夏の終りのレビュー・感想・評価
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ここに描かれる人間を誰一人好きになれないが、人の弱さ、狡さ等時代の空気感が香り高い文芸作品だ。
好き嫌いは別として、本作は昭和30年代当時の2人の男の間で揺れ動く、女心をエモーショナル且つ、センセーショナルに描き出した作品として、原作の香りが好く滲み溢れた文芸作品としては、出来の良い面白い作品なのではないだろうか?
しかし、ヒロイン知子の生き様には、個人的には全く感情移入出来ない、どちらかと言うと気持ちの悪い作品だ。しかし、当時のお妾さんの生き方を描いている作品なので、そう言う意味では良く出来た作品だと評価出来る。
この映画の原作は、「あおぞら説法」や「源氏物語」現代語訳の著作で有名な瀬戸内寂聴氏が出家される前の瀬戸内晴美として作家活動のみをしていた当時、発表された彼女の初期の作品であり、今でも彼女の代表作の一つとして数えられる作品である。
この「夏の終り」は今から丁度50年も前に発表された作品であり、しかも、瀬戸内氏の自伝的な体験をから生れた小説で、言ってみれば私小説のようなこの作品に描かれている、主人公の知子の存在は、作品が発表された昭和30年代としては、きっと非常に新しい、女性の生き方を描いた作品と言うことになり、かなりセンセーショナルな小説で評判になった事だろう。
映画館は、御年配のお客様ばかりで賑わっていたのだった。
この小説が描かれた当時の世の中での評価は、私には分からない。
しかし、今日でも、こうして普段は余り映画館へは来られないだろう御年配の観客が押し寄せるのは、瀬戸内氏の人気なのだろうか?
それとも、作品の読者が今、この作品の映画化を知り、観に来たのだろうか?その真意を確かめる事は出来ないが、この作品が、年配の方々には、非常にインパクトのあった作品で今尚記憶に留まっている作品なのだろうと、私は考えるのである。
この時代、アメリカでも60年代初頭は離婚する女性は極僅かであり、それが日本となれば
更に珍しい事だ。
しかも、大会社や、政治家、或いは、有名人などの、愛人稼業をしていた、この頃のご婦人は、日陰の女として一生を貫き、あまり、自分自身で、自己の生活の自立を考え、本妻さんの処へ赴くなどの、でしゃばった行動などは、絶対に差し控えていたのがこの時代の、この世界の女性の日常意識だ。
そんな、生き方をしていたこの当時の愛人達の事をお妾さんと呼んで、自分自身はそう成らなくても、社会の中で、愛人と言う存在自体は、今よりも感大な目でもっと認知されていた時代なのだろうか?相当今とは、同じ愛人と言ってもかなり女性の生き方の意識が今とは異なっていたようだ。
ヒロイン知子は当時の女性としては、珍しいタイプの人間であり、巧く描かれていた様に思う。しかし、映画全体として、雨のシーンや、夜のシーン、曇り空の日々など、知子の心の中を映し出しているかの様な、暗いトーンの映像が続いて、観ているとこちらの気分も参ってしまうのだ。
色々と、監督が苦労を重ね描いていた、痕跡は認められるが個人的には好きになれない人間像なので、高得点は付けたくはない作品だった。
ドラマ気分で見ると、手酷い目にあう
決して、『主人公や内容に共感する』なんて考えを持ってはいけません。
ドラマじゃ、その気分で見てもいいでしょうけど(むしろそれを目的とした主人公作りがなされていますけど)これは非常に特徴的な愛を描いています。そんな甘々な気持ちでいると顔をひっぱたたかれ、そのついでに突き倒され腹部を踏みつけられる目に遭います。
私も後ろからナイフでざっくざくにやられました。あ、綾野剛はかっこよかったです^^
誰に共感するわけでもなく、ただそこで映し出される愛の表現に感心する映画。中々お目にかかれない、愛という免罪符を振りかざした暴力です。映画は非現実を見るもの、という言葉を久しぶりに感じました。『愛は我が儘で、人を振り回すもの』という理念が突き通されているのかな。
「どうにもならないのよ」「どうにかしてよ」と主人公、知子の台詞通り「どうにかしてよ」という愛が描かれています。「どうにかしろよ」って感じでもあります。
終演後の観客の反応は、それは微妙なものでした。トイレで「共感できないわ~、綾野剛の役が一番共感できた」と言っている二人のご婦人方を見かけました。
そりゃそうだよね、という気持ちになりましたが、私の鑑賞後の気持ちは、それだけじゃない、何とか説明を付けたい、という気持ちで。全く面白くない訳じゃなかったし、でも面白いわけでもなかった……と白黒はっきり付けられなかったです。
二カ月たって「愛の理不尽さがわかる映画だったんだなあ」とぼんやり思いました。人生勉強になった映画。
画角はすごくきれい。どのシーンを眺めても満足できそう。
光と影の演出も良くて、うす暗い部屋に落ちる影、窓から差し込む光。
バランスが素晴らしいです。知子が作る反物の模様のような世界。
あと珍しく煙草を嫌がらず全面に押し出している映画なので応援していきたいです。綾野剛が吸っていたのが、Hi-lightでしたっけ?
