メトロポリス(1926)のレビュー・感想・評価
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偉大すぎる大傑作
度肝を抜かれた。これは異次元の大傑作ですね。1920年代に作られたとは信じられない。2021年の今に観ても未来都市の描写に全く違和感がない。近未来の様子を見事なまでに予言した衝撃的な作品だった。
そして、マリアの風貌をロボットにコピーする時の描写や、精神錯乱時の描写など、映像描写のセンスが独創的かつ天才的。全編に渡って超鮮烈なこの映像表現!所謂超芸術的な映像表現の連続で、SF映画の根源のような超先駆的な描写の数々に大興奮した。しかもその描写の一つ一つが隙のない完璧な完成度の高さなので、今尚SF映画の最高峰であると思う。原点であり既に頂点。SFどころかあらゆるジャンルの映画に多大な影響を与えていることが観て直ぐに分かった。凄く偉大な作品。
本作の素晴らしさを語る上でもう一つ挙げたいのがメッセージ性。上記に挙げた超芸術的な映像表現で何が描かれているかというと、権力者達の搾取や、労働者達の無知など、格差社会の問題。表面だけでなく、裏面にも意義のある凄み。ただ単に先駆的というだけでなく、芸術性、娯楽性、メッセージ性、三拍子が揃った正真正銘の大傑作だった。
このように、未来の様子をほぼ完璧に予言した想像力と、SF映画の元素を生み出した創造性と、その下にあるメッセージ性に脱帽。本作が無ければ今のSF映画は確実に無かった。映画史を語る上で絶対に無視することの出来ない歴史的な超重要作品だった。
本作を公開当時に観た人は、それまでに観たことのない超衝撃的な光景にぶっ飛んだか、時代を先駆け過ぎていて理解できなかったかのどちらかだと思う。現実世界が見事なまでに本作で描かれた近未来都市の様子に近づいて行っている現代に観た方が下手したら衝撃的なのかもしれない。いずれにせよ比類なき大傑作であることには変わりがない。異次元の大傑作だった。
これが1926年に作られた映画?
科学の飛躍的な発展により、地下に労働者が押しやられている一方、資本家たちは地上でぬくぬくと享楽的生活を送っていた。メトロポリスの支配者フレーダーセンの息子フレーダーも楽園で楽しんでいたところ、労働者の娘マリアが現れ、労働者の子どもたちにこれが兄弟よ、などと教えていた。慌てて彼女たちを地下においやったが、フレーダーは一目惚れ。名も知らぬ女性を捜し出したのだ。彼は地下へ下り、爆発事故を目撃。労働者の過酷な仕事を知り、バベルの塔に住む父親フレーダーセンに報告する。真っ先に彼が報告してしまったため執事はクビになるが、責任を感じたフレーダーは自分の元へ来るように伝える。再び地下の作業場へと降り立った彼は時計の針を点灯するところに合わせるという作業をした労働者と入れ替わる。そこで得た情報によってマリアの集会場へと向かうのだ。マリアはバベルの塔の伝説を聞かせ、「頭脳が手と結ばれるには心を持った仲介者が必要」と説き、フレーダーと再会。熱くキスを交わすのだった・・・それを見たフレーダーセンは、亡き妻の人造人間を作っていた天才科学者のロートヴァングにその姿をマリアに似せろと命令する。
地上では妖艶な踊りをする人造人間マリアは男どもを迷わせ、あちこちで奪い合いの決闘が起こり、地下では労働者に暴動を扇動するように仕向けていた。フレーダーセンは合法的にこれを制圧するつもりだったのだ。しかし、そう単純には事が運ばず、かつての恋敵であったロートヴァングは自分の命令しか聞かないようロボットを作り上げていたのだ。暴動が起こり、労働者たちは地上へ出て破壊行動をする・・・しかし、エネルギーセンターの心臓部まで壊してしまったため、地下は水没することになり、彼らが残してきた子供たちに水の魔の手が・・・
フレーダーはクビになった執事とともに地下から子どもを助けようとする。そこにはすでに本物のマリアが駆けつけていた。地上では暴徒と歓楽街“ヨシワラ”で踊っていた人造人間マリアが衝突し、悪魔だと決めつけた暴徒によって火あぶりにされる。そして、マリアはロートヴァングに追われ、フレーダーが彼女を助け、労働者代表と社長が握手して終わる。
これが1926年に作られた映画?と圧倒する映像力に驚くばかり。無声映画でしかも4分の1が消失している作品であるのに、現代の技術と比しても遜色ない仕上がり。カットバックなどの編集もさることながら、電気仕掛けの映像はフィルムに傷つけただけで描けるものじゃない。さらに大道具も金がかかってることが窺えるし、大人数のエキストラも圧巻。特に『タイタニック』のような水没シーンでは子どもばかりですぜ!また、主演女優のブリギッテ・ヘルムの二役も絶妙だし、ストリッパー顔負けの踊りもエロくていい。
残念なのがストーリー。資本家と労働者の対立がもっと過激になるとか重要人物が死ぬとかあればいいのに、社会派要素が後半になるにつれて薄れてゆく。しかも仲介者によって和解するなんてのは簡単に解決しすぎだろ!
