最終目的地のレビュー・感想・評価
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上質の会話、音楽、ファッション…至福の二時間
原作を読みながら公開を待っていた作品。真田広之(敬称略)本人の言葉か記憶が定かでないが、「現代劇を演じるのに運転免許が必須であるように、時代劇をやるなら乗馬ができて当然」という、20年以上前にふれた言葉が忘れられない。本作では、そんな彼が軽トラと馬を自在に乗り回す姿を堪能できた。
もちろん、本作の見処はそこだけではない。文学作品と相性のよい、あのアイヴォリー監督の新作、という期待にしっかり応えてくれる。特に今回は、南米ウルグアイを舞台とした現代ものである点が新鮮だった。同監督作品といえば、丈の長いドレスを纏った女性やカフスボタンが袖口で光る男性たちの恋愛模様…といった歴史物の印象が強い。閉じられた環境の中で、ときに伸びやかなきらめきを見せる登場人物たち。ところが本作では、開放的な異国に流れ着いてきた老若男女が、それぞれに孤独を抱え、所在なく過ごしている。濃く美しい緑、瑞々しい水辺、パワフルな砂ぼこり、心に染み込むような音楽。…そんな目新しい素地に、同監督らしい味わい深い会話の応酬が被る。ゆったりとしたリズムで発せられながらも、時に鋭く斬り込んでくる言葉たち。文字を目で追うのとは異なる、映画ならではの至福を存分に味わった。
また、それぞれの個性が光るファッションも忘れ難い。可憐で軽やかな死んだ作家の若き愛人・アーデン、田舎には不釣り合いなセレブ然とした妻・キャロライン、スカーフや帽子など小物遣いに洒落っけが垣間見える兄アダム。物語が進むにつれ、変化が生じていく様子にも心が沸き立つ。服装がその人となりを映す、ということを改めて感じた。
言わずもがなながら、キャスティングは絶妙。バラバラの境遇を持ちながら、どこか同じ匂いがする人々を、名優アンソニー・ホプキンス、ローラ・リニー、シャルロット・ゲンズブールらが、互いの持ち味を引き出しつつ演じている。そしてやっぱり、推しておきたいのは真田の好演。原作ではタイの若者・ピートの年齢をぐっと上げ、それでも実年齢より十歳若い役柄を颯爽と演じている。彼こそキーパーソンと原作を読んだときに感じていたので、真田に息吹を吹き込まれたピートを堪能でき、とても満足した。
本作には、優雅な午後の紅茶よりも、とろりとした琥珀色のお酒の入ったグラスがよく似合う。
ホプキンスさんと真田広之さんがチュってやっちゃ・・った!!(~ロ~...
ホプキンスさんと真田広之さんがチュってやっちゃ・・った!!(~ロ~*)。複雑な関係が交差する、優しく美しい最終目的地。
あと味の良い作品でした、 チュッ♪
ホルヘ・ドレクスレルの音楽
まったり過ごしたい夜に ぼんやりお酒片手に 見るのに向いている映画
一人の青年が 自殺した作家の伝記を書くために、ウルグアイの彼の遺族の邸宅を 訪れるたことから 起きる波紋の物語
結局、現地人達とは 親密な交わりはなく 彼らだけで固まることになるから、中心人物のいなくなったことで 心の寄り処はない
ただ、なんとなく 固まっていただけ…
脚本家が女性のせいか、妻と愛人、愛人と青年の恋人、妻と青年の恋人、間のやり取りを 面白く感じた
作家の兄アダムと恋人ピートの関係は 何とも思わないが、ホプキンスと真田の組み合わせに ?
アイヴォリーのたっての希望だったらしいが、真田は 何故か、ウルグアイの風土にも合っていない
(ノーブル過ぎるのか?)
