めくら狼(1963)
劇場公開日:1963年9月29日
解説
「新選組血風録 近藤勇」の笠原和夫がオリジナル・シナリオを執筆、「吸血死美人彫り」「吸血怪人屋敷」の大西秀明が監督した任侠もの。撮影は、「江戸忍法帖 七つの影」の森常次。
1963年製作/83分/日本
配給:東映
劇場公開日:1963年9月29日
ストーリー
時は文明開花の頃、捨子で盲目という、人呼んで"めくら狼"と恐れられる侠客がいた。三味線の名人野沢六兵衛門に拾われ名も拾五郎と呼ばれその芸をひきついだ。竹本菊之助節と捨五郎の三味線は大阪でも人気があった。しかし、師匠の一人娘お春との結婚の夢破れた捨五郎は、自暴自棄になり泥沼の世界に入っていった。そんなある日、捨五郎は父親の博奕の質代りとして追われる娘志乃を地廻りの遠州屋一家から救った。同じような星の下に生れ、肩を寄せ合ってなぐさめ合う二人、志乃は捨五郎に慕情を抱くようになったが、うらみを持った遠州屋の追跡も続いた。志乃の母を探して大阪に来た二人は、侮りと蔑みをうけ、あげくの果て、大伝一家の身内と乱闘になった。その場を救ってくれたのは、かっての弟弟子の今は横網格の人気をもつ竹本菊之助であった。菊之助の好意で幸福な生活を始めた二人だったが、ある日師を訪ねた捨五郎は、今は陸軍将校の妻であるお春の、不幸な結婚生活に怒り、喧嘩をひきおこして留置場入りとなった。その侠気にほれた大伝一家から、身内になるよう奨められた。時しも遠州屋は小助一家に走り込み捨五郎を狙っていた。捨五郎は意を決して志乃を六左衛門にあずけ、自身を大伝一家に預けた。予想した通り、小助は、勝てば縄張り、負けたら捨五郎と志乃を許そうという条件を囮に跳戦してきた。しかも小助の代理人はインチキ博徒の赤不動であった。この赤不動はかって捨五郎と組んだ仲だった。彼のきてんのきく赤不動の助言で。志乃の幸福を願いながら単身小助一家に乗り込んだ。やくざの義理で立向う赤不動を斬り小助をも斬った捨五郎は、一人夜の浜辺にたたずみ、渡世人の宿命に、見えぬ両眼に涙を浮かべていた。