鳥のレビュー・感想・評価
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縄張りを侵さない限り、鳥は襲ってこない
40年位前に音威子府から猿払へ行った事がある。音威子府 を朝の3時とかに出発して早朝に猿払に付く予定だったが、猿払まで、気動車の線路が走っていた。
太陽が登る頃猿払に付くのだが、オホーツクの海を見に猿払の海岸まで、一人で歩いた。それ程の距離は無かったと記憶するが、街には人っ子一人いなかった。しかし、橋の欄干の両側には、どこからやってきたか、いつの間にか、ビシッとカラスがタムロしていた。既にこの作品を見ていたので、その光景が怖かった事を思い出す。
しかし、同時に『鳥は朝になってから集まるんだ』って思った。
つまり、ヒッチコック監督のマジックだろうが『鳥が怖いのではなく、鳥のために軍隊まで出してしまう人間の方が怖いんだ』って思った。映画の最後に日の出に向かって、逃げて行く主人公達の未来が強く印象に残った。つまり、言い換えれば、核兵器に恐怖して自らの未来に穴を空けようとしている今の人類の未来なのじゃないだろうか。核兵器が怖いのではなく、核を使う人間が怖いのだ。つまり、日本人もロシア人もアメリカ人も核は使える。核兵器は無くとも核は大半の国が持っている。
追記
天王寺動物園に『鳥の楽園』と言う施設がある。今回、それを見に大阪に来た。しかし、前回見た時と違って、鳥達が元気ない。さて?
隣で施設の増築をしている。鳥でなくともうるさく感じる工事だ。人間の為の施設だから仕方ないが、なんか鳥達が可哀想に感じた。まぁ、檻の増築だから、そもそも鳥達は哀れな虜(とりこ)ではあるが。
平等院鳳凰堂を見て、鳥達にエールを送ることにした。
平等院へは何回も行っていたが、阿弥陀如来様を始めて見た。
良い映画に『巡り会えますように』と祈った。2023年10月4日18時53分
さすが動物パニック映画の元祖
どうやって撮影したのか
CGの無いこの時代、鳥が少しずつ集まってくるシーンや鳥が子供達を襲うシーンは本当に怖い。
なぜ鳥が襲ってくるのか
その理由が最後までわからないところも怖いと思う。
え?これで終わり?
と思わせるラストシーン。
結末がどうしても思い出せなかった理由はこれだな。
鳥が恐ろしくなった
DVDで鑑賞(吹替)。
原作は未読。
ある日、鳥が人類に牙を剥く。理由も分からず、成すすべも無い。突如、無数の殺意に晒されると云う理不尽な恐怖。…
アルフレッド・ヒッチコック監督がお得意のサスペンス描写でスリリングに描き出す、動物パニック映画の名作である。
冒頭からしばらくは、メロドラマでも始まるのかと訝しく思うくらい、メラニーとミッチが惹かれ合う様子を、ミッチの母親や元恋人アニーとのやり取りを交えながら描いていく。
少し退屈な時間だったが、なんの変哲も無い恋愛劇に、メラニーがカモメにつつかれたり、アニーの家にカモメがぶち当たって憤死するなど要所要所で不穏さを醸し出す演出が見事。
中盤以降は鳥の襲撃がどんどんエスカレートしていって、ついには死者が出てしまう。そして、小学校がカラスの大群に襲撃されると、小さな港町は次第に恐慌状態へ突入していく。
(煙草を吸うメラニーの背後のジャングルジムに1羽、2羽…とカラスが止まり、彼女が気づいて振り返ると無数のカラスが止まっているシーンはあまりの不気味さに鳥肌が立った)
じわじわと不安を煽っておいてから迎える、カモメの大襲撃が本作のハイライトだろう。住民たちは一挙にパニックに陥った。ガソリンスタンドが爆発し、人人は鳥に殺害される…
パニック時の集団心理は、この理不尽な事態に理由を求め、メラニーへ責任追求の矛先を向ける。理解出来ないままでは怖いからだ。メラニーに詰め寄った主婦は鳥より怖かった。
鳥の襲撃に波があるのも恐怖を煽る。何故急に止むのか。何故今は襲い掛かって来ないのか。その理由も分からない。分からないことだらけが、さらなる恐怖を生み出していく。
ラストシーンの衝撃も凄まじい。何も解決せず、鳥の群れを映し出して唐突に終わる。なんと秀逸なプロットだろう。ヒッチコックの巧みな演出も相まって、恐怖が余韻として残る。
本作を観てから、鳥が木に群がっていたり電線に並んで止まっているのを目の当たりにすると本作を連想し、目を伏せて遠ざけるようにしている。とにかく鳥が恐ろしくなった。
[以降の鑑賞記録]
2024/12/08:Blu-ray(吹替)
※リライト(2024/12/08)
ラブバードが目的なのか?