ウルグアイの土地に 馴染める者とそうでない者、愛を優先する者とそうでない者、青年の訪問で 価値観の取捨選択が始まり 各々が最終目的地に向かう
人生は 離合集散 なのだ… と、まったり考える
スペインのオペラハウスで 再会したキャロライン(妻)とディアドラ(青年の元恋人)は 呉越同舟の二人か…
死んだ作家の妻 キャロラインを演じる、ローラ・リニーが 複雑で魅力的な、そして田舎では酸欠状態になってしまう(文化的刺激が無いと、駄目)女性を好演している
お洒落の方向も 都会を向いている(笑)
ちなみに 愛人と言い争う場面で 着用しているのは、日本の半纏(印半纏)!
あまりに 自然に、お洒落に着こなしているので 思わず見過ごしてしまうほど…
それぞれが 新たな道を進む時、お互いを思いやり始めるのがいい
「作家」と「その伝記を書く行為」によってもたらされた時間と経験が、共通の思い出に変わり、優しい気持ちになるからだ
(ある意味 同士になった、とも言える)
一見、木偶の坊に思える青年の行動が 時計の針を動かし始める運命の妙味と、俳優達の見せる アンサンブルが気持ちよい
ゆったりと、ウルグアイの景色を背景に流れる ホルヘ・ドレクスレルの音楽に メロメロです
運命を変える自問自答
不幸ではないけど幸せでもない人々がそれぞれの幸せに向かって歩み出すお話かなと。最後は綺麗にハッピーエンドです。だもんで、物語の起点とも言うべき自殺した作家が影が薄くて可愛そうです(笑)
キャラクター達は掘り下げると濃ゆい人達ばかりで、あと4時間くらい長く見てみたい映画です。
運命は 待っているだけなの?
自分に起こることは自分が自分であるがゆえに、人はその状況からなかなか逃れられない。
だが、本当にそうなのだろうか?
もし何かを変えようと決心したら?
何もせず、ただ苦しめと?
主人公は意識のない境界をさまよっている間に気づいてしまったのです。自分の感じる人を。欲する場所を。。
彼だけでなく、彼が踏み入ったそのコミュニティで、沈滞していた人達も皆、少しずつ、自分の心に耳を傾け、本当に求めているものの形に気づいてしまうのです。
水は逆らわない方向へ 少しづつ、流れ出していく。
「これ以上、何も望まない」ところまで。
『日の名残り』『眺めのいい部屋』等のジェームズ・アイヴォリー監督の最新作ということで上映中から気になっていました。ただし、制作は2009年度。
観終わった後は、しっとりしたギター音色と美しい遠景の数々、そこに繰り広げられる、上質の役者たちによる抑え目な演技に魅了されます。
個性的な登場人物の、それぞれの心の揺れが確信に変わり、収まるところ「最終目的地」にたどり着くまでを、それは静かに堪能することができる作品です。
味わう愉しみを用意して待っていてくれる、そんな文芸作品。
地味な作りに反して、情熱的な人々の再生のドラマが心に響きますよ
流石はジャームス・アイヴォリー監督作だ。人間の生涯で最も複雑で、しかも難解であるテーマと言えば、人間関係に尽きると思う。
誰でも人間は、自己の人生に於いて人間関係を巧く扱う極意を身に付ける事に成功出来たとしたら、もうその人は人生の大半を成功させたと言っても過言ではないと思う。
何故なら、人は他人に活かされて、その人間関係から、自己認識が生れ育ち、成長していくものに他ならない、それこそが人生だと私は信じて疑わないからだ。
この作品でも、80歳を越えているアイヴォリー監督が実に鮮やかに、人の目にも見えず、そして決して手に取る事も出来ない愛情と言う、人間の心の中にしか存在しないエネルギー体である、人間の本質である愛を情熱的に見事に描き出している。
今は亡き一人の作家の伝記の執筆を望むアメリカの若き伝記作家の突然の訪問を受け入れた事から生れる、新たな故人に対する心の変化を、実に軽妙に描いていく。
しかもこの作品の面白さは、今では故人となった亡き作家の人生に深く関わって来た人々の現在から、故人に対する愛情と言う過去の出来事を表す事にも回想シーンを一切排除している点が興味深い。
