン 清水剛 B8×1
⑥編集 山本正明
⑦作曲、歌曲 菅野祐悟 福山雅治 B8×1
重苦しい
前作との共通点が驚くほど多い。
母娘に絡む、情のない被害者。(心情的には犯人に同情してしまう)
それをかばって守ってあげようとする共犯者。
真犯人は、心に傷を負ったまま真相を隠し続ける。
それを隠すために、第2の殺人が起こる。
湯川学だけが真相にたどり着き、悲しい謎解きをする。
それにしても、TVシリーズでは科学実験でトリックの再現をして謎解きをする湯川教授が、映画ではなぜか人情味のある探偵になってしまうのがいただけません。
教授らしいことと言えば、前半のアセスメントのコメントと、子供にペットボトルロケットの実験をさせるところ位で、謎解きはどちらかと言えば、動機や、情のもつれを紐解いたものでした。
物理学者がたどり着けるような推理ではありませんでしたね。
なにしろ、重苦しい雰囲気で、娯楽性に乏しい内容でした。
スタンドバイミー
真夏の海辺の民宿。元刑事の事故死に遭遇したガリレオの活躍を描く物語。
東野圭吾原作、TVドラマ「ガリレオ」第二シリーズの劇場版ですね。
陰鬱な真冬の東京を背景にした前作とは異なり、この作品は真夏の海辺。
メインテーマであるサスペンスと、ガリレオと少年の一夏の邂逅を軸に物語は進みます。
真夏の太陽と海。少年の冒険譚にはぴったりの情景です。
ただ、メインテーマのサスペンスは太陽に相応しくない陰鬱なもの。映画全体のバランスが悪く、居心地が悪く感じてしまいます。
そんな居心地の悪さが、作品全体の粗さを際立たせます。
例えば、甥っ子に犯罪の片棒を担がせた男。それなのに死体遺棄には妻に手伝わせる矛盾。
そもそも、死体を遺棄する理由は乏しく、首を傾げたくなります。
そもそも(2回目)、元刑事がわざわざ民宿を訪ねてくる理由が良く分かりません。元受刑者が冤罪を訴えているのなら分かりますが、自ら罪を被っているのであれば、改めてほじくり返すようなことでしょうか?
民宿まで来た・・・ということは、ある程度全貌を想像していたはずなのに・・・
サスペンス部分でいえば、ガリレオが早々にトリックと犯人に気付いているのも大きなマイナス。興味が薄れていきます。
私的評価はやや厳しめです。
異色
スピンオフでこれだけあまりちゃんと見た事がなかったです。(なんとなくつまらなそうだったので)
なんかあまりにも少年が可哀想すぎませんか
何年か後の成長した少年のスピンオフも作って欲しいぐらい(横浜流星さん主演とかで)
おじいさんはどんな思いでこの少年に罪を手伝わせたんだろう。ありえない。
ハカセ(湯川)の言動を楽しむ
それぞれの思惑はあるが…
何の罪もない桑原刑事を殺してはならない。脅迫してきたわけでも無さそうだし。自分の本当の娘ではないのに知らない振りして育ててきた父親、自分が殺してしまったことで本当の父親が罪を被ることになってしまったことに苦悩する娘、それを知る母、それぞれの苦悩はわかるけど。甥っ子である少年は過去とは関係ないのに、殺人事件に関わらせるのは残酷だ。共感はできなかったが気持ちは分かるだけに何とも複雑な心境になった
真夏の不等式 光ってない君へ 砂のオリエント急行の器
深海の生物の問題もさる事ながら、メタンハイドレートの剥離となれば、それが一番環境破壊。しかし、メタンが温暖化ガスだからじゃなくて、メタンハイグレードは広範囲にわたるので、海を(海底)を破壊し、地盤に及ぶ可能性が高いと思われる。つまり、地震に影響を及ぼす可能性があるのだ。
今回『子供が嫌いだ』って言ってるが前見た映画は『子供は苦手だ』つて言っていたと思うが。右辺左辺が逆?
『真夏の不等式』 光ってない君へ送る 砂のオリエント急行の器だソ!
容疑者Xの献身からナチスドイツのユンカースの様な原作本だソ。
あっ!映画は突然終わった。
で、どうなるの???
どうでも良いか!
自虐的に言えば、種子島のミサ◯ル打ち上げ施設はこれと同じ理論。たまには失敗する。『火星へ!』
“とっ”とんでもない。上空400kmに到達するのもままならないんだから。
次回は二酸化炭素から一を足して
『三』で液体窒素使うんだ♥ 同じ俳優さんだよね。
二度目の鑑賞でした。兎に角、新聞のテレビ欄の隅に追いやられた局の目一杯の作品だったのだと思うが。最左辺の放送局の使い回しを最右辺の放送局が手を出すべきでないなぁ。
それでも、
右辺と左辺が等しくない。つまり、真夏の不等式
左辺が人を殺す事
右辺が幸せに暮らす事。
『真夏のリーブミーアローン』
邦題が
『真夏の放って置いて欲しい』
おあとがよろしいようで。
四作目はどうなるんだろう。
ロケーションが綺麗で海が映るシーンは目の保養になる
沈黙のパレードに備え、容疑者Xの献身とあわせて鑑賞。
良かった点は、ロケーションが綺麗だったこと。海が映るシーンは目の保養になる。もう何十年も海行ってないけど行きたくなった。話はシリアスだけど、景色の美しさで重くなりすぎずちょうど良いバランス。
特に湯川と恭平が海の中を撮影するシーンが好き。もっと2人の絡みを見たかったなー。私も子供嫌いだけど、恭平は人懐っこくて嫌いになれない。
気になったのは、前作よりも事件が複雑だったこと。前作と比べ登場人物が多く、過去と現在の事件を扱うためやや分かりづらくテンポが遅く感じた。ストーリーは前作、ロケーションと登場人物は今作の方が好きかな。
それなり
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福山が宿泊した旅館で別の客が殺され、福山が謎を解く。
旅館の娘・杏が実は父の子でない事を知った奴が母をユスリに来て、
10歳だった杏がそいつを殺し、全ては母との秘密としていた。
事件は杏の本当の父が自首して刑期に服し、過去の話になっていた。
その時に逮捕した刑事が定年後に事情を聴きに来たため殺された。
殺したのは杏の育ての父親で、実は全てを知っていたのだった。
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まあまあ面白かったが、育ての父親は普通殺さないよね?
明らかに捜査で来てないし、殺したら逆に目立って調べられるやん。
何で映画の殺人事件の犯人っていつもこんなに動機が弱いのか?
圭吾の方程式 : 東野圭吾=切ない x 期待を裏切らない
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