M(1931)

解説

「月世界の女」「スピオーネ」と同じくテア・フォン・ハルボウ脚色、フリッツ・ランク監督の結合の基に作られた映画でデュッセルドルフに起こりし実話を基にして撮影台本が執筆されたものである。主なる出演者はペーター・ローレ、エレン・ヴィドマン、インゲ・ランドグート、グスタフ・グリュントゲンス、フリードリッヒ・グナス、フリッツ・オデマー、テオドル。ロース、オットー・ヴェルニッケ、ゲオルク・ヨーン、ローザ・ヴァレッティ、ヘルタ・フォン・ヴァルターの面々。キャメラは「三文オペラ(1931)」「西部戦線一九一八年」のフリッツ・アルノ・ワグナーが担任である。

1931年製作/117分/ドイツ
原題または英題:M

ストーリー

ドイツのある町では最近頻繁する殺人事件に、興奮と恐怖と、憤怒の渦が巻き上げられつつあった。可愛らしい小学校の女生徒が惨たらしく惨殺されるのだ。一つの事件が解決されないうちに新しい同様の惨劇が次々と行われて行った。通り魔のような殺人犯人で、しかもその誰であるかを何人も知ってはいない。人々がよると触るとその事件を論じ合った。子ども達が行き交う小学校への途上に犯人逮捕に懸けられた一〇〇〇〇マークの懸賞逮捕ポスターが貼り出される。人の子の母親達は子どもの顔を見ることが戦慄すべき犯行の前兆のようにも思えるのだ。しかし騒ぎはこの市内の興奮だけのものではなかった。その治安を司る警察署は非難と讒謗の矢面に立ちながら焦燥の坩堝と化している。日々に拡大される捜査範囲、夜を日に次いでの捜査会議、次々と検挙される容疑者の数々。しかも本当の犯人は冷然と俺は無事だと新聞社に投書する。暗黒街は幾度となく検束だ。浮浪者、犯罪者、醜務婦等が一団となって網に引っかかる。そして身分証明書の点検である。恐怖はしかしここばかりではない。全く異なった他の団体、掏摸と掻払いの一団も今は恐るべきカタストロフに怯えだした。警察の検挙が日増しに激しくなるからである。ある日町の風船売りの盲目の老人が、聞き覚えのある口笛の曲を聞いた。そうだ、その曲こそすぐる日彼から風船を買っていった子ども連れの客が吹いていたペルギュントの「山の王の殿堂にて」だ。しかもその時の子どもは殺されている。老人は通りがかりの青年にこれを告げる。青年はすぐ掏摸の一団と連絡を取りながら後を付けた。その男は子どもを連れている。しかし玩具を、お菓子を、色々なものを買い与えている。青年は咄嗟に掌にMの字をチョークで書いた。町の行きづりにとんとその肩をついた。その男の肩にはMの字が、Murderの印が付けられた。掏摸の一団はあちら側からも、こちらからも町の八方から男を取り巻いた。気がついた男は頻りに逃げたがあるビルディングで消えた。その夜一団はこのビルディングを襲うのだった。その男を俺達の手に捕らえろと言うのである。大がかりのビルディング襲撃が行われる。が、守衛の一人が急を警察に報じたために一団は蒼々とここを逃れた。が殺人犯は一団に発見されて彼等の私刑法廷に立たせられる。私刑法廷--廃屋倉庫の地下室だ。遂に彼等は彼等の信条によって犯人を処罰しようと犯人めがけて飛びかかる。この時である。本当の法律の手がここに伸びた。一同の立ちすくむ中に厳かな声が響きわたるのだった。かくて数カ月間さしもの町を震撼せしめた凶悪な犯人も司直の手に引かれていったのである。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0少しの音が生きている

