犬神家の一族(1976)のレビュー・感想・評価
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結構うまくやってたぜ
角川映画祭4K修復版
もう何度も観ている犬神家
子供の頃テレビで家族で観ていたとき佐清がマスクをとる瞬間、「おやすみ…」と言って自分の部屋に逃げたのは微笑ましくも忘れがたい記憶
松子竹子梅子の3人の女優はもちろんだが、この齢になると加藤武や小沢栄太郎等の脇の上手さに目が行く
謎解きより親子の愛憎入り交じる物語となっているが、そう考えると坂口良子は色んな意味で感慨深い
何度も見たのにまた発見が…。
高峰三枝子の美しさと演技が結末に向かって凄惨さを増し息子への愛と優しさが満ちていく。ご無事で生きて帰ってきてくれて…。同じ立場だったら自分もそうするかも知れないと思った。
因果応報の根っこは犬神佐兵衛、それが三國連太郎とはーーーーー!知らなかった!「悪魔の手毬唄」も素晴らしかったがやはり犬神家。市川崑の映画のかっこよさが詰まっている。ザ・日本の自然と家屋の美しさを引き立てる映像(瓦のなんて美しいこと)、照明(だんだんと暗さに向かう部屋の陰り)、オープニング・クレジットのあの文字の大きさとフォント、途中で挟み込まれるセピアやモノクロの映像や静止画と古びた写真(三國連太郎、確認!)、金田一を中心とした切り替わりの早い会話場面、女優陣の役に合った着物と着付けと指輪(草笛光子の開け気味の衿と大きく赤い指輪がとりわけよかった)、メイン音楽のメロディーライン(大野雄二)の美しさと湿気に胸が締めつけられ、映画の中では乾いたジャズ。かっこいいー!
今の邦画では残念ながら全く不可能な、豪華で素晴らしいキャスティングでした。これが当時の金田一シリーズの醍醐味でもありました。宿屋の主人で原作者横溝さん、警察官で角川春樹さんも出演してましたね。佐清は目が重要なのであおい輝彦、適役でした。
そうだったのかー!ショック!だったのが佐兵衛(三國連太郎)と彼のいわゆるパトロンとの関係でした。公開当時もその後もわかってなかった。自分が愛した最初で最後の女性がパトロンの妻でありそのパトロンとも恩義がある故持たざるを得なかった関係は生き地獄だったに違いない。
しっかりと覚えていたのはお琴のお師匠さん(岸田今日子、適役!)の言葉でした。弟子がどの指を怪我したか、それを庇ってお琴を弾いてることもお見通し。何度聞いても痺れる岸田今日子の声と台詞💕
島田陽子さんも適役でした。最初に一人でボートに乗って水没しかかったのに、また一人でボートに乗って昼寝してるのは剛胆なのか鈍感なのか計算づくなのかよくわからなかった。
【石坂金田一シリーズ、第一作。”湖から突き出た2本足のシーン”が強烈な印象を残す。今作の大ヒットにより、シリーズ化が決定した記念碑的作品。】
◆今作が、その後の”石坂金田一シリーズ”の礎を築いた。その功績は大きい。
一方、角川映画を毛嫌いした人がいた事も事実であるが、私は映画界に残した、功績を買いたい。
■感想
・キャスティングで、誰が犯人かが分かってしまう、”安心感”。
ー 金田一映画シリーズの特長である。出演俳優の中で、一番の実力女優・・。ー
・土俗性、もしくは一族に伝わる伝承、もしくは家訓の巧みな使い方。
