「マイノリティ万歳、だが世界は…?」クラウド アトラス そふつさんの映画レビュー(感想・評価)
マイノリティ万歳、だが世界は…?
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ウォシャウスキー兄が性転換したことを受けてこの作品をよく考えると、 自ずと作品の言いたいことは分かると思われる。
つまり、マイノリティや虐げられている者へのエールが即ちこの作品の持つ意味なのだ。
確かに劇中では黒人奴隷やクローン人間(奴隷的に扱われる)、老人、同性愛者など弱者やマイノリティを通して魂の成長を描き出している。
この点 は原作脚本の良さであり、映画としても評価できる部分だ。
だが作品が終盤に向かうと、観客に対してマイノリティへの同情を促していた作品自体が大きな破綻を迎える事となる。
マイノリティ達が声高に権利を主張し自らの自由を求めて戦った結果、地球は荒廃し、文明は衰退し、多くの人々が命を落とし、人類はその数を減少させていく。
この作品では「マイノリティが自由を求めれば円熟した文化は斜陽へと向かう」と説いているのである(奇しくも作中では叛乱の火種となった朝鮮半島が消滅したという下りすらある)。
魂の成長大いに結構である。だがそれは公の利益に資するものでなければ人としての成長とは到底言い難い、ということなのだ。
だが、この映画はこの作品が抱えるメッセージを真に映し出していない。
映画後半では人類の斜陽をあたかも美談のようなもので誤魔化すようにして描いており、到底それは容認されるべきではないだろう。
原作のもつ冗長さ、退屈さを映像化にあたって拭えなかったことを加味すると、凡作に及ばないと評価せざるを得ないだろう。
三時間を無駄にする勇気のある方以外は視聴を避けることをお勧めする。
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