全編、愛の認識の違いや、それぞれの立場の相違から生じる、故人に対する気持ちの相違を丁寧に描き出し、しかも今現在を生きている人の心の中に自然と芽生える、時の経過と共に変容する、愛の不思議な姿を巧みに焙り出しているのだ。
その様な人間認識で必要不可欠な、様々に異なる愛の姿を描く事で、人々の多様性とそして、時と共に変化する生き様を描く事で、作品を観る人達の心に常に毎日が変化する可能性を持つ、素晴らしい可能性に溢れている事を見事に伝えてくれて、私の心も捉えて離さない作品だった。
80歳を越えている高齢の監督作品とは思えない、常に生きる事への情熱的な愛の表現が全編にあふれていた。
ファーストシーンの南米の情景に音楽が重なり合う中で、これから始まる物語の奥深くそして、穏やかなラストを予感させていた。
そして、このラストがまた、それぞれが、各々の最善の希望を掴む事が出来た、新しい目的地にたどり着くと言う、ハッピーエンドが心地良く、大好きな終焉だった。
特に妻キャロラインと伝記作家オマーの恋人だったディオドラの再会のシーンが特に素晴らしい余韻を残してくれた。
妻キャロラインは、気難しく、本心を中々打ち明ける事をしないが、彼女の本当の泉から湧き出るような深い愛情をローラ・リニーが見事に抑えた芝居で魅せてくれて最高だ。
何せ、愛人とその娘と同居している訳なのだから。キャロラインの本質は非常に懐が広く誰に対しても本当は情熱的でも、それを表に出さない彼女の生き方に胸を打たれたね!
なんだ、こりゃΣ( ̄。 ̄ノ)ノ? ・・何故評価高いの???
もちろん。
映画は主観の自己満足だ。
だから、俺は他の方をどうこう言いたい訳ではない。
ただ、俺的にこの作品分からない! て言いたいだけだ。
Aホプキンスは我が心の師だ。
あんな爺さんになりたい。
(その前に、GクルーニーやPブロスナンみたいな中年にならねばッ!!!)
だから、彼の作品(受託眼含めて)は無条件に大体見るが、これはなぁo(`ω´ )o???
う〜ん(´・Д・)」(´・Д・)」(´・Д・)」
分からね〜(つД`)ノ
☆評価は・・
DVD100円基準で(*^^)v
DVD買う度 ◎
モ1回見たい度 ◆
おすすめ度 *
デートで見る度 ◇◇◇
観た後の食べたい一品】
なんだろ?ハチミツをトーストに?
●ラブアクチュアリーの香水売り(確か?Mr.ダマー?)的な?医者?好きです。流石南米ラテン!
異国に集う異邦人。
人は皆「いい人」になりたいと思っている。ワガママな気持ちを押さえつけて相手のことを考える。しかし本音はそんな美徳とは真逆の欲求でいっぱいだ。だから人は皆、正しいと思う道に中々進めず停滞してしまうのだ。本作は南米ウルグアイの片田舎で停滞する人々が、それぞれの最終目的地を目指し歩み始めようとする物語だ。
朽ちかけた邸宅に集うのは、自殺した作家ユルスの妻キャロライン、ユルスの愛人アーデンと幼い娘ポーシャ、ユルスの兄アダムとそのゲイ・パートナーであるピート。そこへ作家の伝記を書くための承認を得ようとやって来たオマー。彼らは様々な理由でこの地にたどり着いた異邦人でもある。ドイツ系移民のアダムとユルス、様々な国を渡り歩いた後にユルスに拾われたアーデン、14歳でアダムに拾われたピートは徳之島の生まれ、そしてアメリカからやって来たオマーはイラン人だ。この異国に留まる異邦人たちが、様々な葛藤に苛まれながら少しずつ自分を見つめ直す姿が繊細に情感豊かに描かれる。
国際色豊かな名優たちが織り成すアンサンブルが見事だが、とりわけピートを演じる真田広之が良い。力仕事をこなす逞しさと、細やかな気配りを併せ持つ人物を若々しくセクシーに演じ、名優ホプキンスと対峙してもひけをとらない。ピートの行動力と前向きさは、停滞する人々の中で程よい潤滑剤となっているのだ。
