私の殺した男

解説

「陽気な中尉さん」「モンテカルロ」のエルンスト・ルビッチがトーキーになってから始めて手がけたシリアス・ドラマで原作は「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名なエドモン・ロスタンの息モウリス・ロスタンの筆になる舞台劇。それをレジナルト・バークレイが手を加えて改作し更に「陽気な中尉さん」と同様サムソン・ラファエルソンとエルネスト・ヴァイダが協力してシナリオにまとめ上げたもので撮影は「龍の娘」「失われた抱擁」のヴィクター・ミルナーが担任。主なる出演者を挙げれば「侠盗ヴァレンタイン」のライオネル・バリモア、「盗まれた天国」「夜の天使」のナンシー・キャロル、「アメリカの悲劇」「光に叛く者」のフィリップス・ホームズ、「モンテカルロ」のザス・ピッツ、ルイス・カーター、ルシアン・リトルフィールド等である。

1932年製作/アメリカ
原題または英題:The Man I Killed

ストーリー

西部戦線。ポールは若いドイツの兵士を銃剣で刺殺した。同時に彼は己のした事に激しい恐怖を感じた。その死体から彼はその兵士の名と村を書いた手紙を見いだしてその兵士が愛人に宛てて書いた手紙の最後のページを読んだ。非常にセンシティヴな若者であったポールは恰も己が普通の場合に人を殺したように懊惱した。それは常に彼の心を苦しめ、ついに戦いが終わった後ポールは彼が殺した男の故郷をドイツに訪れそしてその家族の許しを乞うこととした。彼に殺された若者の父はホルダアリンという医学博士だった。妻と亡き息子の許嫁エルザと共に住んでいた。この人は激しくフランス人を憎んでいた。彼にとってすべてのフランス人は息子の殺害者であり、村全体もまたフランス人を憎むこと甚だしかった。ポールはその村に着くとすぐ己の殺した男の墓に詣で、花を捧げた。エルザは亡き愛人の墓前にひざまづいて泣いている旅人をいぶかしげに見ていた。墓守りはその旅人がフランス人であることを村中にふれ歩いた。やがてポールは博士の家を訪れた。ホルダアリンは旅人の名を聞いた時それがフランス人であることを知り、険しい眼で彼を見、やがて出て行ってくれといった。ポールは一言でいいから聞いてくれと乞うた。そして絶望のうちに恐ろしい告白をしようとしたが、不幸にもその父親は彼が死んだ息子の友人であったというように信じただけで終わった。それはエルザが戻ってきて一人のフランス人が彼女の愛人の墓に花を捧げていたことを告げたのでホルダアリンはこのたび人が息子と親しかったのだと信じたのであった。憎しみは愛情に変わった。ポールは老夫婦のパセティック喜びを見てついに告白の機を逸してしまった。それからポールはたびたびこの家を訪れ家族は彼を快くもてなした。村はこのフランス嫌いの老人が一人のフランス人を迎えている姿を見ていろいろと噂した。そして彼の友人達は極めて冷ややかになりことにエルザを貰おうと思っていたシュルツという男はホルダアリンを非難さえした。けれどその頃ホルダアリンは敵だった国民を憎むことの愚かしさをしり、村人の狭い心を斥けた。そして息子を殺されたことに対してフランス人を責めていた彼は戦争とその飽くなき残虐を呪うようになった。またポールは彼に新しいフランス人への理解を与え、これがためホルダアリンは己と同じように息子を失ったフランス人の父親のことを考えはじめた。更に彼の熱心はこれをそのまま村の同じような父親にひろげた。けれどポールは己の恐ろしい心の要求に更に怖え、エルザに国へ帰ることを告げた。エルザは彼が己を愛していることを知っていた。そして彼がいま国へ帰るというのは自分が死んだ男と婚約していたからだと思った。そこで彼女は亡き許嫁から来た最後の手紙を持って来た。それには彼が例え死んでもそれによって彼女の幸福を妨げることを欲しない旨がが書かれてあった。そして彼女は最後のページをめくった。ポールはついに耐えきれず一切を彼女に告白した。そして今己が自殺しようとしていることを告げた。ポールはすぐにホルダアリンの許に走って同じ告白を始めるがエルザはそれをさえぎってポールはこの村に永住することを告げに来たのだと言った。老夫婦は非常に喜んだ。やがて二人切りになった時エルザは今になって真を語って逃げ出すのは卑法だと言った。ポールのついに思い直して己が殺した男の両親と愛人の幸福へ己の一身を捧げる決心をしたのであった。

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映画レビュー

5.0ルビッチ作品を更に観ないではいられない!

