清須会議 : インタビュー
三谷幸喜監督&役所広司、7年ぶり再タッグの先にある見果てぬ夢
コメディではなく喜劇、と三谷幸喜監督はのたまう。監督第6作となる「清須会議」は少年時代から夢中になり、いつかは撮りたいと願っていた時代劇。だからこそ、「大爆笑コメディにはならない」と知りながら、自筆の小説の映画化に挑み、監督としてのエポックメーキングになりそうな予感がするほど自信を深めた。7年ぶりの三谷組となる主演の役所広司も、脚本の完成度と歯切れのいい演出を絶賛。2人、とりわけ三谷監督が進化した“三谷ワールド”を語る。(取材・文/鈴木元、写真/堀弥生)
三谷監督には、コメディと喜劇の違いにおける明確な見解がある。
「僕の中でコメディという時は、ストーリーやセリフがすべて笑わせるために存在していて、結果的に笑えない時もあるかもしれないけれど、すべてを笑いに持っていくためのものをそう呼んでいる。だから、今回はそういうものではない。もうちょっと人間を描く方にシフトしているので、コメディではないんです」
子どもの頃から柴田勝家や丹羽長秀の似顔絵を描いて遊んでいた自称・歴史オタクだけあって、“構想40年”の「清須会議」がどのような作品になるかは熟知していると自負。しかも、後に天下を統一する羽柴秀吉ではなく敗れた側の勝家を主人公にするあたりが三谷流だ。
「やっぱり、敗れていった人たちに興味があるんですね。決してコメディではないけれど、秀吉と勝家を比べたら、勝家の方にユーモアがあって、悲しみと裏表のおかしさみたいなものがあるとずっと思っていたので」
その勝家役に想定していたのは、製作発表の時点では英国の名優ショーン・コネリーだった。実際にキャスティングされたのは、「THE有頂天ホテル」以来となる役所。本人も「ショーン・コネリーに断られたから(オファーが)来たかな」と冗談めかす。
役所「パッと見、勝家って何となく地味じゃないかと思いましたけれど、非常に愛すべき男で、それほど愚かで頭の悪そうな人じゃないのかもしれない。信長に対する忠誠心やお市様に対するいちずな愛情といったところが、いいヤツだろうなって感じはしました。後は監督からいろいろ。体臭や口臭がひどい、いつも脂っぽい、耳毛まで生えているとかね…」
三谷「ただ間抜けな敗者にはしたくなかった。彼が言っていることや考えていることは子どもがちょっと大人になった程度の思考でしかないけれど、決して愚かな男にはしたくなかったんです。1人の武将としてのカリスマ性や凄み、強さ、優しさといったそれなりの魅力がなければいけないと思ったので、役所さんの勝家が見たいと思いました」
その狙いは見事に的中している。役所は豪放な雰囲気を漂わせつつ、どこか間が抜けていて愛きょうたっぷりの勝家像を確立。三谷監督も、役所のファーストカットとなった本能寺の焼け跡のシーンで、自身の選択が正解だったと確信する。
「衣装を着けて来られた瞬間から、もうそこに勝家がいた。僕が欲しかった彼の生きざまや信長、長秀との関係が見えた。子どもの頃からずっと好きだった柴田勝家がきちんといたので、驚きであり感動だった。しかも、完成した映画では本能寺になっていますけれど、実際は後ろに青い幕が張ってあって、京都でもなんでもないですから。よくこれだけ集中して役になれるなと、ビックリしました。さすが、役所広司」
その演出面においては、役所が「現場で初めてお会いした時、『最近、カット割を覚えたんです』とおっしゃっていました」とばらす。三谷監督も認めつつ、作品を重ねるごとに「監督として進化されている」と強調する。
「6本目でも監督って何だろうって、まだそんなことを言っていて、いつも自分の無力さを感じるんですけれど、唯一あるのはこの作品の完成形が頭の中にあるのは僕だけなんですね。だから、そこにブレがあっては絶対にいけないって思うようになって、頭の中の完成形に近いものを作っていく、ジャッジしていくのが僕の仕事なんです。だから今回は、僕のイメージに合わないものはやらない、使わないということは心がけていました。若干、(秀吉役の)大泉洋が調子に乗って何か言っていましたけれど、ほとんど却下していますね」
月代(さかやき)の大小や織田家の“遺伝子”である大きな鼻を統一するなど、登場人物は肖像画を基に細部まで徹底的にこだわる歴史オタクぶりを存分に発揮。役所によれば、演出も1シーン1カットごとに細かい指示があったそうで、その基盤となる脚本に賛辞を惜しまない。
「笑いに包まれている脚本ですけれど、切なさというか悲しさみたいなものを持っている。そのコントラストですかねえ。笑えば笑うほど、切なさがポイントで効いてくるのがうまいなあって。いるいる、こういうヤツいるっていう人物を書くのが上手ですよね。やはり人間観察力がすごいんだと思います」
役所のほか大泉、小日向文世、佐藤浩市、鈴木京香ら文字通りの豪華スターが集う群像劇。しかし、全員が一堂に会するのは織田信長の後継者として三法師がお披露目される大広間のシーンのみ。この時ばかりは監督のだいご味を感じたという。
「あのシーンを撮る時は緊張したし、なんてぜいたくなんだろうと思いました。皆いるって、ドキドキしました」
初の時代劇に模索し続けたとしきりに話していたが、完成した作品には相当な手応えをつかんでいる。これも製作発表時に豪語した“「ラスト サムライ」超え”(興収138億円)の目標は揺らぎ始めているとはいえ、三谷ワールドの新機軸になったことは間違いない。
「爆笑コメディを期待して来られた方は、えっと思われるかもしれないけれど、見てもらえれば満足していただけると思う。今までこういう映画ってなかったので、そういう意味でも画期的なものになったという気はしています。毎回、映画はどうやって撮るのかを勉強させていただいている感じですけれど、時代劇専門の方々といろいろ相談して作っていく上で、映画ってこうやってできていくんだということをすごく体感できましたね。撮り方としてはすごくオーソドックスですけれど、だから映画らしい映画になったかな」
ひとつの念願をかなえたが、まだまだ夢は尽きない。
「僕は基本は映画ファンなので、自分が見たい映画、見たいジャンルを作ってこられて幸せだな、映画ファンの極みだなと思うけれど、まだやりたいことはいっぱいある。ミュージカルもSFもやってみたいし、時代劇も何となくノウハウが分かったので、また作ってみたい」
そして、同じ36歳で監督デビューした、敬愛するビリー・ワイルダー監督への思いもはせる。理想とするのは、「お熱いのがお好き」だ。
「すべてのシーン、セリフが笑わせるために作られていて、最後笑って、ちょっと切なくなるんだけれどすごく幸せな気持ちで終われる。そういうコメディを作りたいし、そのために日々勉強させていただいている感じはあります。後はどれだけ長生きできるかですよね。まだまだ頑張ります」
ワイルダーが他界した95歳までは、まだ40年以上もある。そして、役所にも「長生きしてくださいね」と要求。今回は“再会”までに7年の時を経たが、役所も「忘れられていなかったことを幸せに思います」と謙虚に応じる。次はもっと短いスパンで2人のタッグが実現するかもしれない。