「ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」地獄でなぜ悪い 三橋さんの映画レビュー(感想・評価)
ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ
この映画は前々から名前は知っていたけど、ふとトレイラーを見てあまりの衝撃に映画館に無理やり見に行った。公開から4か月後、1週間の再上映最終日のことでしたので、あまりにも運が良すぎましたね。
まずトレイラーの時点で最高すぎる!!気になるシーンを盛り込んで、エグい映像と相反する明るい音楽を使って、本当に悪趣味で脳裏に焼き付く。テンポも良すぎて何度も見たくなる、完璧と言っていいトレイラーです。
シナリオから演出、パロディ、出血・グロ表現、何から何まで馬鹿馬鹿しく悪趣味で、
とにかくそのしょうもなさで笑える作品になっている。そしてラストは張り巡らされた伏線がすべて収集する大団円…と思いきや、まさかの全て投げっぱなしでまさに崩壊のラスト。なんだったんだこれは・・・と思わされる、支離滅裂で、悪趣味で、気が狂ったような内容だった。しかし、自分はスタッフロール中に泣いてしまった。思い出せば泣けて泣けてしょうがない。何故、こんな泣かせる要素のない崩壊したコメディに泣いてしまったか意味がわからなかったが、きっと、あまりにも情熱的に「生きる」事を描いていたからだと思う。
以下は暴走気味な個人的解釈になるのでご了承ください。
まずザックリとこの作品が何を語っているかというと、「映画愛」はもちろんだと思うけども、それ以上に「何もかも死んだ、まさに地獄のような界隈や世界で、それでも抗い生きていく術」だと思う。作中ではわかりやすくそれが「映画」がテーマとされているが、これはあらゆる界隈、むしろ現実にも置き換えられる。(個人的にはプロレスや、今の音楽業界とかに置き換えても、わかりやすいのかなとも思う。)
この作中では何一つ「夢」がかなっていない。しかもそれらはすべて10年来の強い夢。
橋本は助かる事もなく、恋も成立せず、逆転劇もなく死んでいく。
ミツコは女優になることも叶わず死んでいく。
女房に娘が出演する映画を見せるという夢も一切かなわず、それどころかお互いの組は崩壊するだけ。
そして唯一、夢が叶っているように思えるファックボンバーズも死に、生き残り笑って走る平田だって、自分以外のスタッフが全員死んだ映画なんて、映画として成立しないし、明らかに才能がないし、まず完成するとは思えない。ただ一本の伝説級の映画を作りたいという夢さえ叶わない。
しかし、彼のラストの瞬間は人生の勝者である。まさに命がけで夢に全うできたからだ。よく「大事なのは結果ではなく、達成しようと努力することだ」と言う言葉を聞かされ、チープにも感じられるが、本当にそれは大事な事で、それこそがこの地獄を生きる術。「桐島、部活やめるってよ。」「シティ・オブ・ゴッド」でも同様な事が、同じ「撮影」と言う手段で描かれている。
生きる事は本当に大変で、現実はあまりにも辛く、まさに地獄のようで、その世界を生きる続ける術というのが「自分が信じた、愛する事を貫く」というもの。一つでも自分が生き生きと情熱をかけられる、ワクワクすることをやり続ければそれだけで、生きているという実感が得られる、生きる価値が見つけられる。世界に抗える。
平田はきっと成立しない映画のフィルムをもって駆け抜ける姿があまりにも清々しく感動的なのは、その姿がそれを体現した姿そのものだからじゃないだろうか。
(注釈として、どうでもいい点とは思いますが、メインキャストの中で作中、誰も人を殺してないのは彼だけですね。)
具体的にどう「地獄」を表現しているのかと言うと、まずは「映画は死んだ」という事はあらゆる点から描かれている。賑やかだった映画館が閉館してまさに死骸のようになってるし、佐々木が映画館の象徴・ポップコーンを蹴散らしたり、「ニューシネマパラダイス」のオマージュも、華やかだった映画界の終わりを象徴している。
取り扱うテーマやオマージュも「任侠」「クンフー」「ドタバタコメディ」など今はあまり作られなくなった映画のジャンルを取り扱っている。逆に今でも作られている「ヒーロー」「ハートフル」「ラブストーリー」などは、純粋な暴力で無残に殺されていく。(後述)
