沙羅の門
劇場公開日:1964年10月14日
解説
水上勉の同名小説を「卍(まんじ)(1964)」の新藤兼人が脚色「僕はボデイガード」の久松静児が監督した文芸もの。撮影もコンビの梁井潤。
1964年製作/98分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1964年10月14日
ストーリー
京都八坂神社の一寺に下宿して女子大に通う千賀子は、子供が出来たことを知ると、恋人橋田に話したが冷たく拒絶され、強いショックを受けた。だが姉のように慕う義母八千代の好意で、千賀子は無事中絶を終えた。八千代は戦争未亡人であったが、昌福寺の千賀子の父承海と再婚し、年令の開きも、禅宗のしきたりで正式に妻の座につけないことも苦にせず、承海につとめる善良な女であった。そして八千代は、この山門に沙羅の花が匂う、昌福寺で女盛りを迎えたのだった。沙羅の花の甘い匂いをかぐと、全身が欲情にうずくとは、八千代が千賀子によく語る言葉であった。そんな八千代を承海は心から愛していた。一方回復した千賀子は夏休みのアルバイトで、銀行員剣山仙吉と知り会い、深い交際に入っていった。妻子を捨てても、千賀子と生涯を共にしたいという仙吉の言葉に、千賀子の心は揺らいだ。承海は、そんな娘に気づかず、昌福寺に手伝いに来た野々宮恭順を養子にと考えていた。その頃千賀子は、甘い言葉の裏で、仙吉が求めたものが、中年男の欲望にすぎなかったことを知り、仙吉と別れる決意をしていた。アパートを訪れて、娘の悩みに気づいた承海は、千賀子に「自分を大切にするよう」訓した。それは、禅宗でありながら、千賀子の母さだ子と、八千代という二人の女を愛した自分へのざんげでもあった。だが千賀子の愛する父はそうした正直な人間としての承海であったのだ。その承海が事故で五十二歳の命を閉じた。千賀子と八千代を残して他界した承海は死後、女を寺に入れず、禅宗の戒律をまっとうした僧として、大和尚の院号が贈られると噂された。籍が入っていない千賀子と八千代は葬式に参列出来ないまま、承海の暖かい思い出を抱いて、沙羅の門をあとにした。新しい生活の出発が明日を待っているのだ。