オープニング・ナイトのレビュー・感想・評価
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カサヴェテス特集5作目
にしてドラマが描かれている。興収に日和ったのか、奥さんとの即興劇が照れ臭かったのか、とにかく劇中劇で観易くなって、主人公が精神的に追い詰められていく描写も引き立ったと思う。
しかし、大成功! みたいなエンディングはいただけない、盛大に破滅してほしかった。降霊会の下りも力無く笑うしかない。
俳優たちのための映画
前回のカサヴェテス・レトロスペクティブで唯一未見だった作品。
カサヴェテス作品は概してつかみどころがない。出演者が延々としゃべっているのを見せられたり、いきなりシーンが変わって、今どこにいるか掴めなくなったり。カサヴェテス自身が語っているように、彼は映画技法には関心がなく、要は俳優たちの感情をカメラに写し取りたいのだろう。
老いに抗おうとする舞台女優を描いた本作は、カサヴェテスならではの俳優たちのための映画と言える。俳優だけでなく、演出家、作家、プロデューサーも出てくるバックステージ物としても楽しめるし、他のカサヴェテス作品に比べるとストーリーがはっきりしていて、観やすい仕上がりとなっている。
ジーナ・ローランズは熱演。亡霊に憑依されたかのようなシーンは、リアルに怖い。俳優としてのカサヴェテスは、出番は少ないものの、シニカルな持ち味で、ラストのアドリブ合戦を含めて印象を残す。
それにしても、70年代頃の映画を観ると思うのは、どこでもスパスパと煙草を吸っていたのだなということ。ちょっとオカルトチックなのも、その頃ならでは。そういえばカサヴェテスは「ローズマリーの赤ちゃん」に出てたね。
ジーナのやりすぎ感は否めない。
映画の時系列は舞台初日に向かって進んでいく中で、ジーナの熱烈な女性ファン(ナンシー)の交通事故死が変数として立ち塞がり、ナンシーが悪霊としてマートル(ジーナ)を悩ませる。同時にピークを過ぎた俳優の老いがフォーカスされる。
それにより思い通りにならない舞台監督、劇作家、プロデューサーの怒りと諦め、そしてマートルの素行の悪さや台本を無視したアドリブの演技に振り回される俳優陣、スタッフが登場する賑やかさは他に類を見ないか。サスペンス、そしてオカルトと当時の流行りが詰まった作品にも思える。
老い
「きみは女ではない。女優なんだ」というモーリス(カサヴェテス)の言葉。演出家のヴィクター(ギャザラ)も使っていた。
劇中劇が中心となり、マートルは少女の幻影のせいで上手く演技ができない。とうとう人前でも見るようになって、彼女を殺してしまうのだ!と言っても、幻影なので気がふれたとしか思えない。このナンシーの幻影がマートルと同じ服装、髪型をしているのも面白い。
クライマックスはマートルの劇中劇で、トラウマから立ち直ったかどうか・・・というもの。この劇のほうが映画よりも面白そう。なんだかコメディに変わってた・・・ラストの打ち上げではピーター・フォーク(カメオ)も登場する。
リアル
ジーナ・ローランズの憑依された演技が、リアルにしか見えなくて、ジーナ・ローランズ本人とも重なり怖かった。老いの恐怖、美しさを失う恐怖で病んでしまう作品を沢山鑑賞しましたが、ジーナ・ローランズが一番リアル。俳優が精神的に病んでしまって、整形しまくったり、自死してしまったり、精神病になってしまうのが分かる気がした。そりゃあ、一般人より人に見られるので切実ですね。
お酒の酔いと精神的な不安定さと
映画のオープニングは急に始まり、舞台のオープニングに強引に連れて行かれる
舞台の裏と表を行き交う役者の映像により、見てる私も舞台裏にいるかのような気分になり、緊張感がリアルでした。
ジーナ・ローランズの芝居は凄いです
さらに、カメラワークが絶妙で
お酒の酔いなのか、精神的な病みなのか、不安定さをダイレクトに感じることができました
劇場を出る時、少しめまいを感じちゃった
こわれゆく女優
途中から心霊現象に突入し、ソレ系の話になって行くのかと少し、戸惑ってしまった!?
ピーター・フォークにシーモア・カセッルとカサヴェテス常連俳優の贅沢な使い方に、ボグダノヴィッチ!?
ラストは即興の芝居を夫婦で演じているような、本当に客を呼んでの演劇を繰り広げているような演出が、素晴らしく魅了される。
演出、脚本家、製作者を振り回し困らせる我儘な女優が舞台を成功させるまでの苦悩を、奇想天外に!?
あれ?コロンボ刑事?
中年の女優が老け役を受け入れることができず、若さへの未練を断ち切ることに四苦八苦しなけばならない様子を描く。劇中劇となる、劇場での芝居とジーナ・ローランズ演じる中年女優の葛藤が重なる。
これ、今年アカデミー賞獲った「バードマン」と同じような題材じゃないか。演劇の舞台裏、脚本家や演出家との相克。ほとんど同じことを取り扱っている。
無論、イニャリトゥとジョン・カサベテスの映画文法は大きく異なるから、パクリだとか二番煎じだとか言うつもりはない。ただ、老いや若手に一線を譲ることへのこだわりは常にドラマとなりうるものなのだということ。
女優の香川京子もさるトークショーで、初めて老け役が回ってきたときに落ち込まない女優はいないという話をしていたが、その言葉が脳裏に甦った。
カサベテスの作品を初めて観たが、小津なみの映画文法へのこだわりを見せている。多用されるクロースアップの多くは、接写するのではなく、望遠で迫っている感じが出ている。これが画面の動揺を生み出し、人物の不安定な心理を見事にあぶり出すのだ。
見事にニューヨークでの初日公演を終えたローランズに花束を捧げる男性がほんの一瞬だけ画面に映る。誰かに似ていると思ったら、刑事コロンボのピーター・フォークではないか!
立ち去ると見せかけて、「あ、そうそう、うちのかみさんがあなたの大ファンでして。・・・・・・」なんてセリフが飛び出しても不思議ではないラストであった。
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