「鳥」字幕版 Amazonプライムで鑑賞。
*概要*
鳥たちが突然人々を襲いかかるパニック映画の原点といえるヒッチコック作品。
*主演*
ティッピー・ヘドレン
ロッド・テイラー
*感想*
ヒッチコックの作品巡りの第二弾!「サイコ」に続き、もう一つ気になっていた「鳥」!
動物パニック映画の原点ですね。いやぁ~鳥が恐ろしい恐ろしい…(^^;
物語進行が「サイコ」に比べて、テンポが非常に悪いんですが、物語がシッカリしてました。
鳥が人々を襲いかかるシーンは、怖い。ダンっていう男が一番酷い殺され方されてましたし、後半にかけてからミッチが本領発揮する所がまた良いw
後半、学校の生徒の母親がメラニーに向かって「あなたが元凶よ!悪魔!」って罵られて思わずメラニーが母親をビンタするんですが、母親の言い分は一理合ってると思います。だって、ミッチが探してたラブバードをメラニーが驚かせようと、こっそりラブバードを持って、ミッチの家に置いてきてその辺りからカモメやカラスとかに襲われるんですから。だから、原因はメラニー本人ではなく、彼女が持ってきたラブバードじゃないの?(鳥たちの目的はひょっとしてラブバード?)
ラストの籠城戦はビビりますね~ 大群の鳥がびっしりいるんですから…鳥が嫌いになりそう。。(笑)
単純なストーリーですが、まぁまぁ面白かったです。テンポが悪かったかな…(^^;
災難映画だなんて聞いてないし!
得点は4.0-4.5の間かなー
意外の怖さで何これ?って!!!!
長い話だが、徐々に恐怖の道へ....
最初はヒッチコック映画によくある男女主人公だが、今回の女性はいたずらが好きで活潑な印象だった。と思ったら、メラニーはボデカ・ベイに来て色々あった時点で、その街に違和感を持ち始める。尋常じゃない出来事、過去ミッチと付き合ったアニー、メラニーのことが明らかに好きじゃない神経質なお母さん、その人間関係に観客も好奇心を示すのだろう。が、また異常なことが起き、あのお母さんもメラニーを頼りにするようになるが、さらに現れたのは鳥の危機。
一見すると一連の出来事だが、全体を振り返って見ると結構いくつかの重心があったようで、これもよくわからなかった部分だ。
というのも、もしこれを鳥の災難映画だと視するなら、このさらに前で示された人間関係をどう捉えればいいかも問題になるのでは。最初からは確かに鳥の話もあって結構後のことと相応しているが、例えば最初のお店で鳥は分類されたり、籠に入れられたりする話も出た。が、こう見たら全く鳥の代表した自然は人間に対する復讐のようなことになる。 ならばミッチ家の関係やお母さんのミッチへの占有欲は何なんだろう。最後までもsれどんな意味があるか分からない。
メラニーの送ったラブバードは?
ラブバードはここで彼女とミッチを象徴することだろう?
強いというなら鳥(自然)の復讐(災害)の前に結局人間は一致対外になるってことかなー
これだけじゃないと思うなあー
何か意味深いところでもあるようなー
この面を放っといて単純に災難映画としてこの映画を捉えると、ホラーもあり、緊張感もあり、最後に解釈もなく、納得できる。
またあんな早い時期でこのような映画が撮れるなんてヒッチコックもまたすごい!編集も結構工夫したようで、ベイのレストランで見た爆発のシーンにも、見た目ショットがあってそれ以上交互にクロスカッティングで爆発の場面とメラニーの顔を映したりしてかなりインパクトがあった。
そもそも鳥を取り上げる災難映画もそんなに多くもないし、あの時の災難映画も少なく、触れる題材も少ないのだろう。
現在の海辺のサメ遭遇とかこういう映画が多いが、実際によく海辺に行く人しか共感できないかもしんないし。だが鳥だと、結構どこでも見かける存在であり、日常生活によくあるが、人は全然相手にしてない存在である。なので一旦映画見る人はその存在、ある意味で鳥に危機感を持つようになると、視野も変わる。
特にこの映画は鳥のもたらした痛みを見事に伝えてくるし、そのため最後まで緊張感を持ってハラハラドキドキしていた。意外と鳥がもたらした恐怖感はホラー映画にも負けない!
なので災難映画だと文句言うなし。
鳴き声
不気味というかなんというか。
怖い映画でした。
特に何も理由が語られないというのがまた…
徐々に集まってくるシーンとか、
静かなシーンからの襲ってくるシーンとか
なかなかビクビクしながら楽しめましたw
永久不滅の動物パニックスリラー!