ー 今作では、犬神家に伝わる三種の神器、斧(ヨキ)、琴、菊である。ー
・キャラクターの多さ及び、複雑に入り組んだ家系。隠された血縁関係。
・石坂”金田一”の頭を掻きむしったあとのフケを含めたお決まりの仕草。
・大仰な音楽。
ー 今作の哀愁を帯びたテーマソングは、昭和後期生まれであれば、一度は耳にしたのでは?ー
・”そうか、分かった!”が口癖の、全然分かっていない橘警部(加藤武)
・最後は、”何だかんだあったけれど、良かった、良かった”で終わる、今作がヒットした事が良く分かる幸せな結末。
<年齢的に、リアルタイムで映画館で観た事はないが、”お決まり感”と、残虐描写。
そして、後手後手の、金田一耕助名監督の推理。
貶しているようであるが、これらを丁寧に描く市川崑監督の映画作りが良いのである。
そして、物故者が多くなってしまったが、”昭和”の名役者さんたちの姿。
事件のあらましを、皆を集めて説明する金田一の前で、真犯人が自害する・・。
何度観ても、オモシロイのである。>
今見ても色あせない不朽の名作
角川と横溝のコラボ第一作
角川が映画に進出した第一作で、監督は市川崑でとてもスタイリッシュ、音楽もかっこよく、TVスポットで耳タコだった記憶がある。
横溝作品は殆ど読んでいて、当初、石坂浩二の金田一は?だったが、観始めると全く違和感がなかった。
今見ても面白くヒットしたのはうなずける。
今でも洗顔してる時に時々スケキヨの真似してしまう。
佐清の仮面姿は今もトラウマ
本作は、総ての日本映画ファンがあだやおろそかにできない、絶対に観ておかないとならない作品です
ご存知横溝正史の原作
映画化された人気作品はほとんど、その作品が連載された時期と同じ終戦直後の時代設定です
岡山県が多く舞台になるのは彼がそこに戦争中疎開していたからです
神戸がよく登場するのは一番近い都会というだけでなく彼の生地だからです
毒物成分が詳細であるのは彼がかって薬剤師をしていたからです
戦後、結構な人気作家となり映画化もいくつもされたのですが、松本清張などの新時代の波にはのれず、いつしか時代遅れの忘れ去られた作家になっていました
それが70年代に入ってから折からのオカルトブームと関連したのか、1968年少年マガジンで八つ墓村が漫画で連載され人気を博したので、原作が文庫化されるとこれがまたベストセラーになります
こうして次々に文庫本が刊行され、にわかに人気が再燃、一大ブームとなって角川文庫の彼の作品はどれも空前の売上を示したのです
この莫大な利益が角川映画の始まりであり、角川映画の強大な出資力の源の正体はこれだったのです
当時の銀行の利率は現在からは考えられないほどのものですから、金が金を産み放って置いても金が膨らむ一方で、正に角川の金庫は金がうんうん唸っていたのだと思われます
これだけブームとなれば当然映画化されます
先に目をつけたのがATGで高林陽一監督で1975年9月公開です
取り上げたのは、金田一耕介ものの第一作「本陣殺人事件」で順当です
内容は予算がなく現代ものに翻案したもの
このATGの作品で、先代社長が亡くなり36歳で後をついだばかりの若い角川春樹氏がハタと気がついたのだと思います
そうか!この唸っている金で自分で映画にすればいいじゃないか!