2020年12月13日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

エルンスト・ルビッチ監督で観たのは
「エノチカ」「天国は待ってくれる」
のユーモア優先の作品ばかりだったが、
この「私の殺した男」は
短い上映時間ながらも、
一転して(こちらの方が先ですが)
シリアス優先で深い内容の映画だった。

彼が殺した男の両親が、
勘違いして優しく接してくるシーンでは、
どうして罪を告白しない、
このままでは後でより大きな問題に発展
しかねないし、十字架が更に重くなる
ではないかと声を上げたくなったが、
これがラストシーンへの伏線だったことに、
この瞬間は気付かなかった。

彼の、殺した男の家族と許嫁への登場は、
家族の意識に大きな変化をもたらし、
特に父親の相手国の個人や国民へ
向かう憎しみが間違いだった
との認識にまで導いた。
これも家族の彼への誤解の結果ではあるが、
しかし、勘違いながらも相手への
優しい想いがあれば、お互いの障害を排し
平和をもたらすとの教訓にも思える。

ラストシーン、殺した男の許嫁に諭されて、
御両親の意向に添う決断をするが、
告白と許しを請う想いを封印して
己を捨て他人のために生きるという、
それが彼なりの懺悔であると理解し
別の意味での重い十字架を背負った瞬間
だったのだろう。

こんな素晴らしい映画を上回る作品が
他にあるのか、まだまだルビッチ探索
が続いてしまいそうだ。

追記
レンタルビデオの期間内に再度鑑賞。
最初の鑑賞では認識不足だったエピソード
の理解も進み、より一層涙腺が緩みました。
次の大戦を予感しつつも、
人類の融和を期待するルビッチ監督の想い
に多大な感動を覚え、
星を更に加え
🌟🌟🌟🌟🌟に変更させて頂きました。

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KENZO一級建築士事務所

4.5コメディだけではないルビッチ監督の知られざる反戦映画の名作

2020年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

世に知られたコメディの巨匠エルンスト・ルビッチ監督の異色のシリアスドラマの特異な位置にある名作。小品ながら、作品が内包している主題の深刻かつ重大な問題提起の主張力が強い映画。ルビッチ監督の登場人物に対する愛情と理解がひしひしと感じられて、通俗的なヒューマニズムでは収まらないより身近で本質的な、ルビッチ監督の人間的な優しさに深く感動してしまった。監督の特長を知ったギャップの大きさも要因にあるのだろうが、それでもこのような経験は滅多にないものだ。ルビッチ監督が真剣なドラマを映画にすると、その寛容さがジャン・ルノワール監督と変わらない懐の深さを持つことを知る喜びもある。
ドイツの老夫婦と息子の婚約者の家族愛、そこに加わるフランスの青年の誠実なこころが、美しさの極みで描かれていて、見事としか言いようがない。父役ライオネル・バリモアの名演により、この非現実的な物語が、おとぎ話に終わらず正しく”映画としての語り”になって、観る者を説得させこころを揺さぶり、そして戦争と人間について考察させ、最後は許しの境地へ導いてくれる。

黎明期の映画は、単なる見世物小屋のアトラクションに過ぎなかった。しかし、1910年代になると動く映像の可能性に芸術の価値を見出したことで、時間芸術と空間芸術を併せ持つ”第7芸術”という新しい分野を唱える様になった。そして、サイレント映画の初期の名作が続々と作られるようになったが、その同時期にある歴史的事件の最大の象徴が、第一次世界大戦(1914年~’18年)である。映画が何故生まれたかを考えたとき、それは偶然ではあるが、戦争を無くすために生まれてきたのではないだろうか。第二次世界大戦までの間に作られた第一次世界大戦を題材にした反戦映画の名作が、そのことを教えてくれているように、思えてならない。そんなことを考えてしまう、このエルンスト・ルビッチ監督の知られざる名作が、より多くのひとたちと巡り合うことを願って止まない。

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Gustav

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