ヒッチコックの映像テクニックが凄すぎる。
合成が多いとはいえCGがまったく使われていない時代にこれだけの映像を良く作れたなと本当に感心する。
映画後半は恐怖シーン連続で観ている人は画面に釘付け状態になる事は間違い無い。
ティッピヘドレンが鳥に襲われるシーンはサイコのシャワーシーンを思わせてヒッチコックのサディスティックな変態性が爆発して映画の大きな見せ場になっている。
ラストの世紀末的な光景は数々の生き物を絶滅させてきた人間が自然の力により復讐される未来を暗示していて本当に怖いシーンだ。
まだ未見の方で恐怖、スリラー映画の好きな方には絶対にオススメ出来る映画です。
モンスターパニックの傑作
鳥が凶暴化し襲われる事になる町の住民の話。
なぜ鳥が凶暴化したのかの説明もなく、ただ襲われるという理不尽さがより怖さを引き立たせます。
最後も特に解決する事もなく主人公達が逃げるだけです。
映画と無意識
2回目の鑑賞。前回から5年以上経つだろうか。その時は、単に鳥の恐ろしさ、自然の人間に対する不条理をよく描けた作品くらいに思った。今回までの間に、同じくヒッチコックの作品で「サイコ」を観ていたので、彼の映画における無意識への関心という点から、この「鳥」についても考察を進めることができた。
鳥たちが、一斉に人間を襲うという、この非現実的な不条理を、なせ映画のモチーフとしたのか。これは、漠然とした人間の不安。普段は意識されない、無意識の中に沈んでいる恐怖を象徴しているのではなかろうか。
ボデガ湾のレストランで、鳥類研究を趣味にしているという女性が、鳥が人間を理由なく襲うことなどないと科学的な知見を語るシーンがある。しかし、地球上に生息する全鳥類の個体数のその天文学的な数字に言及した彼女自身が、人類が鳥と戦い、これを滅ぼすことなど不可能なのだという空恐ろしい想像に身震いをする。「もし」という仮定が、現実なったらという恐怖の薄気味悪さを、彼女はここで感じている。
「サイコ」と同様に、主人公の女は自由奔放な性格で、何よりも男好きである。しかも、女が訪れる先の男は、彼の母親の強い支配を受けている好青年。母親の支配から自由になりたい気持ちをどこまで自覚しているのかは判らないが、母親の自分に対する評価にはひどく神経質だ。
一方の母親は、(「サイコ」では実は亡くなっているのだが)息子への愛情の強さを、その恋人と競い合い、最終的には敗北する自らの運命を恐れている。
こうした何となく抱いていた不安が、主人公の女の来訪によって、無意識のレベルから意識の上に現れてくる。これを象徴的な出来事として表現したのが、鳥たちの来襲なのではなかろうか。
ボデガ湾を車で脱出するラストシーン。鳥/恐怖で埋め尽くされた村を、意識を失った女を介抱しながら、男が家族を車に乗せて、ゆっくりと進み始める。静かに、そっと、鳥/恐怖を再び目覚めさせることのないように。
意識を失い無意識の世界に沈んだ女、自らの意識下の恐怖の実態に気付き始めた男とその母親。互いの無意識に潜む恐れを意識させぬように、閉じられた人間関係の中で、肩を寄せ合う姿こそ、現代の核家族の姿と、そこへ侵入することでしか新しい家庭を持つことのできない、現代女性を包む冷ややかな現実に他ならない。
何故これが名作なのか
総合:20点
ストーリー: 5
キャスト: 60
演出: 30
ビジュアル: 50
音楽: 5
ヒッチコックの代表作の1つと言われる作品。
しかし私には良さが理解できない。何故理由もなく昨日まで普通に暮らしていた鳥が特定の一地域において突然集団で人を襲いだすのか。しかもその鳥たちが人よりも強くて、次々に人を殺してしまう。さらにそれだけで飽き足らず、キツツキでもないのにくちばしで家をつついて破壊してまでして中の人を攻撃しようとする。窓硝子を割るほどに強く体当たりなどすればその鳥も死んでしまうかもしれないだろうに(現実には窓硝子に気が付かずにぶつかって事故死する鳥がよくいるらしい)、何故そこまでして人を襲いたがるのか。それなのに突然何事もなかったかのように日常に戻る。
何が言いたいのかまるでわからない。鳥がそこまでして人を襲う必然性も映画の中ではまったく触れられない。鳥をこれほどに理由もなく狂気の悪役にするのは何故?これが本当に名作でしょうか。そもそもカラスは例外として小鳥がそんな集団行動で襲撃をするような知能をもつわけがないし、古今東西で健康な大人を殺したという例も報告されていないし、仮に襲ってきたところで鳥ごときに殺されるなんてことも思えないし、だから恐怖感がない。せめて実行力のある鮫や宇宙人や怪物が襲ってくればまだわかるのだが。
公開された1960年代ならばもしかすると人が動物に襲われる狂気という衝撃や価値があったのかもしれないが、そんなわけでこの映画が当時だけでなくいまだに高く評価される理由が見つかりません。むしろ「裏窓」といった名作を残したヒッチコックの中で、相当な駄作なのでは。今まで共存していた鳥に理由もなく人が襲われるのに最後には理由もなく平和に戻るという物語は、私の見た中で映画史上最低級。映像の迫力も現代からすると質が低い。典型的なB級映画。
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