比喩とかじゃなく、文字通り「観た者が誰もいない」というレベルの幻の(TV)映画だった。
当時の限られた情報でも「ビートルズ初めての失敗作」として知られ、国内では‘68年9月26日に武道館で上映の後、TBSで10月6日に一回限りのTV放送のみ、それ以降視聴不可能、情報不明な謎の作品。
リアルタイム世代でこれを観た人はどれ位居たんだろうか?
私がその『Magical Mystery Tour』を初鑑賞を遂げることが出来たのは、‘75年頃だったと思う。
丁度、高校入って間もなくの時期。
時代はビートルズ の’70年の解散からもやや経った頃だが、'73年に発売された例の赤盤・青盤の大人気により、その余韻がリアルタイム世代(ビートルズは”もう卒業”に)から、その後の世代の手へと受け継がれていった、その真っ最中という時代柄だった。
高校時代、一番ビートルズネタで話が通じたギター少年のA君は陽気で穏やかな正確だったから、学校外でまで連んだりな程の関係までいかなかったが(他の趣味の傾向は違うので)、休み時間などには良く盛り上がった。
そういう時には「Magical Mystery Tourってどんなんだろうね、絶対に観てみたいよなぁ」って話題に出た。
「あれ観た事があるって言ったら、筋金入りのファン間違い無い、自慢できるよなぁ...」などと妄想した。
その当時、中学時代には書店で取り扱いされてなかった「ぴあ」という雑誌も、ようやく一般書店にも並ぶようになって来つつあり、それで名画座のチェックには日々余念が無かった。
その雑誌には映画館以外にもイベント上映とか上映設備を有して定期上映を行なってる飲食店などの情報も案内があったが、そんな中に新宿歌舞伎町の雑居ビルに入ってると思しき、海外から自己調達してきたらしき音楽マニア向けのフィルム上映を行っている店(パブとでも言うか)のスケジュールに『Magical Mystery Tour』の文字を見つけたのである!
当時まだ未成年者という立場上、そのような所へ(当然、夜なので)行っても良いものかどうかも判断に悩み、兎に角まずはA君にその事を伝えて意向を確かめた。
結果、「二人一緒でなら何とか行けるよ」状態で決定し、実行の日までソワソワしながら、お互いに意思に変わりがない事を確かめながらその日を待った。
現在では最早ビルの場所等の記憶は消えてしまったが、そこはエレベーターで上がったかビルの3階辺りにあって、店内に入るというよりも、フロアがそのまんまだったような記憶で、映写機による上映の関係からか黒いカーテンで空間が隔てられいる上に、始まる前でも結構暗めだったので、全貌はよく分からない。
映画館じゃないので、あのようなシートに座って観るのではなく、背丈のあるテーブルに高椅子、そこでドリンク飲みながら観るような感じだったと。
先に言うと、当然だが字幕も無くフィルムのコンディションも良くない、一応カラーであっても色飛び(褪色)気味だったと思う。鮮明には程遠いということです。
それでも始まってみればもう釘付け状態で、何しろ「誰も観たこと無い」モノを観るんだという意気込みで、何も見逃すまいって感じに。
肝心の中身については、何しろ字幕無しで当時の英語(ヒアリング)力の無さで、曲間はドタバタ寸劇調状態だから、内容の理解には程遠く、兎に角“観る”ばかりである。
そして今度はホントに「こんなの(今まで)観たことが無い」って状況に陥った。
開巻の軽快なテーマ曲とカラフルなタイトルに心躍るような感じから引き続いたのは、正直言って画面から伝わってきたのは、都会から離れた英国のありきたりな風景であるのに、なんだかちょっと怖いような、その画面から醸し出される異様な空気感の世界と言うか、良く分からない人たちと雰囲気な世界で、まったく理解不能っていうか、「コレって一体なあに??」な状態です。
それでも、当時の殆どの日本人は観る機会が無かったであろう、青盤にも収録曲の「Magical Mystery Tour」「The Fool on the Hill」「I Am the Walrus」など、初体験だった曲部分の映像のインパクトは強烈であり、特にそのイメージ通りの「The Fool on」と、不思議の国のアリスから影響を受けてるというジョン・レノンの「I Am the 」のシーンは余りに衝撃的でアタマがクラクラした。
終盤の『Your Mother Should Know』のパフォーマンスに続いて『Hello, Goodbye』のエンディング部分が流れ、全編観終わってやや照明が明るくなると、元の世界に返ったというか我に返ったかのような感じた。
その“冒険を達成した"後店をあとにしながら、我々は物凄い達成感と誇らしさに満ちていたと思う。
遅い時間だったので足早に家路を急がねばならぬ関係上、余り多くを語り合う事は出来なかったが、「いや〜、ついに本当にボクら(だけが)観たんだね〜!」と称え合った。
「じゃあ、また来週学校でねっ!」と夜の新宿の街で別れたが、共にそれを成し遂げた事とその秘密を共有しているかのような事によって生まれた仲間意識に包まれていた思う。
その時は。
しかしその後は、まあ“Stand by Me”状態である。
学校では相変わらずな関係で、ネタである程度盛り上がったり、レコード録音してやったりもしたが、彼とはそれ以上の関係に発展することも無く、クラス変えで縁遠くなって卒業の頃には関係は切れてしまった。
いまだに『Magical Mystery Tour』観たりするとき、自然と彼のことをセットで思い出してたりする。
今更だが、なんか懐かしくも勿体無い気持ちが消えずにいる。
参考までに、時系列的には丁度この頃、'75年に発表されたジョン・レノン版「スタンド・バイ・ミー」が巷で流れていた頃と重なる。
これをシングル盤でも買い、それこそ擦り切れんばかりに繰り返し聴いた大のお気に入りでもあった。
'80年のレノンの死を挟み、'87年4月に日本でも公開されたスティーヴン・キングの短編小説が元ネタになっている映画『スタンド・バイ・ミー』が登場したが、レノンのバージョンを聴いていたこの頃には、まさかこのような形の映画になる日が来ようとは(メインテーマとして映画に使われることなど)想像だにしていなかった....
