ハンナ・アーレントのレビュー・感想・評価
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女性が生き生きしている映画
主人公のハンナをはじめとして、登場する女性がみな自立していて自分の考えを持っている存在として描かれていることが特徴的。
主人公のパートナーや交流の低い人を除いた男性たちがむしろ群れていて個性が弱く感じた。
ハンナは男性にも女性にも愛にあふれた態度を取る人として描かれていた。強い主張、激しくバッシングされたこととの対比が顕著だった。
ハンナが、大学の講義中もタバコを吸っていたのに驚いた。どの場面でもかっこよく吸っているので、禁煙した人はまた吸いたくなってしまうのではと思うほど。
アイヒマンに対する考え方や、ユダヤ人の中にナチに協力した人がいた、という主張は理解しやすかったが、当時のユダヤ人からしたら受け入れられなかったこともよくわかる。
平凡な人が思考停止により悪事を働くというのは、現代のコロナとオリンピックで壊滅的な日本の政治家と官僚にかさなるところがある。
思考が人を強くする。
思考の重心がぶれない強さ。
ユダヤ系ドイツ人でアメリカに移住した哲学者ハンナ・アーレントが、イスラエルで戦争裁判を傍聴した記録を出版したことから議論が巻き起こる。
ユダヤ人でパリで収容された経験をもつ彼女が、戦争裁判の被告アイヒマンやナチスを擁護するとも受け取れるような記事を書く。
それにはユダヤ人だからナチスやそれに加担した者を裁くのは当然という思考停止とも言えることから脱却し、アイヒマンを平凡だと表現する。役人として命令に従っただけという視点で記事を作成し、友人からも非難され、受け持つ講義の学生からも非難される。
それでも、彼女はユダヤ人指導者がナチスの協力者でもあったという衝撃的なことも書きながら自分の主張を曲げない。
最後の学生に講義する、というよりも自分の主張を高々に話す彼女は迷いは感じない。
「思考することをしなくなった平凡な人間が残虐な行為に走る。考えることによって得られるのは知識ではなく、善悪の判断であり美醜である。考えることによって人間が強くなる。」という最後の言葉は頭から離れない。
よかった
感情と知性の対立が描かれていた。みんなそれぞれ立場もあるだろうから部外者としてはなんとも言えない気分になる。ただ途中で見るのを何日か中断したため、登場人物が分からなくなった。今でいうところの大炎上状態で、おばちゃんが頑張っていた。当時ネットがあったら彼女もめげていたかもしれない。真面目で地味だけど熱い映画だった。
おばさんのゴシップなんざどうでもよろしい
焦点を複数にしたせいで、「一体この作品は何を言いたかったんだ」というものがよくあります。この映画も、その一つ。
アドルフ・アイヒマンは悪魔でも怪物でもなく、あくまでもナチスという組織の部品に過ぎなかったというのがハンナおばさんの見解です。そして映画でも、アイヒマンはシナリオを構成している部品に過ぎません。
それじゃダメでしょ。このテの映画ではあくまでも「アイヒマンの本性」を追求するべきです。なのに出てくるシーンは、大沢木大鉄並みのヘビースモーカーのおばさんがキャッキャウフフするプライベート話ばっかり。そうでない時は別荘でのんびりしたり、友達とビリヤードで遊んだり、ハイデッガーとデキてた頃を回想したり。
そんなこたぁどうでもよろしい。少しはアイヒマン裁判のことを話しなさい。てか、こんな作りにするんだったら焦点をハインリヒの旦那・ハイデッガー・おばさんの三角関係ってテーマにした方がよかったんじゃないですか? アイヒマン裁判の頃は、まだハイデッガーも健在だったはずだし。
アイヒマン、関係なしですな。
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