ちゃんと銘柄の味もわかっていれば、人物の役もわかりそう。
不覚にも寝てしまった
不覚にも寝てしまった。
どうもシーンシーンで回想ルールとかがちゃんとしてなくて、いつ時点の話をしているのかが分かりにくかったです。
話が進んでいくにつれ、あ、そこも夫婦じゃなかったのか、と気づかせるのは面白い展開なのですが。
満島ひかりはそれなりなものの まだ若々しく、話の性格上 それよりはもう少し年齢が上で色気の多い女優を使うべきだったような気がしましたね。
瀬戸内寂聴さんの生き方かな?。
これもまた昭和の映画梅田ロフト地下で夜7-鑑賞。
TV『ぴったんこカンカン』瀬戸内寂聴さんゲストで、仰いました。当時は、不貞は、許さないそんな背景で、、
やはり“駆け落ち”“死”が そして、上村一夫さんの大人の漫画にあるように、同棲生活。。。歌われている“赤ちょうちん”昭和の初期恋愛は一大決心だった。
この作品ですが、監督の意向でかな?最近の傾向か?途切れ途切れで、線が見えてないみたいだったので、そのシーン毎に理解してみなきゃいけないのかな?部分評価は、気持ち3です。(笑)
男は恋愛をすると愛する人を守り大切にする。そして嫉妬心を抱く。
女は、一度はまってしまうと愛する人しか例え不倫だろが本気だろが、真剣に愛するし、見えてないです。
女は恋愛することで、心も体もしぐさもきれいになって変わる。
ちょっとシーンで興奮したかな? 現実【”仏の道“ 】に行かれ子供とも会うことできました。とTVで仰っていました。90過ぎてますます快活な瀬戸内寂聴さんですね。
恋は、やはりわがままになるのかな?結婚は、どちらか一方死別…。で、本当の別れになりますね…。
人生なんて切ない想いです。でも大好きな人が傍にいたら頑張れますね…。
恋は不思議な縁(えにし)を運んでくれます。何度も続くほどそれが崩れません。
古きよき日本映画
瀬戸内寂聴の自伝的小説の映画化です。あまり恋愛映画を観ないので観るか迷いましたが、何となく観てしまいました。古きよき日本映画という感じでしたが、動きが少なくてストーリーに発展性がなく、私には合わないと感じました。過去の回想シーンが挿入されますが、時系列がわかりにくくて混乱してしまいました。満島ひかりも何か期待はずれという感じでした。
よくある話で平凡 これでいいのか
知子は一つの殻に閉じ込もっていられない、内に秘めたエネルギーの強さを持つ。夫と子どもがあっても好きな男のもとに走るのは、ひとりの女としてたった一度の人生を生きている証しであり、ふしだらの一言では片付けられない本能的な生きる力を感じる。
そんな知子が愛するのが作家の慎吾。妻がいて、双方を等分に行き来する生活を送る。本来書きたい作品は売れず、多くを語らず、優柔不断な男に惚れてしまうのは何故だろうと考えたところで、これは他人には分からないこと。
それに比べたら、一度は駆け落ちして別れたものの涼太なら無条件で一緒になれる。
魂そこにあらずといった風情の小林薫が上手い。綾野剛も惚れた女がいつまでたっても自分ひとりのものにならないもどかしさに苛立つ男を上手く表現している。
満島ひかりもそれなりに頑張っているが、恋愛経験の不足からか身悶えするような情念が迫ってこない。
男の妻から所要の電話まで受けるのは、屈辱ではないのか。お互い、立場を理解しているなどと綺麗事ではすまされまい。
熊切和嘉監督の演出に“張り”を感じない。
受話器の向こうで妻が曖昧な笑いをこぼすシーンが、かろうじて二人の女の間にある刺を感じさせるぐらいだ。
一緒に暮らした男と女が別れるには相当のエネルギーが必要だ。敢えて女はそれに立ち向かうのか、どうもイライラ感も期待感も募らない。
男と女の関係を描いた作品は数多あるが、当人にしか分からない激情を何の工夫もなく絵にした映画ほど退屈なものはない。
たとえ破断する恋であろうと、未来に希望がある話のほうが性に合っている。
機会があったら本を読んでみたい。
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