物語の主軸は、オマーとアーデンの恋とキャロラインの再生だが、私はどうしてもアダムとピートの関係性に注目してしまう。年老いたアダムは息子ほど年の離れたピートを解放するための資金調達を画策する。口では「老人のために人生を無駄にするな」と言ってはいても、アダムはピートがいないと物質的にも精神的にも何も出来ないのは明らかだ。アダムもまた「いい人」でありたいと思いながら、ピートを離したくないというワガママな本音と闘っている。そんな彼にピートはストレートに言うのだ「(アダムのいない)他の人生なんて考えていない」と。彼には“アダムと2人で”この土地を最終目的とする計画がとっくに出来上がっているのだ。本音を言えない人々の中で、ピートの率直さ、素直さ、正直さ(裏社会に顔が効くのも本音で生きているからだ)がダイレクトに胸にくる。2人の関係性を明確に捉えた見事なショットがある。昼寝をするアダムに全裸で寄り添って眠るピートのショットだ。セクシーなショットに違いはないのだが、アダムの足を抱えて眠るピートの無邪気さがとても印象的だ。一瞬だけのそのワンショットで、ピートがアダムを心から信頼していることが解り、胸が熱くなった。
人は皆「いい人」でいたい。相手に恋人がいるのなら自分が身を引かなくちゃいけない。夫の若い愛人(しかも彼女は自分が産めなかった子供を産んでいる)に嫉妬をするなどみっともない。しかしそんな表向きの顔はこの土地には必要ない。新しい一歩を踏み出す土地は皆に拓かれているのだから。
ウルグアイの手つかずの自然の美しさと、けだるい音楽、長年連れ添ったパートナー、マーチャントを亡くしても、アイヴォリー監督らしい知的で上品な格調高さは変わらない、いやそれ以上ともいえる。上質な人間ドラマは、後からジワジワと心に沁みてくる。そのエレガンスさにいつまでもいつまでも酔いしれていられる・・・。
アンソニー・ホプキンスと真田広之が何とゲイという濃密な関係で共演している点が大注目の作品。
日本の映画ファンにとっては、アンソニー・ホプキンスと真田広之が何とゲイという濃密な関係で共演している点が大注目の作品。
『最終目的地』とは、それぞれ5人の登場人物が終の棲家となるパートナーと巡り会うまで描いたラブストーリーでした。そこには不朽の映画ロマンスが描かれて、恋に落ちるとは、そして自分自身の本当のあるべき姿を知り、どう変わっていくべきかということを登場人物にも、観客にも静かに問いかけるのです。
その答えの出し方には、見る者を優しく包み込み、心を捉えて離さない、余韻に包まれるものでした。
退廃的なルック。凄く繊細なウイットと語り口。まるで印象派の絵画のような淡く美しい情景。そして運命的なロマンス。アンチ・ハリウッドを標榜して止まないジェームズ・アイヴォリー監督の作風は、エンターテイメントを拒絶していて、少々退屈するかもしれません。まるで純文学の小説を、ページを繰るように味わうに、最高に洗練されたアート系文芸作品である本作。アイヴォリー監督の集大成に相応しい深みと含蓄を極めた仕上がりとなっています。
いま恋をしている人でも、この相手でいいのかしらと迷うこともしばしばあることでしょう、そんな人とっての本来あるべき大切な場所、そして大切な人にきっと気付かせてくれて、ちょっと背中を押してくれる作品となることでしょう。
コロラド大学の大学院生オマーは論文提出により、大学教員としての道を進めため、ラテン・アメリカの作家ユルス・グントの伝記を執筆を計画します。大学の研究奨励金をもらうためには、ユルスの遺族で3人の遺言執行人から公認を得なければいけませんでした。けれども遺言執行人たちからは予期しなかった公認却下の知らせが届いてしまいます。 オマーの強気な恋人ディオドラは、ウルグアイまで出かけて、ユルスの残した邸宅で暮らす遺言執行人まで押しかけていって、直接交渉するように彼にたきつけたのです。
ユルスの邸宅は人里離れ、孤立し、朽ちかけつつありました。そんなロケーションとも知らずに押しかけたオマーに同情した邸宅の住人アーディンは独断でオマーの滞在を許し邸宅に招いてしまいます。
