未知との遭遇 ファイナル・カット版のレビュー・感想・評価
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40年ぶりの接近遭遇
約40年ぶりの再見。もちろんDVDも出ているけど、あの満艦飾のシャンデリア登場シーンの感動を味わうには、やはり大画面でないと。リチャード・ドレイファスが築山造りに熱中するあたりはやや中だるみの感があるが、ド派手なクライマックスのおかげでおおむね帳消しに。
考えてみれば、「激突」の原題は「決闘」だし、「ジョーズ」は「顎」だし、本作も「第三種接近遭遇」だ。外国映画の題名はそっけないのが多い。本国ではその題名で観客が足を運んでいるんだからね…。
あらためて
昔観たこの映画が忘れられないからさ❗️
10年続いた最後の年らしい「午前十時の映画祭」🏮祭場は同じようなノスタルジー目当ての方々なのか満席に近い客の入り🈵
何を隠そう私の記憶にある中で生まれて初めて観た映画。他所へ場所が移り今は無き映画館に当時家族連れ立って行き、私は抱っこされて観た記憶‥というかほぼ寝ていたか😴
今回も途中二度ほど寝落ちしてしまったのですが😅、掴みのワクワク展開からの序盤の流れは素晴らしかったです。そこらへんは覚えてもいなかったので初鑑賞気分で味わえましたが、後の展開に関しての評価は私の場合どうしても思い出&思い入れ補正が入ってしまっているでしょう。
Youtubeの動画等で手軽になんでも観られるこのご時世、幼少時の鑑賞以来の初めての‘再’鑑賞でもなかったため残念ながらノスタルジーがそれほどは呼び起こされることはなかったのですが、子供が吸い上げられたりするシーンはホラー的な描写っぽくもあり、昔に薄ら観た時の幼心に不思議 且つ恐ろしげ😱な強烈なインパクトを焼き付けられ、その印象は未だにずっと私の中で鮮明に生き続けております。
生まれたての雛鳥🐣への刷り込み宜しく、私もこの映画を観てSF🌌に心を奪われがちになったのかも?🤔
登場人物のロイは遭遇した未知の物体に文字通り夢中になってしまうのですが、全てを投げ打ってでも❗️👨🚀という彼の心境にどちらかというと好奇心と共に生きてきた私も羨まシンクロしてしまうのであります。『ファースト・マン』のアームストロング船長は死の恐怖も付いて回ったでしょうが、宇宙はそれでも人類の気を引いて止まない🚀
昨今は色々解明されてしまい🌏の近所に目ぼしい生命はあまり居なさそうですが、、
それとも既に地上で同居しているのか⁉️😏👽
これが後の同監督作の『E.T.』に繋がるのかラストのシャンデリア型の宇宙船は今でも圧巻❗️😚ワクワクスル~ (ただし宇宙人👽はショボめ)
例の5音階音🎹には、つい ア・ロ・ハ・オエ〜🌴を合わせてしまいます😗
午前十時の映画祭
素晴らしき未知との遭遇。
映画館で見るのは三十何年ぶりになります。
やっぱり映画は映画館で見なくっちゃね
自分の理解を超える体験をしたことはあっただろうか
昨日の夕方、私はとある山の頂上まで行ける車道を走っていました
さながら映画「ミスト」のようにとても濃い霧に包まれ視界は1メートルもなくなりUターンも恐々としてやっとの思いで降りてたのは想像以上の体験でしたね〜〜
恐いことは恐いのですがその反面でどこかウキウキしていたことも確かです、私はきっと主人公ロイ側の人間ではないだろうか!