2024年6月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

笑える

興奮

知的

とっても面白かった。殺人者の口笛(ペールギュント組曲の「山の魔王の宮殿にて」)、警官が鳴らす笛、会社の終業ベル、「号外!号外!」の声。手回しオルガンが最初は変な音で耳を塞ぐとその音が聞こえなくなり手を耳から外すとまた聞こえる、が繰り返され最後は綺麗な音色になるのを登場人物の立場で観客も体験する仕掛け。重要な役回りを担う盲目の風船売り。サイレントであった映画が初めてとりいれた音は大袈裟でなく僅かなのに効果的で素晴らしかった。目撃証言は全部異なるが、盲目ゆえに耳で証拠を掴んだ風船売り。これは私達に対する皮肉とこれからはトーキー!の宣言のようだった。

映像面でとりわけかっこよかったのが、長方形の大きなデスクを囲んでの警察の会議と丸テーブルを囲むギャング達の相談が、会話内容含めて滑らかに場面転換して交互に映し出されるシーンだ。会議の目的は同じでも動機が異なることに笑える。それから警察のプロトコルの内容を、パシッパシッと写真として観客に見せて示すところもいい。観客にとっては経過の段階を見ているため既視の映像ばかり、つまり観客は知らず知らずギャング団の側に置かれていることに気づかされる。そんな演出がとてもクールだ。

ホテルやカジノやバーを仕切っているギャングにとって、犯人逮捕の為に警察があちこちウロウロしているのは邪魔で商売あがったり、だからこっちで早く犯人を捕まえたい。ギャング側には色んな人達がいる。娘を殺された母親達、乞食達、売春婦、盲目、耳の聞こえが悪い人、前科者。小道具にトランプ、ビアマグ、懐中時計。みんな貧しい。顔が疲れた母親の家事でとりわけ洗濯の大変さに目がいく。生活感が溢れている三文オペラの世界だった。

映画音楽はないし時間も長くない。ギャングといえども犯人には弁護人をつける。挙げればきりがないが、観客に感情移入させずカタルシスを与えない作りはまさにブレヒトだった。

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talisman

4.5いつの時代も

2024年2月11日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

今でも通じる。ホモサピエンスが群れになるとこのような挙動をすると。このような冷静な映画を作れるのに、この後でナチスが台頭してくる。ホロコーストの悲劇があったのに、いま再び虐殺が行われている。

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md

5.0その後の世相を反映した映画‼️

2023年5月16日
スマートフォンから投稿

泣ける

怖い

興奮

この作品で最も有名なのは「ペールギュントの口笛」でしょう。殺人鬼が登場する場面や、殺人鬼が次の目標である少女を尾行する場面にかぶせられる口笛の恐怖効果は絶大で、現代に至るまでの恐怖描写の先駆けになっているのではないでしょうか。だがこの作品が本当に凄いのは、殺人鬼Mの本格的捜査に乗り出した警察と、かえって迷惑だと暗黒街のギャングたちもMを捜し出そうとする皮肉な設定。両者から追い詰められたMは公開処刑されそうになる。その時のMが見せる恐怖の表情。演じるピーターローレの顔のドアップがまた怖い。そしてこの作品の公開から数年後、製作国であるドイツでヒトラーのナチスが政権を握った当時の社会情勢を考えると尚怖い・・・

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活動写真愛好家

4.0自警団

2020年10月2日
Androidアプリから投稿

1931年のドイツ映画
フリッツ・ラング監督の初めてのトーキー映画で BGMは無いが、口笛が効果的に使われている
(その反対の静寂も)
また冒頭の子供の歌も不気味

洗濯女、貸本屋、風船売り、新聞売りなどの一般市民と地下組織(犯罪組織)の距離が近そうなのと、犯人が自警団となった地下組織に警察より先に追い詰められてゆく過程が面白かった

背中にMの印をつけるアイディアと それを見つけて目を剥くローレ(犯人)の目玉がやはり印象的

当時のものらしい字幕の稚拙さに驚きと時代を感じるが 映像だけ見ても楽しめる

〈デュッセルドルフの吸血鬼〉はギロチンにかけられたが監督はモデル説を否定している
彼が地域を完全にパニック状態に落とし入れたことにはインスピレーションを受けたのではないか

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jarinkochie