エレファント・マンのレビュー・感想・評価
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醜さとは何か
デヴィッド・リンチ監督作品。
19世紀のイギリスで「エレファント・マン」と呼ばれた青年ジョゼフ・メリックの半生を描いた伝記的な劇映画。
本作の「エレファント・マン」の名は、ジョン・メリック(John Merrick)だが、それは医師のフレデリック・トレヴェスの表記に由来する誤記らしく、正しくは、ジョゼフ・ケアリー・メリック(Joseph Carey Merrick)。
また彼の半生もウィキペディアを出典とするが、本作とは大きく解離している。
そのためジョゼフ・メリックの半生をデヴィッド・リンチ監督が大きく脚色し、映画に翻案したものと考えた方がよさそう。
しかしそうはいっても、物語はかなり秀逸。
醜さとは何か。障害を扱う映画の常套句のようだが、それでも見事に描かれている。
ジョンを「エレファント・マン」として見世物小屋に出展させるバイツ。彼はビジネスパートナーとして、ジョンを承認するが、虐待をする。夜警のジムなんて一番最低な人物だ。人々から見物料をせしめて、夜な夜なジョンの病室に忍び込み、見世物をする。また上流階級の人も、大衆も酷い。好奇で畏怖する眼差し。あんな眼差しに常日頃から晒されるジョンの苦悩は想像に難くない。また医師のフレデリックも、バイツと自分自身を重ねる。彼はジョンを症例としてある種利用するのだから、完全な善人とは言えないだろう。院長や評議員もそうだ。
このように登場人物を非難する私ではあるが、ケンドール夫人や看護婦長、見世物小屋にいる小人のように振舞えるかと言えば、同意しかねる。
ジョンと対峙すれば、大衆と同様に好奇の眼差しや目を背けたくなるだろう。内なる醜さを再確認させられるようだった。
これほど深く感動的な映画だったことに改めて衝撃を受けている
今回の4K修復版は、その映像の美しさにただただ没入せずにいられない。今はもう亡きジョン・ハートが素顔を隠して放つ純朴な演技にひたすら心奪われ、アンソニー・ホプキンス演じる医師との友情にも胸迫るものを感じるこのひととき。映像が澄み渡っていることが手伝って、彼らの繊細な表現が他の要素と混濁することなく、より純粋に際立って伝わってくるかのようだった。また、今の時代に鑑賞することで、いかに医師が先入観を取っ払って、敬意と友情を持って向き合おうとしていたかがよく分かるし、彼が「私は興行師と同じなのではないか」と自問したり、病院内の世界を見世物小屋と比較するなど、リンチが意識的に盛り込んだ構造的なテーマ性も深く突き刺さる。終始に渡って映し出される大聖堂の模型が印象的だ。見えない部分を想像力で補って作り上げたその模型は、人間性や内面を真正面からしっかりと見つめることのメタファーとしても解釈できるだろう。
病のために奇形になった青年の生き様
いつか観たい・・・と思いながら、やっと観ることができました。
エレファント・マン(母親のお腹の中で、暴れ象に踏まれたような異形の青年)
ジョン・メリック(1962年8月5日に生まれ、1890年4月11日に亡くなる)
1980年作品。監督は「ツインピークス」などの、
デヴィッド・リンチ。
奇形に生まれたけれど心の美しいジョン・メリック。
生まれた時に異常はなく、生後21ヶ月頃から、
病気を発症。腫瘍や膨張と変形を繰り返す病でした。
母親は36歳で病死。
以後貧困に喘ぐ一家は救貧院ににゅうしよ。
そこも貧困者が多く、自らの意志で見せ物小屋へ赴く。
22歳のことでした。
こうして「エレファント・マン」は誕生したのです。
サーカス小屋の見せ物になって生きていた時、
外科医のトレヴェス(アンソニー・ホプキンス)に
救われる。
はじめは研究対象とみていたが、ジョンの心の声を聞くと、
心根の優しさに気づき、
ジョンとトレヴェス医師は友情で結ばれて行く。
ジョンは次第に広い世界を知るようになる。
人間には2種類いる。
この世にはサーカスの興行主のように
見せ物にして稼ぐことしか考えない種類の人間と、
ジョンを慈しみ仲間に入れる種類の人間に分かれるのを知る。
ビクトリア女王の口添えもあり、ジョンは病院内に部屋を貰い、
生涯暮らすことを認められる。
しかしある夜、彼を見物に来た一団とサーカス団の経営者に拉致され、
見世物小屋に戻ることになる。
また動物扱いされる日々。
ジョンの身体は徐々に蝕まれて行く。
そしてサーカスの団員に逃してもらったジョンは蒸気船そして
蒸気機関車を乗り継ぎ苦難の旅をする。
ある日、チンピラに絡まれて暴行を受けて、警察に保護される。
そしてホプキンスの病院にやっと戻って来るのだ。
晩年(と言うか、病院に戻ってからは、)心安らかに暮らし
ある日覚悟したようにベッドに入り、
蝋燭が消えるように亡くなる。
モノクロの映画です。
ジョンの奇形の様子をみると成人できて、
27歳まで生きているのが不思議なくらい。
哀れさと、ジョンの美しい無垢な心に打たれました。
観ていて息苦しかった(すごい)
観ていてとても息苦しく感じました。頭痛い
