「ドキュメンタリー的な良さが薄まった」劇場版タイムスクープハンター 安土城 最後の1日 CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)
ドキュメンタリー的な良さが薄まった
テレビシリーズ『タイムスクープハンター』の映画化。
タイムワープをしながら、過去にさかのぼって動画で取材をし、日本の歴史をアーカイブするタイムスクープ社。このドラマの面白いのは、歴史的事件はタイムスクープ社の別の課が担当しており、主人公は、歴史の中に埋もれた名もなき市井の人々の暮らしや営みを取材していくところだ。
テレビでは、要潤扮する沢嶋と、それを未来からサポートする古橋(演じるのは杏)だけが、それなりに名の通った役者で、ドラマに登場する市井の人びとは、あまり知られていない役者達を使っている。しかも、その市井の人びとが、役を演じるというよりも、できるだけ時代に合わせて自然な発声や立ち居振る舞いを心がけており、台詞がかぶったり聞き取りづらくても御構いなし。NHKのドキュメンタリー番組のような体裁で撮影、編集されており、カメラは沢嶋が手持ちのカメラで撮影したような映像も多用されて手ぶれは当たり前。そうした聞き取りづらい音声や、分かりづらい映像を、スーパーや別映像で補正する。
ドキュメンタリーではないかと錯覚するような出来映えで視聴者を楽しませる。
逆に、要潤や杏だけが、用意された台詞やいかにもドラマ的な台詞を話す事で、「名もなき市井の人びと」のリアルさを浮だたせるという効果も発揮している。
さて、映画版だが、信長が討たれた「本能寺の変」をキッカケに、信長の茶器をめぐって時代を行ったり来たりするという、さすがに映画スケールにするために大胆に構成している。なんと1980年代まで登場するので、これまでのテレビ版では写されなかった近現代も登場し、それはそれで楽しめる。特筆すべきは、やはり安土城のシーンだろう。
ところが、大きな点で作品の良さが失われている。
まず、主人公の取材対象となる過去の人々の中に、有名な役者達を配した事だ。時任三郎、上島竜兵、小島聖、嶋田久作などがキャスティングされているのだが、テレビでは有名じゃない役者を使っているからこそ、いかにもドキュメンタリー的な映像に仕上がっているのに、有名な役者達はさすがに存在感がありすぎて、ドキュメンタリー調の雰囲気を壊している。タイムスクープ社にも、夏帆やカンニング竹山などが配されているが、こちらは違和感がないので、やはり「名もなき市井の人びと」の暮らしや営みをドキュメンタリー調の映像で紹介するからこその面白さなのに、そこに有名な役者を配したのは失敗と言わざるを得ない。もちろん、今までとは違って観客動員やパッケージに手を伸ばさせるために、キャスティングを豪華にする必然性があったのは理解できるが、せっかくの雰囲気を壊したのはいただけない。
また、いつもはできるだけカメラの配置も少なくして、あくまでも取材者である沢嶋が撮影(自動撮影的な映像を含む)した映像と視聴者に思わせるように制作されているが、映画化にあたってその辺のこだわりは減っている。これも、映画スケールのためには必然とはいえ、残念な設定改変だった。
できれば映画よりも、このレベルのスケール感をもった構成で2時間枠のスペシャル番組をテレビでやってくれた方が、テレビのファンには喜ばしかったのではないだろうか。もちろん、キャスティングは豪華にする必要はない。
タイムスクープハンターの魅力は、あくまでも「名もなき人々」にあるのだから。