「映画のタイトルは、「リアル」のみで良くないかな?」リアル 完全なる首長竜の日 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
映画のタイトルは、「リアル」のみで良くないかな?
この映画「インセプション」と「フラットライナーズ」を足して100倍に薄めたような映画といった感じで観入っておりました。
100倍に薄まったと言う表現になったのは、ハリウッド映画と異なり、制作予算も邦画なので、ケタ違いに少ない分、ボロが丸見えで、チープな感じがしていたと言う意味であります。2人が棲むマンションのセットをおしゃれな印象の持てる物に仕立てても、どうも他は妙に安っぽい感じが目立って、バランスが最悪だった。
決して映画自体が面白くないとは言っていないのですが、しかし、後半になって首長龍が出現して来てからは、更にチープ感が増幅した。まるで東映子供映画まつりか、50年前の東宝のゴジラ映画でも観ているような展開に陥ってしまって、正直、この作品の観客のターゲットをどの年代層に設定しているのか、不明になった為に、この作品はとても万人向けの作品と言えない点が、酷く残念な気がした。
しかし、私は個人的には、とても興味の持てる題材だったので、奨励賞を出したい気もしたのだ。我が国の映画産業と言う枠で考えるなら、充分に出来るところまで、奮闘したのではないかな?邦画界ではこれが現実的には、ギリギリの限界の様な気がした。
ところで私は、前半はころっと騙されていました。あの高級そうなマンションで、彼女と暮らしていたと言う藤田は結構だが、彼女が昏睡から目覚めないからと言って、フリーターであったにも関わらず、仕事も止めてしまい、目覚めない幼なじみの女のヒモを延々とやっている奴って、どうよ?と変な所が引っ掛かっていて、どうも2人の関係性が腑に落ちない話だったのが、後半になり、事実は逆転していたと言う事を知り、それで、妙に納得が出来ました。
そうでなければ、彼らが仲良く暮らしていられるとは到底思えなかったので、これで2人の関係が成立出来るようになったので、ストーリーの設定自体の不自然さが無くなり、安心出来たのだった。
となると、何故藤田自身が昏睡状態でいるのに、センシングを自分が受けていると思い違いをしていたかの明確な説明など不明であっても、そんな事はどうでも良くなった。
部分的な矛盾点など、大した問題では無くなったのだ。
藤田の様に、人は心に思い残すところが無くなると死ぬ事を選ぶ様になるのだろうか?
たとえ事故であろうが、心の中に問題を抱えたままでは、安心して自己の死を受け入れる事が出来ずに、昏睡状態を続けるのだろうか?そこに私は個人的に興味が沸いたのだ。
何故なら、人間誰でも人生で、一つや二つは、自己の犯した過ちを自分なりに清算する事が出来ずに、その後の日々を過ごしてしまう事もあるからだ。
すると誰でも死ぬ時には、苦しむのだろうか?と言う疑問を問いかけながら映画を観ていたので、結構苦しいであろう、藤田の思いが理解出来るのだ。
そして、何時の日か過去の未清算の出来事にも、センシングと言う方法を使って問題の解決を図る事が出来る日が来たら、人生楽になる気がして希望が持てる映画だった。