「同情は善か悪か」エレファント・マン あさんの映画レビュー(感想・評価)
同情は善か悪か
とにかくショッキングで目を覆いたくなるシーンが何度もあった。
トリーヴスは最初は親身に寄り添いジョンを救おうとしたけれど、だんだんジョンを持て余していったように感じた。
ジョンがバイツに連れ去られた後は自分に「俺はよくやった」と言ってジョンのことを諦めてしまうし(私が若くて未熟だから誠実性に疑問を抱いてしまったのかも)ジョンは何度もトリーヴスをはじめ周りの人々のことを「マイフレンド」と呼んでいるけれどそれに同じ言葉を返すことはない。
ジョンからトリーヴスへ向けられていたのは友情というよりは同情であったと思う。
エレファントマンは同情は悪かどうか、ということを考えさせられた。夫人が言っていたように、もちろんバイツの元にいた頃よりは待遇はいいだろうが、実際は客層が変わっただけで見世物になっていることはやはり否定できないし、自由に外に出ることは出来ず、聖堂の全貌を自分の目で見ることもできない。他の人々が当然に享受している幸せとは程遠い。私たちがジョンのような人と接する時、どうしても相手は弱者であるという認識を持ってしまう。
それは目に見える障害を持っている人にたいしてだけではない。少しでも自分より不幸せで、それに悩んでいる人に対して、その大きさは異なれど相手が弱者であるという気持ちで接してしまうだろう。
果たしてそれは良いことなのか、悪いことなのか、私には分からなくなってしまった。結局、自分のできる範囲でしか彼らに寄り添うことができないからだ。彼らの幸不幸に責任を持つことができない。実際トリーヴスも、病室ではなく自宅の一室に住まわせておけばあんな目に遭わずに済んだと思う。そんな立場で中途半端に手を差し伸べることは正しいんだろうか。もちろんあのままバイツの元にいるよりはよかったけれど、でも本当の意味で幸せにはなれなかったからあの結末になってしまったわけだし……
でも駅で「I'm a human being !」って言えたのはトリーヴスが根気よく向き合ったおかげだよな、とか。でもそのせいで自分と他者の違いが浮き彫りになっちゃってまえよりつらくなったんじゃ、とか。考えても答えは出ないです。
そのような人たちに対してフラットに接することができればな、と思った。フラットがどういうものなのかというのが難しいのだけれど。
あと、終盤の劇場を観に行ったジョンは、演者と自分の差にきっと苦しくなっただろうなと思った。同じように自分自身を売り物にしているのに、仕事に対する誇りや、他者から向けられる視線は全く逆のものであるから。
あとは細かい部分に19世紀ロンドンの文化が詰め込まれていておもしろかった。手袋をしないで手術をするシーンや蒸気機関、王族女性が手を入れてたモコモコとか。
それに音の使い方が効果的だった。今も列車の音や水の音、時計の音などが耳に残っているし、病室に観客が押し寄せて酒を浴びせるシーンなどは、明るい音楽がどんどん高くなっていって息が苦しくなった。
あのシーン、嫌がる女たちとのキスでケンドール夫人との綺麗な思い出がどんどん塗り替えられていくようでめちゃくちゃしんどかった。
ストーリーは本当に重くてしんどくてトラウマになりそうなほどだけれど見てよかったなと思うし、映像作品としてもやっぱり素晴らしかった。あの残酷さとそれに伴う人々の高揚感は今の時代じゃ撮れないなと思う。
あとみんな演技が上手で素敵!ケンドール夫人との面会シーン、夫人が緊張しているのが一目で見て取れてあんなに表情を操れるのってすごいなって思った。
穿った見方かもしれないけど、ケンドール夫人も100%善意だったのか分からなくてこわい。
ジョンが話す言葉は全部明るい言葉ばかりで、つらいとか痛いとか絶対思っているはずなのに一言も言わないから、幸せです、ありがとう、とかも本心なのかなって考えてしまった。