道(1954)のレビュー・感想・評価
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名作鑑賞
フェリーニはゴダールの様に華やかさに欠けていると 感じていて、現代ではなかなか観るのに 積極的になれなかったが、観て良かった。 この映画はカトリックの精神をもって魂の救済を描いているらしいが、そこを気付けるわけもない。 ただ、道端でうずくまる横を 自然に馬が単体で通り過ぎるシーンは 非常にアイロニーに満ちていた。 ストーリーだけをとると ものすごく単純で 一つの出来事が大きなうねりとしてあるわけだけど 粗野な男と純朴な女性との距離感を 物理的移動とともに見せてくれる分 風景を楽しみながら、飽きずに見れるのが良かった。 このような映画文学のようなモノが 今もヒーロー映画とかとは違った文脈で続いているのが 映画という芸術がまだ生き残れている所以であり エンタメで良い映画と、芸術でいい映画の2つは これからも続いてほしい。 日本映画における金がないから、チープな顔面映画は 無くなっても構わない。
ジェルソミーナは天使
ジェルソミーナは神が罪深い男の魂を救済するためにつかわした天使なんだね。そう思うとこの映画の全てがしっくりくる。 ニーノロータのテーマ音楽は、音楽がこれほど効果的に使われてる映画はないんじゃないかと思うほど。 ジェルソミーナの死んだ姉の生涯が妙に気になる。
切なくなるな
まず何が悲しいって、こんな男に子供を売らなければいけないほど貧しいこと。それで娘を2人も立て続けに失った母親。最初に売られた娘は一体何が原因で亡くなったのだろう?
ジェルソミーナの健気さと純粋さ。やっと自分の居場所を見つけられた気持ちだったのだろう。綱渡りの男イルマットからの助言を素直に受け止め、鎖男ザンパノと再び一緒に旅をする事を選んでしまった。
そこでまさかの事態が起き、ジェルソミーナは2人の自分にとって大切な男の狭間でもがき苦しむ。綱渡りの男イルマットから教えてもらった曲をずっと吹いていて多分彼女なりの恩師への弔いだったのだろうな。
ジェルソミーナは愛している人に何度も捨てられて非常に悲しい映画でした。この状況、精神病むよなぁ・・ザンパノみたいな男に二度も娘を預ける母親の心境が理解出来ない。金持ちの家の住み込み家政婦とかでどうにかならなかったのか。
人生には幾つもの分岐点があるけれど、その選んだ「道」は後戻り出来る場合もあれば、取り返しのつかない場合もある。人との出会いや自分で選んだ道。先が見えないからこそ希望を持ち生きていけるのかもね。
あの時、修道院を選んでいたらジェルソミーナは幸せに過ごせたかな
Essoの看板あるけど、あのEsso?
死んだ姉が手伝いをしていた大道芸人、ザンパノに買われたジェルソミーナ。 各地を回るものの、ザンパノの女癖の悪さや自分への酷い扱いに、ジェルソミーナはなんだかモヤモヤ。 そんなある日、同じ大道芸人のイル・マットに出会い… 人の死や自分とは何かについて、改めて深く考えさせられる作品でした。 子供のように無邪気で純粋無垢なジェルソミーナ、冷たく獣のようなザンパノ、そして嘲笑的なものの良いこと言うイル・マット。 どのキャラクターも個性的で魅力的。 ザンパノやイル・マットが、良い部分も悪い部分もあるキャラクターだったため、ジェルソミーナの純粋さが際立っていました。 石でも何かの役に立っている。 終始、ジェルソミーナのなんとも言えない悲しみや苦悩が伝わってきました。 彼女にはもっと幸せになってもらいたかったと、エンディングの海岸でのザンパノのような気持ちになりました。 今まで観てきたフェリーニ作品の中では、フェリーニらしさ抑えめでしたが、それでもニーノ・ロータの音楽や人々の営みなどにフェリーニらしさが現れていました。 また、ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナさんはフェリーニ監督の奥さんだそうで。 ちょっと変わった感じのなんだか独特な雰囲気もありつつ、どこにでもいそうなリアルな仕草の芝居のおかげでとても身近に感じ、感情移入しやすかった。 なんとも悲しそうな表情がリアルでリアルで。 とても良かったです。 難しい部分もありましたが、8 1/2よりは明らかに観やすい。 意外に深い内容で、どの登場人物の気持ちも理解できる。 芸人という人を楽しませる職業からは想像もつかない、悲しい物語でした。