見慣れない白黒映像のせいなのか、作品の雰囲気のせいか、序盤の全体的にある得体の知れなさのせいか、ジョン・メリックの苦しそうな呼吸音のせいか、わからないですが…。
個人的に、当時の時代背景を考えると、ジョンを差別する人々を責める気にはならないです。
ジョンがもう気づいていたとおり、人間は、自分の知らないものを恐れるので。
(でも院内で働きながらジョン見世物にして金稼いでた奴は気に食わん。)
寧ろ、無知で浅慮な人々がかわいそう。
自分の頭で考えられないという点では、ジョンよりかわいそう。
上手く伝えるのは難しいけど、ジョンに優しく接した人もそうでない人も本質的には変わらない気がしました。
フレデリック医師はジョンに知能があることを知る前までは、実験体のように扱っており、その後は普通の患者のように、友人のように接するようになりました。
看護婦たちもある程度関わるようなってから恐れず接するようになり、
意思のある一人の人間として報ぜられたことで、女優さんやその他面会を求める人々、劇場で拍手喝采を送った人々もジョンを肯定的に捉えたのだと思います。
彼らの行動次第で、見世物小屋の仲間の言葉を借りれば、運次第でジョンの周りの評価や環境が変わると身に染みました。
私自身も、最初はまったく言葉を発さず意思表示をしないジョンを不気味に思ってしまいました。ただ見た目に関しては、そういう人々がいることを知ってたのでそれほど恐く思いませんでした。そこが、知っている人と知らない人の違いでしょう。
どうしてジョンはこんな扱いを受けても表面上は穏やかでいられるんだと不思議でしたが、
終盤で自分はエレファント・マンじゃないと叫んだとおり、
医師が与えた、人としての生活をするまでは、自分の意思表示をすること自体を知らなかったということだと思います。
終盤のジョンと比べると、最初のただただ心穏やかなジョンはまるで意思のないロボットのようで人間味が無く感じられます。
人間らしい生活を知ったことで、
見世物小屋の仲間に手助けしてもらってバイツから逃げたり、
自分の感情を表出させたり、
最期の選択を自分で決めるようになった
と考えると、
ジョンが本当に意思をもった一人の人間になれたのは、環境の変化によるものだと思いました。
あと最近の風潮から考えると、拍手喝采のシーンはカムアウトにならないかなーとちょっとモヤっとしました。
ジョン自身の気持ちは完全にはわからないので、何とも言えませんが。
同じように、顔を見せるか隠すかの権利についても考えてしまいます。
やはりジョン自身で決めるという発想には至らないと思うので、周りが選択肢を提示してほしい。
こういった差別とか人権とかの問題は、良い悪いでは片付かないものなので、難しいですよね。
見世物小屋自体も非人道的ではあるけど、廃止されたらされたで、障害のある人々が生活に困ったという話も聞いたことがあるので…。
色々考えさせられました。
とりあえず福祉の充実と教育と、本人の意思の尊重が大事。
恐らく主人公は見てる人が思うほど辛くはないと思う。少なくても今は。
幼いときから繰り返し虐待を受けてきた上で、仕事をし続けて来たわけで、出なかったらここまで素直な心を維持、表現できない。
だから音楽の使い方。効果音の使い方。繰り返される虐待描写には少し違和感を覚えた。デビット・リンチ自身が彼を見世物にしてはいないか。悪人と善人という両極端をみせつけられ、そう思った。悪人は西洋独特の貴族社会の中で相当虐げられてきたのではないか。さらに弱いものを叩くしかないこの社会の悲劇感を感じる。奥さんだけは純粋に主人公と
向き合ってはいたが、総じて貴族社会の息苦しさが目についてしまった。今現在の西洋はそうではないと信じたいが、この時代で相当行き詰まっている苦しさを感じた。彼の心だけが自分にはホッとできた。
本作が後世まで遺され、出会うことができてよかった
言葉にならない。色んな人間がいるし、1人の人間だって、色んな顔を持っている。生まれ持った容姿を面白がることなど許されない、その人の人となりを、本質を知ろうとすること、困っている人には寄り添うことが人間としてあるべき姿なのだと、強く思うのだけれど、実際劇中で彼のマスクの中の顔が初めて映った際には目を背けてしまったし、街中で見かけるとパニックを起こす自信もある。自分は本当に、トリーヴス医師やその妻、婦長、ケンドール氏らと同じ側でいられるだろうか。
実話という衝撃
映画にそこまで明るくない父親がこの映画の話をしていたため、気になって鑑賞。
白黒映画で、カット割りも昔を感じる。
アンソニーホプキンスの面影がなくてびっくり。
酷い登場人物も多いが、主人公を含め優しい人々に救われる。
見世物小屋というものがあったことに驚いた。
元となった人物のWikiを読んだが、生活に困った挙句、見世物小屋に自ら応募したようだ。
今となっては考えられないが、それを娯楽とされていた時代があったのか。興味深い。
ラストどうなったのかは見た人次第の解釈だが、本人は自殺はしていないらしい。
大昔観たけれど再度
悲しい物語だったと言う記憶はあったけれど、殆ど忘れてしまっていたのでもう一度観直す事に。
驚く事に物語ではなく実話を元に作られた作品でした!
