「アンソニー・ホプキンスと真田広之が何とゲイという濃密な関係で共演している点が大注目の作品。」最終目的地 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
アンソニー・ホプキンスと真田広之が何とゲイという濃密な関係で共演している点が大注目の作品。
日本の映画ファンにとっては、アンソニー・ホプキンスと真田広之が何とゲイという濃密な関係で共演している点が大注目の作品。
『最終目的地』とは、それぞれ5人の登場人物が終の棲家となるパートナーと巡り会うまで描いたラブストーリーでした。そこには不朽の映画ロマンスが描かれて、恋に落ちるとは、そして自分自身の本当のあるべき姿を知り、どう変わっていくべきかということを登場人物にも、観客にも静かに問いかけるのです。
その答えの出し方には、見る者を優しく包み込み、心を捉えて離さない、余韻に包まれるものでした。
退廃的なルック。凄く繊細なウイットと語り口。まるで印象派の絵画のような淡く美しい情景。そして運命的なロマンス。アンチ・ハリウッドを標榜して止まないジェームズ・アイヴォリー監督の作風は、エンターテイメントを拒絶していて、少々退屈するかもしれません。まるで純文学の小説を、ページを繰るように味わうに、最高に洗練されたアート系文芸作品である本作。アイヴォリー監督の集大成に相応しい深みと含蓄を極めた仕上がりとなっています。
いま恋をしている人でも、この相手でいいのかしらと迷うこともしばしばあることでしょう、そんな人とっての本来あるべき大切な場所、そして大切な人にきっと気付かせてくれて、ちょっと背中を押してくれる作品となることでしょう。
コロラド大学の大学院生オマーは論文提出により、大学教員としての道を進めため、ラテン・アメリカの作家ユルス・グントの伝記を執筆を計画します。大学の研究奨励金をもらうためには、ユルスの遺族で3人の遺言執行人から公認を得なければいけませんでした。けれども遺言執行人たちからは予期しなかった公認却下の知らせが届いてしまいます。 オマーの強気な恋人ディオドラは、ウルグアイまで出かけて、ユルスの残した邸宅で暮らす遺言執行人まで押しかけていって、直接交渉するように彼にたきつけたのです。
ユルスの邸宅は人里離れ、孤立し、朽ちかけつつありました。そんなロケーションとも知らずに押しかけたオマーに同情した邸宅の住人アーディンは独断でオマーの滞在を許し邸宅に招いてしまいます。
本作の面白味は、ユルスの邸宅で暮らす人々の奇妙な関係性にあります。オマーを邸宅に招いたアーディンは、窮状からユルスが母子共々拾い上げた愛人だったのです。そこには他に未亡人となった正妻のキャロラインも住んでいました。さらにユルスの兄のアダムとそのパートナーである25年間連れ添ってきたピートが暮らしていたのです。ピートは徳之島出身の日本人。
アイヴォリー監督の描く作品では、ゲイも国籍も宗教も一切がボーダレスで差別しないし、自然に渾然一体と融和した世界観が特徴なんです。あくまで登場人物たちの自由意志で、自分に合う場所を求めて旅を続けているわけなんですね。『最終目的地』といっても、ここであるべきだという押しつけが全くなく、自然の成り行きを重んじていたのです。
ドラマは、人を愛することに臆病になっていたアーディンと、美人だが気が強すぎる恋人ディオドラよりも心優しいアーディンに惹かれていくオマーのこころの迷いが主軸となっていきます。
またアダムは、ピートの自立のために長年のゲイの関係を清算しよう告げたことから、揺れ動くピートの感情と最終決断が描かれていきます。
さらにキャロラインもいつまでも夫の記憶に縛られず、新たな生活を模索し始めます。 やがて5人はそれぞれがそれぞれの『最終目的地』に向かって動き出したのでした。
一方伝記執筆の公認をもらうオマーの交渉の方は一進一退。アダムはすんなりと公認を与え、その代わりにオマ一にある提案をもちかけます。それは、母親から受け継いだジュェリーを持ち帰ってアメリカで売ってほしいという密輸の提案でした。パートナーのピートを、立ち去らせ、自由にするためにお金を手に入れようと考えていたのだ。
プライドが高く意固地なキャロラインは、「ユルスは伝記を望んでいなかった」と主張し、頑なに公認を拒み続けます。やがて1冊しか著書がないと思われていたグントが、2作目の執筆にあたったことが判明します。2作目には何が書かれていたのか?その原稿はどこにいったのか?浮上した隠れた著書の存在は、キャロラインの心をざわつかせます。それは自殺したユルスの死の真相にも関わることでした。
アダムの密輸の交換条件は、ディオドラの激しい反発を招き、オマーとの溝を深めるきっかけとなったのです。そしてオマー自身もこれまでの生き方へ問いを投げかけ、アーデンとともに生きようと決意するのだが…。
ポプキンスと真田のパートナー関係が全く不自然さを感じさせないところに、アイヴォリー監督の演出の巧みさを感じました。ゲイであることを隠してはいないけれど、一緒にいるのがとても自然に見えてしまうのです。監督は、きっと愛人としてよりも、もっと精神的な結びつきまで昇華した姿を描きたかったのだと思います。法律的には「親子」なんだけれど、「人間愛」の高みまで達しているという感じなんですね。
また、愛人アーデンに扮するのは、今やフランスを代表する国際派女優となったシャルロット・ゲンズブール。青年の突然の出現に戸惑いながら、愛すること、愛されることを畏れる女性を繊細に演じていました。青年オマ一役には、今回大抜擢されたオマー・メトワリー。オチョ・リオスとその住人たちに否応なく魅了されていく実直な一面が、ラストシーンの意外さを引き立ててくれました。
そして本作をぴりりと引き締めるキャロライン役のローラ・リニーが素晴らしいと思います。高慢な辛辣さ、郷愁を寄せ付けない強さ、ひとり酒をたしなむパーク・アヴェニュー風ゴージャス強烈で見る者の胸に迫る未亡人像が終盤に大きく変わるところが興味深かったです。
国際的に活躍する俳優陣が、自分の故郷といえる場所を持たず、漂うように生きながら、人生の最終目的地へと向かう途中にある人物たちを情感豊かに演じ、その見事なアンサンブルによって上質な物語を紡ぎだしたと評価します。