「俺は一人で生きていけるんだ」 この叫びの虚しさ。
この映画の二人はなんて切ないんだろう。 この映画を観た後、なんて人が恋しくなるんだろう。 それは”恋”と”愛”とかの言葉が薄っぺらく見えるほど。 ジェルソミーナの行為は自己犠牲・自己アイデンティティの確認・自己満足ともいえるが、今流行の自己顕示とは対極にあるもの。 一見DV・共依存カップルのようにも見えるが、ジェルソミーナはサンパノを支配しようとはしていない点で、単なるDV・共依存カップルとは袂を分かつ。 親が子を売り飛ばすような環境での物語。ザンパノだって似たような境遇だったのかもしれない。誰かに大切にされた経験がない男。一人で生きてきた男。路上ライブ同様に相手にされない時の世間の冷たさも半端ないだろう。バイトもできないあの頃なら、生きていくだけで精一杯。 愛の表し方どころか、愛そのものさえ認識できない。 そんな二人の関係をシンプルに丹念に描き切っている名作。 単なる善と悪という二元論で語るには勿体ないほど、暗喩に富んだ物語。 途中出てくる馬とか、病床の少年等、何故ここに挟み込まれる?というエピソードが、まだ消化できていないけど、これから何度も見ているうちにイメージが膨らんでくるのかしら。 あの『8 1/2』の監督作品だもの。きっとまだまだ私が気がついていない暗喩が挟み込まれているんだろうな。 語りつくされているけれど、ジェルソミーナの表情が素晴らしい。 初めてザンパノに会った時、大道芸能の時、食事をしている時、置いてけぼりになった時、綱渡りの男との場面…。 ピエロの如くな表情。うれしさに打ち震える表情。人を引き付ける瞳。悲しさとあきらめをたたえる瞳。 確かに、ここでこういう表情をするかという微妙な表情をするので「頭が弱い?」ように見えるけど、チャップリンのパントマイムにも似て、言葉で語られるより、万華鏡のように観るたびに様々な想いを想像してしまう。 特に、ザンパノと別れる時の表情がぞくぞく来る。誰よりも誰よりも深遠なる真理を知っているかのような表情…。 ザンパノも素晴らしい。 少しだけの、不器用な思いやりの見せ方。ジェルソミーナのその後を知った前と後との、持ち芸の見せ方の違い。そして自分の心の奥底にあったものが溢れだしてきた時の表情…。 字幕版だと画面に集中できないから、幻の市川悦子さん達の吹き替え版で観てみたい。声の響きによる解釈が加味されて、もっと多層的になるんだろう。 あらゆる断片をとりあげて絶賛したくなる映画です。
どうしてこんなに泣けるのだろう?
絶品。 "旅芸人" という、通り過ぎて行った時代の風景(今でいうサーカスや大道芸なんですね) 粗暴な旅芸人ザンノパ、彼に買われて助手となる知的障害の娘ジェルソミーナ、サーカスでピエロを演じる口が達者なマットの話。 「僕は、本を読んだよ。この小石だって、何かの役に立つんだ。(だから君だって、何かの役に立つんだ)」 「この小石が、何の役に立つか? わからないよ。もしそれがわかったら、全知全能だよ」 「でもこの小石が役に立たないなら、何だって役に立たないよ」 「僕はしがらみを持たないように生きるんだ」 ああ、大好きなのに、そのことをうまく言えない人たち... どうしようもない、どうしようもないんだね... 残念だが、これ以上書けない。涙が止まらないから。すばらしい経験だった。
ザンパノみたいな男嫌だー
なんか誰にも感情移入はできないけど、でもその気もち理解はできる、みたいな距離感の映画だった。ザンパノくずすぎたけど、孤独だったんだね。こちら2018年に音楽劇として舞台化しており、ザンパノ役が草彅剛、ジェルソミーナ役が蒔田彩珠!あじゅちゃん絶対良いし想像だけで飯食える
見終えて道というタイトルが素晴らしい
白黒映画が余計に物語りの悲哀を掻き立てる。無情と愛情の交錯。そこにオブラートに包んだものはなくどちらも素でぶつかり合うというか・・・そしてどちらもが折り合うことなく別れは容赦なく訪れる。このためらいのなさが、昔の映画だからなのかはよく分からないがシンプルなのにとても心に残った、シェルソミーナのラッパのメロディーと共に
人生は道であり、心は波であり