なにしろ版権は角川が持っているのです
版権代は不要ですから、その分を製作費にまるまる回せます
しかも映画自体が文庫本の販促になるのです
つまり映画がヒットすれば、さらに文庫本が売れる
文庫本が売れれば、また映画がヒットする
この好循環が角川映画の正体です
メディアミックスというのは、単に複数媒体で同時展開して相乗効果を目指すというだけの意味ではなく、本当はこのような好循環を本来指しているのです
だから70年代から80年代にかけてあのようにブロックバスターと呼ばれた大作を幾つも製作できたのです
ブロックバスターとは、レンガ塀を打ち倒す程のものという意味
つまり立派な記録を打ち破るほどの大ヒットを狙って、製作費、宣伝費にかってない巨額の予算をかけた映画のことです
70年代中頃米国のパニック映画はこのマーケティングで次々と大ヒットを飛ばしていました
角川映画は正にこの日本版だったのです
メディアミックス×ブロックバスター
このマーケティング手法が角川映画の特徴なのです
角川はこの時点では映画は素人でしたから、映画会社に企画を持ち込みます
元々漫画の八つ墓村の人気がブームの発端ですから、その映画化の企画を1975年に松竹に持ち込み契約までしたもののちっとも前に進まない
この時点ではまだ角川春樹事務所も単独製作者として映画の全資金を出すところまでの大胆な考えは無かったのかも知れません
そこで東宝に企画を持ち込みます
しかも今度は単独製作者として本腰をいれます
このような経緯で、角川春樹事務所が金を出す立場として製作となり、東宝はあくまで発注されて撮影する立場として本作「犬神家の一族」が撮られることになったのです
角川側のオファーはおそらくこんな感じだったと思います
金はいくら掛かってもいい
とにかく最高の監督で、最高の俳優で、最高のクオリティで日本一の映画を撮って欲しい
東宝に企画を持ち込んだのは、松竹のこともあるが日本一の映画会社だと見込んでのことだ
但し、原作の読者が思い描くイメージと雰囲気を大切にして忠実に映画にして欲しい
東宝はこれに市川崑監督をもって見事にその注文に応えました
作品は金田一耕介ものの第一作は前年にATGで公開されたばかりですから、人気のある主要作品から映画化しやすい本作を選択したと思われます
この時点ではシリーズ化されることは全く考えていなかったのでしょう
しかしこの何気ない判断が獄門島での犯人変更をするという無理に繋がったと思います
こうして完成した映画は、ご覧になって観てわかるとおり「日本映画の最高峰」の作品ができたのです
市川崑監督自体、この作品の企画と大ヒットがなければ黒澤明監督のように映画を撮れずに70年代まるまる鳴かず飛ばず、下手をすればそれっきりになっていたかもしれないのです
本作は角川映画の始まりであるだけでなく、市川崑監督や日本映画が息を吹きかえし、今日までの命脈を保つにいたったそのエポックメーキングな作品であると思います
その意味でも、衰退に任せるがままであった日本映画の救世主であるのです
つまりそれが燦然と輝く金字塔であるという意味なのです
本作は、総ての日本映画ファンがあたらおろそかにできない、絶対に観ておかないとならない作品です
アニメファンだって、エヴァンゲリオンのタイトルや表示物に多用されている極太明朝体のフォントや変則折り返しレイアウトの直接の由来が本作のタイトルバックであることを知識でなく本物を観て確認すべきだと思います
作品自体、市川崑監督の作風と原作の雰囲気が共鳴しあっており、それに俳優陣もスタッフも共振して最高のパフォーマンスを出して応えています
名実ともに日本映画の金字塔です
これは誰も反論できないものだと思います
市川崑監督は2008年2月13日にお亡くなりになられました、92歳でした
翌月、お別れの会が成城の東宝撮影所第9ステージで開かれ、映画関係者や俳優ら850人が参列されたそうです
その弔辞は、本作の主人公と、ヒロインの二人
石坂浩二と岸惠子の二人であったとのことです
ミステリーな雰囲気と役者の名演
本家初見
45点
映画評価:45点
今の時代で観る
正直な点数です。
はじめ世代の私が
初めて金田一耕助作品を見させて頂きました
この犬神家の一族は観ていなくても凄く有名な作品で、足だけ水辺から出ているシーンや、デスマスクなんかは色んな作品や番組に影響を出してますよね
そんな名作を観て
ミステリーとして感動しませんでした
次どうなるんだろう?とか
誰が殺されてしまうんだろう?とか
犯人誰だろう?とか
あんまり興味がわかなかったです
というのも、一族に愛着がなく
死んでも驚かないし、悲しくないし
殺人動機だけで回している様な話でした
