「そこいら中にエレファント・マンはいるのだ」エレファント・マン あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
そこいら中にエレファント・マンはいるのだ
なんと醜悪な、正視に耐えない、
吐き気を催すほどの化け物だ
しかしそれはジョン・メリックのことではない
病院の下働きの男と、彼に金を払って夜間に彼のを好奇の視線で覗く面々のことだ
そして本作をエレファント・マンとはどんな奇形の人間なんだろうと興味本位に観に行った過去の自分のことでもある
自分もまた見世物小屋に群がる人々と同じではなかったのか
トリーヴス医師もまた、あの興業師が喝破したように、学会で他の医師に見せびらかす事が目的だったのだ
見世物小屋で金を稼ぐか、自己の研究成果として学会での地歩を固めるかの違いでしかない
見世物小屋の口上シーンと学会の発表シーンは見事な相似形を描く
しかしジョンに知性があることを知って、扱いを改めて人間として接するようになる
もしジョンに知性がなければ?
あのまま?
人間扱いしていない?
研究対象として飽きたら、彼を一体どうしたのだろう?
衰弱して倒れてしまい、役にたたなくなったジョンを杖で殴りつけ、激しく突く扱いをする興業師とどこが違うのだろう
相模原の知的障害者施設で大量殺人事件を起こした犯人の視線とどこが違うというのだろう?
ジョンは知性を隠していたのだろうか?
生まれてこの方、誰からも愛されず生きてきたのだ
両親からも捨てられたのだろうか?
興業師に売られたのかも知れない
写真の中の母の美しさだけが彼の知る唯一の愛だったのだ
人間の尊厳を来る日も来る日も毎日否定されて育つことが、一体どれほどの苦しみだったのだろうか?
人間の尊厳を認められないとは、それはコミュニケーションを否定されることだ
それゆえに知性なぞ必要ではなかったのだ
知性が在ることを伝えても誰からも取り合ってはくれないのだから
だからジョンはトリーヴス医師も最初は何も信用していなかったのだ
なんという深い絶望なのだろう
人間でいる必要がなかったのだ
人間であると思ったら生きてはいられなかったのかも知れない
自分に知性があるのかをトリーヴス医師と院長は知りたいのだと理解したとき、彼は人間に立ち戻ったのだ
生まれて初めてのコミュニケーションの成立だったのかも知れない
トリーヴス医師もまた、彼とコミュニケーションできたとき、彼は人間であることを、今更ながらにして理解したのだ
そして恥ずべきは自分であると知ったのだ
エレファント・マン
それは奇形の人間の物語
見た目が異常だから差別を受けた
しかし外見ではなく、内面が少し変わっていても
いやそれどころか、どこも何も変わりもないのにイジメという差別をよってたかってする連中もいる
コミュニケーションを拒否する人がいる
親でさえ、教師でさえ、そういう人間がいる
その現実に絶望のあまり自ら命を絶つ人さえいる
死をえらばなくても、ジョンのように精神が衰弱していく人もいる
そこいら中にエレファント・マンはいるのだ
私達は病院の下働きの男や彼が引き入れた低劣な人々になってはいないだろうか?
自分が恥ずべき人間になってはいないだろうか?
相手を理解しようとするこころ
コミュニケーションを厭わずにとろうとする努力
トリーヴス医師のように自ら気づいて改められるのだ
遅いということはないのだ