星野源さんが演じる橋本の存在が見終わった後は全然意味が分からなかった。本当に何もせず、何も達成せず、「ミツコに一目ぼれした」以外の設定もなく、ただ巻き込まれただけで死んでいくだけの存在だったし、正直、平田と設定をひとまとめにしてしまってもよかったんじゃないかと思うし、実際モデルになってるエピソードは、どちらも園子温監督の実体験らしい。
しかし、誇大妄想していくとしっかりと彼の役割がわかった。
何か才能や能力があるわけでもなく、自分から何も動くわけでもなく、ある日突然 女の子が空から落ちて来たり、すり寄ってきて、ドラマチックな展開に巻き込まれて、隠された素質とかに目覚めたりもする、よくあるラッキースケベ的展開に遭遇する主人公の役割なんですね。
この作中でも、彼は10年前一目ぼれした女の子に突然出会い、恋人のふりをしてくれと言われるという、典型的な展開を持っているのだが、驚いたことに何も成就せず純粋な不運で無残に死んでいく。
本当に彼はなんだったんだろうと思うものの、逆に彼の恋が成就したり、ミツコと共に生き延びられたり、追いつめられて刀の才能や監督としての才能に目覚めたりしてしまうと、チープな物語として成立してしまうため、彼は何もせず死んでもらうしかない。彼はそういう安易な「ヒーロー」「ラブストーリー」「逆転劇」の殺害を象徴している。
そして彼と同様に、妻のために映画を撮るという「ハートフル」も殺され、
子供のころからの夢、主演女優になる「シンデレラストーリー」も殺され、
どちらかの勢力の一人でも生き残れば勝利であるはずの「バトル」も殺され、
学生時代から続く夢を作り上げるという「青春」も殺され、
本当になにもかも殺され、あらゆるストーリーは成立せずに死んでいった。
結局何が残ったのか、何が成立したのかというと・・・なんと最終的には「地獄でなぜ悪い」という映画しか成立しなかった。だからこそ、先述の「生き残る術」という意味が強く感じられる気がした。見事すぎて、本当にこの監督は恐るべしとしかいいようがない。
そして、死んだ世界を悲観したり、あらゆるストーリーを「殺害」したものの、別にそういう内容の作品を否定はしていないのですよね。そんな状況に抗うのも面白い、その世界で生き抜くのも楽しい、こんな死骸まみれの地獄でも笑って生きるしかない。
そのための作品なんだと感じ取って、自分は泣いてしまったんだと思う。
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何度も地獄と記述したけれども、本当に映画のタイトルが秀逸です。ひらきなおった攻撃的な言葉のようにも思えるが、意外と明るくポジティブな意味が感じられる。
個人的に似たような言葉があることを思い出したのですが、それは天才バカボンの「これでいいのだ」ですね。タモリの弔辞を引用させていただくと、「笑いで意味を無化し、全てを肯定し、受け入れる」素朴で前向きな、生きていくために必要な優しい言葉です。
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余談だけれど、同名のエンディングテーマ「地獄でなぜ悪い」がまた素晴らしい!
「ここは元から楽しい地獄だ」「嘘で何が悪いか」「作り物だ世界は」「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」などの歌詞を明るい曲調で歌い上げ、ある意味、映画とそっくりそのままのテーマを表現している!作中、何も成果をあげなかった役を演じる、星野さんの曲ってのもなんだかいいなぁ~。
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と、誇大妄想で心底褒め称えましたが、批判意見があるのは本当にしょうがないと思います。園子温監督は、自分がやっていることを肯定し、自身の分身である平田だけが文字通り生き残るという、完全な自己正当であるとも言えるので不快になるのもしょうがないです。実際 監督以外のスタッフは死んでますからね。あんまりだ(笑)。
それと単純にあえてチープにしているとはいえ、グロ表現がエグ過ぎて流石に引く(笑)。ミツコの「お別れのキス」シーンは苦手すぎて二度と見たくないなぁ。