毎日安定した生活よりもたまにある刺激的な何かがあるほうがはるかに人生を彩ってくれるような気がしてなりません。
それには普段の何もない生活が何よりも大切だと思いますよ。
でも、ロイのような経験をしてしまったら現実の普通の生活に戻るにはかなりの努力が必要になるでしょうね。
それにしてもよく考えられた邦題だな
眠かった
前から大して面白くないと思っていたのだけど改めて見て、ぼんやりしたストーリーでやっぱり退屈でウトウトした。『張り込み』でめちゃくちゃ魅力的だったリチャード・ドレイファスが全く魅力がなかった。
このバージョンで、初めて手足の長い宇宙人を見たのだけど、しょぼかった。宇宙船も町工場みたいであんまりじっくり見ない方がよかった。
ある意味リアル
次に劇場で観られるのは・・
人生で、初めて映画館で観た洋画作品でした。当時のTVCMは、真っ直ぐな道の先の光に向かって進んでいるシーンだけで、何の映画か分からない所が、好奇心を誘って好きでした。「宇宙にいるのは我々だけではない」のキャッチコピーも好きでした。
お陰さまで、その後どっぷりと映画人生を過ごしています。
友人は面白くないと言いますが、何が面白くないのか、分かりません。
分かり易いストーリー展開に、ダグラス・トランブルの特殊撮影。何も言う事はありません。
一番のお勧めは、ジョン・ウィリアムズの音楽です。
マザーシップが離陸するシーンからエンドクレジットが終わるまでの曲は、何度聴いても飽きません(^.^)。
個人的には、「特別編」だけに使用したピノキオの「星に願いを」が好きかな。
ファイナル・カット版だけ劇場で観ていませんでしたので、これでコンプリート!と思っていたら、上映後にスタッフの方が、「間違って通常より大きなサイズで上映してしまいました」とのお詫びがありました。確かに線がボヤけている気がしたのですが、昔の映画なのでこんなもんだろうと思っていました。仕方ない、また観るか・・とは行きません。
願わくは、数年後にまた劇場で上映してくれる事を祈っております。
公開初日に日比谷の有楽座の初回を観て以来
1978年2月25日の日本公開初日の初回、70mmの日比谷 有楽座で観て以来、実に41年ぶりの再会でした。当時は入れ替え制ではなかったので、観ようと思えば何度も観られたはずですが、のちに公開された特別編を観る事も、テレビ放映もビデオも観ないままでした。
今回はファイナル・カット版という事でしたが、どこが違うのか正直よくわかりませんでした。
劇中『ピノキオ』の「星に願いを」のメロディが2箇所ほど流れるのを発見しました。あの5音はコダーイだったのか!とか。ディズニーランドもなく、クラシック音楽にも興味のなかった頃なので気がつかなかったのでしょう。
宗教的な場面が少し出てきて、信仰を持つ者よりも少年の心を持つ者が選ばれるというのも興味深かったです。
とても面白い
クライマックスが圧巻
未知との遭遇
コダーイとの出会い。
SFの古典的作品をファイナルカットヴァージョンで鑑賞。
これだけの有名作品にかかわらず、何の予備知識もなく見始めた。
いきなりメインキャストにフランソワ・トリュフォーの文字が。え?スピルバーグの作品ではなかった?混乱していると、スクリーンにフランス語を話す科学者として、トリュフォーその人が登場。
なんだか意味が分からないまま映画は進み、小さな子供が消え去り、電気技師が車でUFOと遭遇するくだりの画は、子供のころから見てきたスピルバーグ映画のそれに違いない。
トリュフォー扮するフランス人科学者が宇宙人との交信の糸口にするのが、ハンガリーの作曲家コダーイの手話による音階。これはたまたまこの音階方式が宇宙人と共通だったというのか、それとも宇宙人とコダーイは何らかの接触を持っていたということなのか。その辺のことがよく分からないまま、そして、全体として状況がどうなっているのかあまりよく呑み込めないまま、主人公の電気技師が宇宙船のなかへと消えていく。
宇宙人のほうも、地球人のほうも、お互いに敵意なくコミュニケーションをとろうとするところが70年代という時代。未知の他者との友好関係という夢が描けた。現実世界では冷戦の真っ最中で、いつ核戦争が起きても不思議ではなかったのにである。
現在の映画に出てくる宇宙人は地球を侵略する。それに対する地球人も攻撃的だ。地球の人々(あえてアメリカの人々とは言わないが)もずいぶんと好戦的な存在となったものだ。
なんにせよ、映画の中でコダーイという音楽家との出会いは、「ポンヌフの恋人」の冒頭で流れる無伴奏チェロ以来。
あれ?こんなのだっけ?
圧倒的な何かがやって来ている
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:65点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
何かが起きていて何かが来ているけれど、それが何なのかわからない。でもそれは人知を超える、光り輝く圧倒的なものだ。接触した人たちは何もかも放り出してでもそれに近づかなければ気が済まない。そして訪れる邂逅の瞬間は神々しい。宇宙への憧れや神秘の世界への入口を見せてくれる。
だけど何の取り柄もない一般市民が招かれていたり軍の操縦士が長い不在から突然帰って来たりで、彼らが何をしたいかさっぱりわからない。結末の部分までは、ありきたりの一般人がただ山を見つけて登るだけなのが物語の中心になっているのもいただけない。宇宙への憧れと雰囲気だけが突っ走ってしまっていて、設定や物語がおざなりになっている印象。
普通の「未知との遭遇」をかなり昔に観たけれど、E.T.みたいなのが宇宙船から出てきたかどうか記憶にない。もしかすると登場はこの版だけかな。後の「E.T.」はこの宇宙船から地球に置いてきぼりにされたのかと思わせるような姿だった。
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