キャリー : 映画評論・批評
2013年11月5日更新
2013年11月8日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
ムッチリ健康体で超能力を楽しむ、デ・パルマ版とは真逆のキャリー
ここ数年、クロエ・グレース・モレッツ嬢のローティーンからハイティーンへの肉体変容の加速ぶりにハラハラし、孫のあまりな成長に目を細める好々爺(好色爺ではありません)の気持ちで彼女の出演作を見つづけてきた。すべての始まりはいうまでもなく「キック・アス」で、モレッツが強烈な<萌え>オーラを放ったヒットガール役にあった。そのときのいわば幼女体型からふっくらした少女の成長が、あまりに急激であったということなのだ。
「キック・アス」でのブレイク後は、順調にキャリアを重ねているモレッツだが、当時からクレバーにしてクールな大人であった。演技以上に自ら画面を<演出>していて、いってみれば、場を含めた<演出>が肉体感覚として備わっているかのようなこしゃくで不思議な印象。以降、時に老嬢のごとき世間知に長けたムードを発散させながらモレッツの<少女像>は稀有な存在となった。そんな彼女が再び学園に姿を現したのが「キャリー」である。
ブライアン・デ・パルマの出世作「キャリー」のシシー・スペイセクは、ガリガリの肉体に幸薄き、皮膚薄き、鼻が低く追いつめられた表情に同情するしかなかったが、モレッツはそうではない。横から見た鼻のラインは古典美といっていいレベルに接近しつつあるし、周辺少女との違和は、そのムッチリした健康美である。プールで水中キャメラが、モレッツ扮するキャリーと周囲との違和性表現に、一人外れた場所にいる彼女の足を捉えるのだが、この描写がいい。
デ・パルマ版のアップデートなリメイクとなった「キャリー」とオリジナルとの明らかな差は、モレッツが自らの超能力に目覚め、図書館で調べ尽くし、その使用を存分に楽しむ点にある。その自覚と快楽が本来のストーリーとの齟齬を生み、賛否が分かれるところだが、小太りで可愛いので致し方ないではないか。ワルたちがプロム用の<血>を準備するため、豚小屋に入り、モレッツ似の豚を探すが、あれはさすがに可哀想だ。
(滝本誠)