スケキヨもそんなにインパクトがなく
キャラクター全般がどうしても薄く感じました
一番死んでほしくない(愛着わいた)登場人物は坂口良子さんでしたもん(笑)
それでも、はじめ世代にとって音楽が最高でした
あの怪しげな雰囲気は重低音はドキドキしてきました。
金田一耕助自体にはどんどん
作品を観ていけば愛着わきそうです
あの飄々とした感じは観ていて楽しいですしね
【2020.8.15観賞】
珠代は永遠のイメージ~島田陽子は長身で美しくアタリ役
金字塔
何度かリメイク・リテイクされているが、これは金字塔だった。
原体験にこれがあると、ほかの横溝作品も、石坂浩二でない金田一も、みんな類似品のように感じてしまうのである。
市川崑監督は、晩年まで精力的な監督だったが、最盛期は50~60年代だったのだろうと思う。後年には、枯淡な和空間を撮る監督になっていた。
だから1976年のこれは、いわば壮年から老成期への変わり目に撮られた。──と思う。
個人的には市川崑といえばビルマの竪琴やおとうとや東京オリンピックではなく、吾輩は猫であるやこの映画が印象深い。
横溝正史作品の映画中のもっともすぐれたエンターテインメントであることに加えて、忘れ得ない人物像があった。
昭和世代で、橘警察署長(加藤武)の「よし、わかった」を知らない人はいない。わたしの老齢の父はいまだに、右手をチョップにして左手平をパチンと叩き「よし、わかった」と言うことがある。正式には、手指をしっかり伸ばした右チョップを、進行方向を示すように大ぶりに、ずいっと前方へ出す。もちろん、これはなにひとつわかっていない時でもやっていい。わたしも、細かすぎて伝わらない物まねのように、若いアルバイトの前で「よし、わかった」とやることがある。どう思われているかは知らない。
もう一人。
ホテルとは名ばかりの湖畔の旅館「那須ホテル」の女中として坂口良子が出てくる。
これ以上ないほどのはまり役だった。明るくて大らかでぶっきらぼうで──どうしようもない魅力にあふれていた。彼女はこの女中役──わずかな登場回/時間で、不動のポストを得た。他作品で、誰が演ってもこの坂口良子にはかなわなかった。
もしドラマで、それがなんのドラマであれ、ぶっきらぼうで、たいがいに失礼だけれど、すこしも憎めないかわいい若い女が設定されているなら、それは巡り巡って那須ホテルの女中はるさんから来ているはずである。彼女はキャラクターの原型を創造したのだった。
業界が御息女に甘いのは、だれもがその坂口良子を記憶しているからだ。──と思う。
混みいりすぎて、難しい…
レンズがすごい
古い映画を見直すとこんなにいい映画だったのかと驚く場合と、風化してしまったなあとかがっかりする場合があるのだがこれは
こんないい映画だったのか!!と驚いた。
まず石坂浩二が個性的で美しい
次に島田陽子が非常に妖艶な雰囲気。この映画のカラーカラーを決定付けている。
妖艶と言うか妖精と言うかまるで現実の世界にはいない女性のように 。
(彼女はちょうどこのころ 将軍 という映画でも
この映画で見たか見せたのと同じような妖艶的雰囲気を醸し出しており
外国から来た侍がまったく別の国というより別世界へきてしまったという雰囲気が
よく醸し出されていた)
それから長女の婆様
何ていう名前の女優さんか知らないが とってもババアの色気魅力が出ていて、犯人が分かってしまってからの客を飽きさせないだけの力を発揮していた。
若い時に見た時、この女優さんはただのばあさまだったんだが今、自分が50を過ぎると女性に見えるから不思議なものだ
そして 驚くべき終わり方
ちょうどあたかも見送れなかった人の金田一を見送れなかった心残りが、あの終わり方によって醸し出されていた
こんな一流の映画を日本映画がすっかり腐ってしまったこの時代に作ったとは!!
市川崑監督すごい。
さて、ここからが大事な話なのだが
レンズがとっても良い
レンズというものは精密精巧に被写体を映せばいいというものではない
写真が味わいのあるものにならなければいけない
素晴らしいボケが出なければならない
この映画で使われているレンズは映画全盛期のレンズで、そういった味わい醸し出されている。それはつまりそういうものを作るために試行錯誤されて出来上がったレンズだということである
現在のメーカーにこのようなコンセプトのレンズを作ろうという意図が全くないのは非常に残念だ
美しい写真を撮る自信のある監督は、ぜひこうしたオールドレンズを使用してフィルムカメラで映画を撮って欲しいものである
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