また、この『Magical Mystery Tour』の時代を振り返った時、非常に興味深いのが、当時イギリスにとって最大の輸出(外貨獲得)兵器だったビートルズと双璧をなしていた、もう一つの輸出兵器「007」シリーズについても、この作品に先立って同年'67年6月のヒット作『007は二度死ぬ』公開後から、次作『女王陛下の007』の時代に、ついに陰りが見えてきたように思わせる時期に突入していったという事実。
しかもビートルズについても、同じ1967年6月には最高傑作とも言われることになるアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』出した、それに続くプロジェクトだったということなのである。
丁度この『女王陛下の007』公開の'69年12月〜と重なる時期の、'70年4月にポールがグループを脱退する意向であることが英『デイリー・ミラー』により伝えられたことで、ビートルズは事実上解散(活動を停止)したとされる。
奇しくも、その後の裁判所決定により4人が解散合意書にサインを済ませたのが'74年12月であり、'75年1月の時点でビートルズは正式に解散となったのだが、その年に私は生まれて初めて『Magical Mystery Tour』の映像を目にしたということに。
その当時のことで、記憶にハッキリと残っているのが、'69年年末時期に家族ででかけた有楽町の街なかで観た『女王陛下の007』のポスターが強烈に印象に残っていること。
手放しでスキーで滑りながら銃を持って美女と一緒にニヤケ顔、みたいなデザインにとても関心を持ったというか興味を引かれた、まさにその時にビートルズ の解散が進行中だったことなど、小学生のわたしはつゆ知らず、というか、年齢的にまだそれ程の関心を持つに至っていなかった時分。
元々が、コンサート活動を封印していたビートルズからのX'masプレゼント的に、ビートルズ製作・主演のテレビ・スペシャル企画として、英BBC TVで1967年12月26日に初放映されたものの、殆どストーリー性の無い行き当たりばったりであるかのような不可解に映る内容に加え、時代を反映したサイケデリックな色調の作品だったにも関わらず”何故かモノクロ放送”されてしまい、「ビートルズの(初の)失敗作」というように揶揄される存在となってしまったという経緯を持つ作品。
LP『Magical Mystery Tour』はそのA面がサウンド・トラックという仕様だったが、誰も観たことがない映画のサウンド・トラックなので、コレに手を出す人は少なかった。
US仕様のLP『Magical Mystery Tour』の収録曲は、上記の青盤にも11曲中の7曲と数多く収録さていたため、そのタイトル(曲)や知名度は低くないものの、”実際にどんな映画なのか誰も知らない謎の作品”である状態が長きに渡って続いて、特に青盤にその数多くが収録されてからは、残りの4曲のために高額なLPレコードに出費するのは相当な覚悟を要する時代だったという背景が。
因みに初鑑賞当時は、自分と同年代でも洋楽系の風潮は既にプログレ時代を迎えており、「ピンク・フロイド」「ELP」「YES」「キングクリムゾン」「キャメル」や、「マイク・オールドフィールド」などが全盛時代。
当時、クラスメートなどからよく言われたフレーズが「まだビートルズなんか聴いてんの?、お前 〜 知ってるかぁ?」ってやつ。
あんまり言われて聞き飽きました。
参考までに、現在は伝説のように評価も高まっってるKISSなんかも、1974年のデビューアルバム『地獄からの使者』の頃には「見世物のキワモノ・ロック」扱いで、本格的ROCK小僧たちからは低く見られてましたね。
そういうのも後にそれなりにシッカリ聴いてますが、中学時代からビートルズに関しては一度たりともブレたこと無く、以降、万年聴き続けて現在に至るのを誇りにしているくらいなので。
長年の間には世間的に忘れられた感強かった時期もそれなりに長かったが、”CD登場”のインパクト以降は再評価に繋がって、現在ではもはや定番化の「不変の価値感」を得た印象。
私とAくんが『Magical Mystery Tour』鑑賞の悲願を果たしたその数年の後、公には日本では’77年8月に松竹・富士映画配給により、米シェアスタジアム公演のTVスペシャルと二本立てで、「丸の内松竹」劇場などで公開されたのち、80年代に入ってからはライセンス非公認な様子で東映系のビデオテープソフト化され、'88年になって正式なアップル公認のリマスターLD(LPと類似ジャケット)とビデオテープで再発され、その後DVD、BDなどで現在に至ったというのが経緯である。
そして自身は、この’77年の劇場公開時に有楽町にあった「丸の内松竹」にて、人生2度目の『Magical Mystery Tour』鑑賞を果たしている。
因みにその際の鑑賞は1人でだった。
この時やっと初めて、ちゃんとした劇場のシートと大型スクリーンでそれなりの画質に字幕付きで、ついに内容部分の把握にまで及ぶレベルの鑑賞を果たせた訳であった。
ある意味、今度はシッカリと受け止めることが出来た。
その後も、LD、DVDと再三繰り返し鑑賞している、現在ではお気に入りの一本に違いない。
初鑑賞時の体験に始まり、特にその「キモ、オカシく不気味」の独特の、これまた唯一のテイストにハマたんでしょうね...
「他人からの伝聞よりも、自分の目で観て(耳で聴いて)みて確かめなければ気が済まない。」性格だと自負、生来。