【ジョルジオ・モルダー版でも、”アンドロイド・マリア”の金色の姿は忘れ難い。】
ー学生時代、”映画館の息子”に誘われて観賞。
今作が与えた”様々な影響など”当時は知る由もなく、ひたすら”これ、1927年の映画なの?ゲルマン民族ってすごいなあ”と思いながら、鑑賞。-
余りに有名な映画であるし、内容は記す必要もないと思うが、”1927年にこのディストピア世界観を映像化した”フリッツ・ラング監督の、如何にも”ドイツらしい”映像に魅了された作品。
<申し訳ないが、ジョルジオ・モルダーが拘った、”フレディ・マーキューリーの曲”などは全く記憶にない位、フリッツ・ラング監督の世界観が強烈だった作品。
但し、かなりの短縮バージョンだったと思うが、ストーリー展開には可成り無理があったが、劇場で観終わった後、妙な高揚感を覚えながら、家路に向かった事は覚えている作品でもある。>
<1988年 劇場にて鑑賞>
映画の神髄が味わえる作品
ぼくが観賞したバージョンは118分版(規格品番:CCP-315)です(DVDを購入しました)。
映画の神髄が味わえる作品。
この作品は無声映画です。
ですから、
・“言葉”の説明ではなくて“映像で解らせる”
・“言葉”の説明ではなくて“映像で魅了する”
・“言葉”の説明ではなくて“表情で喜・怒・哀・楽を表現する”
・・・ことがよく考えられている作品。
この映画に出て来る“人間の形をした機械”が、
・漫画「コブラ/寺沢武一」のアーマロイド・レディ
・映画「スター・ウォーズ・シリーズ」のC-3PO
のモデル(元ネタ)なのでしょう。
物語は、旧約聖書「創世記」の“バベルの塔”の物語をモデルにしている。
バベルの塔≒メトロポリス
最後、
頭脳(科学の象徴)と手(肉体の象徴)の対立に、心(優しさの象徴)が調停者になることよって、平和な社会が実現する(調和の取れた人間が完成する)。
1927年の作品で、
映像が古い(映像が揺れる)、モノクロである(色がない)、無声である(しゃべらない)、ということは映画として迫力不足である(減点)。
現代SFの下地ともされる無声古典作。 ただただ 衝撃でした。 復刻...
現代SFの下地ともされる無声古典作。
ただただ 衝撃でした。
復刻版はやたらと音楽が耳に付きますね。鑑賞すべき作品です。
SF of SF
SF好きは観なくてはならない映画、と色んなところで目にはしていましたがようやく見ました。
すごい、面白い、かっこいい、面白いの一言。(一言じゃないというツッコミはおいておいて)
めちゃくちゃ面白い。見ないと損、というかSF好きは観なくてはならない。
SF好きは観なくてはならない。
とにかく何を言う前に観なくてはならない
凄い…
色々バージョンがあるようで、自分が見たのはどれか分かりません。
それでも、さすが古典というべき作品。
この時代にこのような映画が作られていることに脱帽。
今のような映像綺麗とか、迫力ある、とかいうのも確かに凄い。
だけれども、昔の無声映画は、話、演技、音楽、それぞれが融合しあい、今の作品に決して劣らない魅力が詰まってる。
白黒だから…とか言わずに是非見てほしい。
約二時間、あっという間だったな…
カッコいい
ベタですがSF映画の原点。
この時代って熱かったんだろうなと勢いを感じますし、『未来』のイメージはここから始まったのかもしれません。
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