本作の面白味は、ユルスの邸宅で暮らす人々の奇妙な関係性にあります。オマーを邸宅に招いたアーディンは、窮状からユルスが母子共々拾い上げた愛人だったのです。そこには他に未亡人となった正妻のキャロラインも住んでいました。さらにユルスの兄のアダムとそのパートナーである25年間連れ添ってきたピートが暮らしていたのです。ピートは徳之島出身の日本人。
アイヴォリー監督の描く作品では、ゲイも国籍も宗教も一切がボーダレスで差別しないし、自然に渾然一体と融和した世界観が特徴なんです。あくまで登場人物たちの自由意志で、自分に合う場所を求めて旅を続けているわけなんですね。『最終目的地』といっても、ここであるべきだという押しつけが全くなく、自然の成り行きを重んじていたのです。
ドラマは、人を愛することに臆病になっていたアーディンと、美人だが気が強すぎる恋人ディオドラよりも心優しいアーディンに惹かれていくオマーのこころの迷いが主軸となっていきます。
またアダムは、ピートの自立のために長年のゲイの関係を清算しよう告げたことから、揺れ動くピートの感情と最終決断が描かれていきます。
さらにキャロラインもいつまでも夫の記憶に縛られず、新たな生活を模索し始めます。 やがて5人はそれぞれがそれぞれの『最終目的地』に向かって動き出したのでした。
一方伝記執筆の公認をもらうオマーの交渉の方は一進一退。アダムはすんなりと公認を与え、その代わりにオマ一にある提案をもちかけます。それは、母親から受け継いだジュェリーを持ち帰ってアメリカで売ってほしいという密輸の提案でした。パートナーのピートを、立ち去らせ、自由にするためにお金を手に入れようと考えていたのだ。
プライドが高く意固地なキャロラインは、「ユルスは伝記を望んでいなかった」と主張し、頑なに公認を拒み続けます。やがて1冊しか著書がないと思われていたグントが、2作目の執筆にあたったことが判明します。2作目には何が書かれていたのか?その原稿はどこにいったのか?浮上した隠れた著書の存在は、キャロラインの心をざわつかせます。それは自殺したユルスの死の真相にも関わることでした。
アダムの密輸の交換条件は、ディオドラの激しい反発を招き、オマーとの溝を深めるきっかけとなったのです。そしてオマー自身もこれまでの生き方へ問いを投げかけ、アーデンとともに生きようと決意するのだが…。
ポプキンスと真田のパートナー関係が全く不自然さを感じさせないところに、アイヴォリー監督の演出の巧みさを感じました。ゲイであることを隠してはいないけれど、一緒にいるのがとても自然に見えてしまうのです。監督は、きっと愛人としてよりも、もっと精神的な結びつきまで昇華した姿を描きたかったのだと思います。法律的には「親子」なんだけれど、「人間愛」の高みまで達しているという感じなんですね。
また、愛人アーデンに扮するのは、今やフランスを代表する国際派女優となったシャルロット・ゲンズブール。青年の突然の出現に戸惑いながら、愛すること、愛されることを畏れる女性を繊細に演じていました。青年オマ一役には、今回大抜擢されたオマー・メトワリー。オチョ・リオスとその住人たちに否応なく魅了されていく実直な一面が、ラストシーンの意外さを引き立ててくれました。
そして本作をぴりりと引き締めるキャロライン役のローラ・リニーが素晴らしいと思います。高慢な辛辣さ、郷愁を寄せ付けない強さ、ひとり酒をたしなむパーク・アヴェニュー風ゴージャス強烈で見る者の胸に迫る未亡人像が終盤に大きく変わるところが興味深かったです。
国際的に活躍する俳優陣が、自分の故郷といえる場所を持たず、漂うように生きながら、人生の最終目的地へと向かう途中にある人物たちを情感豊かに演じ、その見事なアンサンブルによって上質な物語を紡ぎだしたと評価します。
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