フェリーニの代表作と言われるだけのことはあります。 観ながら、決して美しいわけではないジェルソミーナが、どんどん愛おしく感じてくるのに驚きました。 孤独感と後悔が波のように押し寄せるラストは、映画館だと滲みますね。 「生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭」で、初めてスクリーン鑑賞できましたが、テレビモニターとは比べ物にならないくらい没入できました。
後悔と孤独の極み
アンソニークイン扮する旅芸人ザンパノは、ジュリエッタマリーナ扮する頭の弱いジェルソミーナを奴隷として雇って旅に出た。しかし、ザンパノは置いてきぼりにするなどジェルソミーナにつらく当たった。ジェルソミーナは、ひとり故郷に帰ると言ってザンパノから別れた。それでもジェルソミーナはザンパノの元へ戻った。乱暴者のザンパノは、けんかの末人を殺め逃げ出した。ジェルソミーナは、現場を見て錯乱し泣いていた。ジェルソミーナが眠り込んだうちにザンパノはジェルソミーナを置いたまま出発していった。ある日、ザンパノは町でジェルソミーナが口ずさんでいた歌を聞いて思わず声をかけた。ジェルソミーナは何も語らず亡くなったそうだ。何とも不思議なふたりの旅だったが、テーマ曲の節回しが妙に残ったね。
文句なしの名作である
西條八十作詞、古賀政男作曲の「サーカスの唄」という歌がある。1933年の発表だから本作品を遡ること21年である。 (一番) 旅のつばくろ淋しかないか 俺も淋しいサーカス暮らし とんぼがえりで今年の暮れて 知らぬ他国の花を見た (四番) 朝は朝霧夕べは夜霧 泣いちゃいけないクラリオネット 流れ流れる浮藻の花は 今日も咲きましょあの町で 西條八十(さいじょうやそ)は「東京行進曲」などで知られる、センチメンタルな詩人である。市井の人々の物悲しい人生をときに明るくときに暗く謡いあげる。本作品にも西條の詞のセンチメンタリズムと通じるところがある。 冒頭のシーンから心を敲たれた。娘を大道芸人のザンパノに売った母親が得た当の娘に金を見せて、これでしばらく暮らせるしあんたがいなくなれば口減らしにもなると嬉しそうに話すが、いざ娘が行ってしまう段になると行かないでおくれと縋りつこうとする。この母親が身勝手なのではない。貧乏すぎて心が壊れているのだ。 売られたジェルソミーナはドストエフスキーの「白痴」のムイシュキン公爵よろしく、従順で欲がない。おまけに少食で、贅沢よりも歌ったり踊ったりが好きな女だ。昔は欲のない人間は馬鹿だと思われていたようだ。日本でも「欲がないのは駄目なことだ」という教育が罷り通っていた。いまだにそうやって教えている教師もいる。欲は文明を発達させ、生活の向上に寄与した、欲がない人間は努力しない人間になり、文明と人類の発展から取り残されるのだと。しかしそこには文明が発展することが本当にいいことなのかという反省はない。 ザンパノは欲の塊である。しかし他人に指図されるのを嫌うから独立した大道芸人で生きている。行きたいところに行き、やりたいことをやって生きる。ジェルソミーナを買ったのは盛り上げ役のピエロがいたほうが稼げるからだ。ザンパノの頭には今日と明日のことはあるが、それ以降のことはない。将来がどうなるかなんて考えても意味がない。 ジェルソミーナはザンパノと対照的に善意の塊で、欲があるとすれば承認欲求だけである。残忍で粗暴なザンパノにさえも認めてもらいたいと願う。それはストックホルム症候群かもしれないが、ストックホルムの銀行強盗事件が起きたのはこの映画よりも19年も後のことだ。人が喜ぶことをしたいジェルソミーナは、同じ意味で人が嫌がることをしたくない。本質的にはザンパノのことが嫌いだ。 人は時間と空間を移動し、出会い、別れる。ささやかな喜びがあり、少しの寂寥がある。人間は愚かだ。人生はつらい。本作品の結末は物悲しいが、世界中の至る所で同じような人々が同じような結末を迎えているだろう。 死にたかったジェルソミーナは死にたいと思わなくなった。それでも何のために生まれてきたのかという疑問は残る。人類すべてに共通する疑問である。他人の死を悲しむことは自分の死を悲しむことだ。死にたい人も死にたくない人も、いずれ死ぬ。自分の死を肯定するためには他人の死を肯定するしかない。 本作品には生も死も善も悪も、すべてひっくるめて肯定するような力強さがある。ときに人混みと熱気に高揚し、ときに寒さと寂しさに顫える。人はそうやって人生をやり過ごすのだ。意味を求めてはいけない。道があれば歩くだけなのだ。文句なしの名作である。
