「人形の家」夏の終り 小二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
人形の家
小林薫演じる小杉慎吾:
妻がいる身ながら愛人に心中を持ちかける。理由は奥さんの命を絶つのは忍びないから。何だそれ?ズルくてダメな男だなあと思う。
(そんなズルい男をこれ以上ないくらいダメで可愛く演じた小林薫、とても良かった。)
綾野剛演じる木下涼太:
昔つきあっていた女を突然訪ねる。何年も経ってるのに、何で自分の事を受け入れてくれる、まだ愛してくれていると思えるんだろう。都合良すぎない?そして何で最後は被害者ぶるんだろう?そこも都合良すぎる。
(老練な小林氏に対し、綾野氏の演技がちょっと拙い感じもしたが、そこが青臭いヒヨッコな役ドコロに合っていた。)
こんな2人を受入れる知子(満島ひかり)の方が被害者だよ…なんて思ったりもしたが…。
いや、というよりも、恋愛関係というのは、どっちが被害者・加害者という訳でなく、どっちが良い悪いでなく、対等なんだー、その覚悟を持てーという事を、原作の寂聴センセイは声を大にして言いたいんだろうなあ。
この映画の登場人物は皆、善悪の彼岸にいる。
—
肉欲であれ恋であれ愛であれ、最初のうちは、止むに止まれぬ激情が各人を突き動かしていたのだと思う。が、年月が経つにつれ、ズブズブの日常となっていく。腐れ縁であり、共犯者であり、依存であり、逃げ場であり、ぬるま湯のような心地いい地獄の同居人だ。
慎吾は、ぬるま湯から抜け出せない。
が、知子はその依存から抜け出そうとする。自分だけの足で立ち上がろうとする。恋愛を逃げ場にしない。
そもそも知子は、自分の子を捨ててきたっていう、恋愛のどうしたこうしたよりも、深く重い罪を背負っている。世間の埒外に自分が居ることを自覚している。その自覚が、独りで立ち上がる源なのかもしれない。
—
寂聴センセイ版「人形の家」とも言える本作、説明的で説教臭い話に陥ることなく、単なる情念ドロドロにもならず、個人的には、とても爽やかな作品だと思った。
主演の満島ひかり、昭和30年代の女性を演じつつ、どこか現代っ子的な顔ものぞかせ、キュートだった。