「頭ではわかるが好みではない」道(1954) こまめぞうさんの映画レビュー(感想・評価)
頭ではわかるが好みではない
クリックして本文を読む
愚かしくしか生きられないというのもわかる。
後悔先に立たず、本当に大切なものは失って気付く。
世間からいびつに見えても当人同士には愛だという関係。
これらのことは頭ではわかるが。実際に今もいるとは思うが。
正直前時代的に感じてあまり好きではない。
多少知恵が劣っており、でも心根の優しい女性相手に、暴力をふるい、捨てておきながら、まだ女を偲んで泣くという、なんという傲慢でエゴイスティックで都合よく解釈している奴なのか。
この関係性が自分にはマザコンの男の幻想としか感じないのです。
あれだけのことをしておきながら、女性は男を恨むでもなく。男は女の愛だけは俺にあると思っている。
気持ち悪い。
何をしても俺を嫌わない存在で、さらに俺より劣っており、教育してやらねばならない存在だ、というこの関係性を見て、吐き気しか感じません。
愛だと言われたって、相手を自分と同じ人間と見てないとしか思えないのです。
いくら後悔して泣こうが、己の愚かさに泣いていて、やはりジェルソミーナの気持ちを考えての涙ではないのです。どこまでも自分のことしか考えていない。
フェミニストを声高に叫ぶのも嫌いなのですが、名作だ、愛の形だ、ともてはやされると己の中の違和感がぬぐえなくて気色悪い。
これ男女逆転であっても感動を覚えるものでしょうか?
そうだとすんなり思えなければ、やはりそこには愛なんて言葉では誤魔化せないものがあるのではないでしょうか。
昔の作品なので、当時の社会通念的に、これがまかり通った背景があるのも分かります。
だから今の肌感覚になれてしまった自分が、感動出来ないのも、仕方なくも思えます。
コメントする