ウルヴァリン:SAMURAI : 映画評論・批評
2013年9月10日更新
2013年9月13日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー
日本を舞台に炙り出す、孤高のキャラクターの新たな葛藤
「X-MEN」のキャラクター、ウルヴァリンにはトレードマークのカギ爪と並ぶもうひとつの武器、治癒能力がある。その効果ゆえに彼は死なない。前作「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」では南北戦争以前から生き続けていることが明かされたが、本作ではなんと原爆投下時の長崎に居合わせた顛末までもが添えられる。
かくも時代を超越する存在であるから、彼は決して主義や観念に囚われず、時と場に応じて身を投じるべき拠り所を選び取る。その姿は主君を持たず刀ひとつで世を渡り歩く浪人と似ているかもしれない。
スピンオフ第2弾は、その孤高のスピリットに更なる負荷をかける旅となった。ハリウッドの大胆な発想術は、カナダの山奥で暮らす彼を現代日本へ送り込むことで今までとは全く異なる葛藤を炙り出す。そして治癒能力を奪い取ることで彼に、命の有限性からくる生の実感を呼び起こさせようとするのだ。
とはいえ、舞台が日本なだけに笑ってしまう描写もある。とりわけウルヴァリンとヒロインが喪服姿で東京の街から街へ駆け抜けていく様には独特のくすぐったさが炸裂。監督のジェームズ・マンゴールドもミュータントさながらの力でこの国の距離と時間の関係性を自在に操っていく。
一方、垣根を貫き魅力を放つものもある。福島リラ演じるユキオはその筆頭と言えるだろう。逆三角形の輪郭と、切れ長の目が放つその凄み。そんな女武者がウルヴァリンの心を突き動かすのも納得がゆくというものだ。
最初は無謀に思えたこのハイブリッド戦略。慣れればこういうものなのだと楽しめる。カナダに生まれ、武士道に触れた異邦の戦士から見ると、日本の文化がこれほどワンダーランドに映るものなのかと軽い眩暈を持って気づかされた次第である。
(牛津厚信)