「復讐にすべてを捧げる」ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐 neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 復讐にすべてを捧げる

2025年12月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

『クリームヒルトの復讐』は、第一部の「神話的英雄譚」から一転し、愛と誇りを失った一人の女性が、憎悪そのものへと変質していく過程を描いた壮大な悲劇として立ち上がってくる作品だと思います。第一部では、ジークフリートとブリュンヒルトという“神話的存在”が物語を牽引していましたが、第二部では時間の流れが現実的な密度を帯び、人物の感情が神話的象徴から“生身の倫理”へと引き寄せられていきます。その中心に立つのが、タイトル通りクリームヒルトです。

彼女は夫ジークフリートを殺された瞬間から、物語世界そのものの軸を塗り替えていきます。もはや彼女の生は「幸福を求める人間の生」ではなく、「復讐のためだけに存在する意志」へと収束していくのですが、その変貌は必ずしも単純な“悪”として描かれてはいません。むしろラングは、クリームヒルトの悲劇を「愛の純度ゆえの破滅」として提示し、彼女が辿る道が避けられない宿命のようにも見えてしまうのです。

興味深いのは、第一部ではほとんど掘り下げられなかったクリームヒルトの“内面”が、第二部で突如として厚みを持ち始める点です。第一部の彼女は、美しく善良で、物語の中心からは少し外れた“理想の姫君”として存在していました。しかし夫を失った瞬間、その像は完全に崩れ落ち、彼女自身が“語り手であり行為者でもある存在”へと反転します。ここで初めて、ラングが第一部から仕掛けていた構造的な罠──すなわち「クリームヒルトは途中まで主要人物の地位が隠されている」──が明らかになるように感じました。

第二部の構造は非常に明快です。
クリームヒルトが抱えた傷が癒えないまま時間が進む → 王侯貴族の倫理や秩序が彼女の復讐を止められない → その“穴”を利用して彼女の意志が暴走していく。
この流れは、まるでラングが社会構造そのものの脆弱性を指摘しているかのようです。特に、ブルグントの王族たちが「家名」「誇り」「名誉」といった形式的な価値に縛られ、大局を判断できずに破滅へ向かっていく姿は、のちのドイツの歴史を想起させるものがあり、戦争の予兆や国家の硬直性を暗示するようにも見えます。これは単純にナチスを連想させるというより、「集団の倫理が自己破壊へ向かうメカニズム」を寓話として描いたものだと私は感じました。

クリームヒルト自身は、復讐のために自らの魂を焼き尽くしていく存在です。彼女の選択は倫理的には肯定できないものですが、その破滅に向かう歩みの凄絶さは圧倒的で、むしろ“何かに取り憑かれたような純粋さ”すら漂っています。第一部のブリュンヒルトが誇りを守ろうとして崩壊していったのに対し、第二部のクリームヒルトは“愛ゆえの自己崩壊”へ向かい、二人の女性の彫像が作品全体の両端を支えるような構造になっている点が非常に見事です。

ラングの演出も第一部とは大きく異なり、建築のスケール感、群衆の動き、儀式的な構図などが“集団の運命としての悲劇”を強調しています。第一部が神話的ロマンであったのに対し、第二部はほとんど史劇に近い質感であり、個人の感情が巨大な運命を引き寄せる様子が冷徹なまでに描かれています。最終的にクリームヒルトは復讐を果たしますが、その姿は勝利者ではなく、愛と誇りのすべてを失った“空洞の人物”として立ち現れます。

結果として、二部作全体を貫くテーマは「女性の誇り」「愛の純度」「自己欺瞞と崩壊」であり、第一部のブリュンヒルト、第二部のクリームヒルトという二つの対照的な女性像が、作品全体の精神的中心を形作っていると強く感じました。ラングは英雄ジークフリートに神話的光を当てつつ、その影で崩れていく女性たちの内面こそが、この物語の真の焦点であることを示しているように思います。

鑑賞方法: 活弁付き上映 (2025-12-07) 弁士: 片岡一郎氏

評価: 90点

neonrg