切なくなった
・冒頭でザンパノがローザが死んだから1万リラで長女を買っていく?所から、凄かった。
・旅芸人が鎖を胸の筋肉で切るのとあとはお笑い劇のみとほぼ一本で食っているのが凄かった。
・物がない時代の感じが凄くて未亡人から亡き夫の服をもらえないかと申し出るザンパノのシーンがそういうものかと思った。
・暴力的なザンパノが綱渡りの青年を殺してしまってから更におかしくなったため、ジェルソミーナを置いて行ったあとに、ジェルソミーナのラッパの音楽をくちずさむ女がジェルソミーナは数年前に死んだと聞いてラスト、ザンパノが浜辺で嘆くシーンが印象に残った。どんな人間でも後悔は先に立たないな、と。
すごくよかった
20代の時にリバイバル上映で見たのだけど、その時はさっぱり面白いと感じなくて、もしかして眠ってしまったのかもしれない。それ以来フェリーニはつまらないと思っていたのだが、今回見たらとてもストーリー性が豊かでキャラも魅力的でとても面白かった。主人公の女の子、最初は変な顔ばっかりしてると思っていたのだが、だんだんかわいらしく感じるようになる。ザンパノも殺人を隠ぺいするほどのクズだが、人生の悲哀をたっぷり背中にしょっている感じがたまらない。また5年くらいしたら見たい。
彼氏に好きな映画と言われたくない
いや、良い映画で少女の純粋さとか切なさとか今見たらまた違うかもしれないけど、男性の理想なん?と思うと都合良すぎじゃないの?とジレンマ。 ま、若かったからか。 今見てみたい
新年あけおめです。今年もいい作品をたくさん見たい。名作の呼び声高い...
新年あけおめです。今年もいい作品をたくさん見たい。名作の呼び声高い本作からスタート。 粗野な主人公ザンパノと子供かおばちゃんかわからぬジェルソミーナの生活譚。たいして面白く感じた訳ではないが、なぜか見入ってしまう。名作ゆえか。 私はてっきりまたジェルソミーナの妹のひとりが買われ、繰り返されていくのを想像させるラストかと思った。違った。まだまだ見る目がなさそうだ。今年も修行々々。
メロディが残ります。
久しぶりに見ました。 最後に見たのは数十年前だったので。 何もかもが辛い映画です。 マット、って名前でしたっけ、彼の存在感大きかったですね。 それからザンパノ、ラストで空を見上げてましたね。 どうぞその目に星が映ってますように。
うーん。結末を知っていたからかな。 どうも感情移入的なものが出来な...
うーん。結末を知っていたからかな。 どうも感情移入的なものが出来なかった。自分との接点が無さすぎる?時代背景が違いすぎる?万人受けするような作品じゃあないのかな。女は男に寄り添うのが普通、みたいな完全なる亭主関白とそれを望むような妻の姿がどうも、ねえ…。肌に合わないんですかねえ。
佐藤仁美&大谷亮平
二人の主人公が表題の俳優にそっくりで、かなり驚いたのがファーストインプレッションである。
監督フェデリコ・フェリーニは名前だけは以前から存じ上げてはいたが、やはり今作品が映画館に掛かるということならば観ねばならないと、本当ならば“瘭疽”の治療に行かねばならぬところをこちらに選択したのだがはっきりと正解だったと思い込める、流石世界の名作であった。
特にヒロイン役の女優の演技の秀逸さは群を抜くレベルである。とぼけた仕草があれほど愛らしく、しかしどこか悲しげでニヒリスティックな佇まいに心を奪われてしまう。ロードムービーでもある今作は、その行く先々での二人の関係性に変化を持たせながら、それが不幸への切符である印象を端から印象付けているので、ストーリーが進む程に、より悲しくメランコリックさを強調させながら、それでもヒロインの健気さや生きる必死さを、観客に訴えかけるように頑張る姿勢に心を激しく打たれ続けるのである。そしてそれとは逆に男の卑屈さや粗野、そして狡賢さはこれまた類い希なる極悪さを強調させ、だからこそラストのカタルシスへと誘う演出に、唯々見惚れてしまうばかりだ。哀愁や悲哀を全て羽織って、それでもヒロインのあのトンチキな仕草に救われることでの心の持ち様は、さすが名監督の掌で転がされているが如く、心を弄ばれてしまう。やはり名作はいつの時代も人間の心を掴んで離さないものだと、改めて敬服するのみである。
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