カサノバ(1976)のレビュー・感想・評価
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観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ ゲップが出る程満腹。ヨーロッパ宮廷の男版徒花カサノヴァの一生をフェリーニならではの豪華な衣裳・セット・退廃的な乱痴気騒ぎで彩った一大絵巻。いつか大スクリーンで観たい。
①力技というか胆力というか、サーカス大好きのフェリーニだから大掛かりなセットで目を驚かせてはくれるけれども、何より自分の世界観を作り上げて観客を巻き込み最後まで引っ張っていく演出力が凄い。
最近の映画界は色んな国が力を付けてきて多彩にはなったけれども、どこかスケールの小ささが否めないのは、こういう演出力で一本の映画を(半ば強引にでも)引っ張っていく監督に乏しいことが一因だと思う。
特撮やCGやヴィジュアルで観客の目を惹き付けても演出力で魅せる監督が少ないなぁ、と感じるね。
②ドナルド・サザーランドはほぼ全編出っぱなしながら息切れを感じさせない大熱演。
③フェリーニ映画独特の変わったメークをした女性陣や面白い顔の人たち(こういうのもハラスメントですかね)てんこ盛りで飽きない。
疲れた吐息に象徴される性の快楽と退廃のイマジネーション豊かなフェリーニ映画
フェリーニ監督に、これまでの人間性の発露が圧倒的とは言えないものがある。あるのは性に疲れた男の人生の悟りに至る諦観の心境であり、それを風刺劇として同情し自省するフェリーニの映画創作の不可思議さである。肉体の快楽と退廃は、より重苦しく人の心まで静かに諭すものか、それに対するフェリーニの自己批判を感じた。映像のイマジネーションは衰えず、独自の世界観は見応え充分で、ニーノ・ロータの音楽もこれ迄とは打って変わって内省的な幻想曲風でユニーク。それでも歳を重ねないと理解が及ばないのも感じ、今の自分には無理。ただ、この不思議な映像美の吸引力は、世界でフェリーニ監督ただ一人の存在価値があると思われるので、評価は高い。
1980年 12月23日 スバル座
理想の女性を追い求めての長い旅路の果てに見た夢は?
幾つかの乱痴気騒ぎが豪華で下品で、ユーモラス。伸縮自在の鳥の置物が説明的且つ卑猥。そして、最後の方は数名でピアノを奏でてのニーノロータの音楽とともに、カサノバの究極的理想の女性、ダッチワイフの様な人形とダンスをし、ベッドで抱き合う。絵画の様に美しい映像だが、孤独で哀しくも有る。そして、老いぼれて見る幸せ?な夢も、生身の女性でなく、人形娘と踊る自分自身の姿。
意外性の女、か弱い女、力強い女、残酷な女、種々の理想の女性像を追い求めて生きてきたが、所詮、皆束の間で目の前から皆消え失せてしまう。最後に残ったのは人工的だが最高に美しい人形の女との踊るイメージ。そして、これが故郷ベネチアの祭りの際の女神像と映像が重なる。
もしかして、カサノバが抱いた女性はフェリーニが関わった映画作品のイメージなのか?それぞれ皆、一生懸命愛したはずだが、死も見えてきていて賑やかな中に居るが心情的に孤独な自分を駆り立てるのは、産まれ育った町と、自然では無く人工的に創りあげた美しきもの。カサノバの人生の姿に仮託した監督の今の姿・心境の自己開示なのだろうか。
キテレツ
フェリーニの芸術的センスが炸裂した様な作品で、どんな監督もマネ出来ない独自の世界観がありました。日本で生まれ育ったらこういうセンスは、理解されにくい感じです。まず、カサノバが全くの色男に描かれておらず、むしろ見た目も中身もキテレツです。色男に描いた方が作品的に観やすく分かりやすいとは思うのですが、観やすくしないのがフェリーニです。
そして回りにいる貴族達の楽しみが、覗き見的で悪趣味です。どっかで見たことがある絵面だなあと思ったら、楳図かずお先生や寺山修司っぽいことに気がつきました。ラストだって、普通の恋愛ものを観る感覚でいると、気持ちが悪いと思うはずです。フェリーニは、やはり玄人向けなのでしょうか?この独特の感性は、さすがフェリーニとしか言えません。
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