ジョンを救っているつもりでもやっている事は見世物小屋の主人と同じではないかと苦悩する医師。ジョンは特に治療もないのに若い医師たちや世間に姿を晒されるようになりそれでも幸せなのかと私も思いだしました。しかしジョンは医師を(彼にとって初めての)友人又は恩人だと思い、彼の言葉を信じ世間に姿を曝け出したのでしょう。
この医師役を演じているのはアンソニーホプキンス。彼の若い姿に驚きましたし、他にも懐かしい役者さんが出てきました。
この様な劣悪な環境で見せ物にされていたジョンが、心優しく礼儀正しい振る舞いが出来るとは奇跡に近いでしょう。実際は自ら売り込みにいって生活していたようです。生きていく為には開き直るしかありません。この病気は遺伝病でジョンのお姉さん?も同じ病気だったようです。遺伝病であれば当時治療も難しいと思われ、女性なら尚、辛かっただろうと思いました。
映画に出てくる人々のジョンへの反応は両極端で、人間には相手の立場になって考えられる人とそうではない人で完全に分かれるのでしょうか?
自分ならどのように感じ、どう振る舞い、どう対処出来るのかとそれぞれの立場で考えてしまう映画でした。
ラストシーンで映画プラトーンで聴いた曲が使われていて、「こちらが先だったのか!」と思いました。
実話とは…
実在したジョゼフ・メリック氏の数奇な半生を描いた作品。公開当時から約40年ぶりに観ましたが、恐ろしいくらい覚えてませんでした…(汗;)。今ではプロテウス症候群というようですが、外観の変異が激しく、自分だったら耐えられないような気がします。そして恐らくは、病気そのものよりも人々が自分を奇異な目でみることに悩まされたに違いありません。映画では少し違う描かれ方になってますが、実際には自ら見世物興行の世界に入っていったようです。一体どういう心境だったのか本人でないとわかりませんが、社会から隔離されて生きることの方が辛かったのかもしれません。それに、彼を支えてくれた多くの人々がいたことも事実だったようで、そこに救いの感じられる実話でした。
僕は動物ではない人間なんだ!
もうね、いたたまれない気持ちにさせられる悲しすぎる映画ですよ。心優しい青年ジョン・メリックは、全身が畸形ということで彼を利用する周りの人々…。
群衆に追いかけられ、公衆トイレに追いつめられて、「僕は動物じゃない。僕は人間なんだ!」と叫ぶ場面は衝撃的であり悲しい名シーンとなりました。まさしく、彼の心の叫びが爆発してしまったシーンです。
そうなんです。
本当に醜いのは、エレファント・マンの外見ではなく人間の心…。
それでもメリックは、今まで味わったことが無いトリーヴスの親切に心を開き彼にとっては産まれてはじめての友人となっていきます。その様子は、とても微笑ましく救われる気分にもなれました。
ベットに横になって眠ること、人間が普通にできることです。最後は、その人間が普通にすることで、メリックはそっと命を落としていきます。彼はただただ普通の人間として生きていきたかった。それだけを願いつづけた一生でした。
観て良かったと心から思う
4K版公開を見逃し2年越しにTV鑑賞。私はこれまで虐げられることが多かった人生だったので、ジョンに自分を投影して見ていました。ジョンの抱く喜怒哀楽には強く共感。特に綺麗な女性に受け入れられるってのは奇跡的な瞬間であり、自分も救われたような気持ちになった。また、医師の婦人に言った「がんばらなくても受け入れてもらえる」的な台詞にも強く共感しつつ、客観的に聞かされると刺さるものがあった。
同じ境遇から抜け出そうとするジョンを送り出すフリークスの仲間達にもグッときた。あのシチュエーションであれば足を引っ張るという人も出てくる中、彼らのスタンスは見習わなければと思った。
苦しい状況から誰もが無条件で抜け出せるわけではなく、有形であっても無形であっても人の心を動かすモノがきっかけとなり道が開ける。ジョンの場合、それは知性だったんだなと思う。
古い映画なのでどうかなと思っていたけれど、現代映画のような巧妙な展開や情報量の多さがなく、おかげで自分の感情と向き合うことができる。考える余白を与えてくれる映画が私は好きだ。
正統派のはずなのに、何かがおかしい
何だろう。「ツインピークス」でその風呂敷の拡げ方に夢中になって追いかけた挙句、突き放された苦い経験があるのですが、まだそんなことはおくびにも出さない頃のリンチ作品で、正統派のヒューマンドラマと思わせといて実は…みたいなひっかけは一切ありません。
ただ、当時「泣ける」というような評価を真に受けて、見てみたら何か違う、何かがおかしい。と思ったのが正直なところで、その一つが主人公の顔の特殊メイク。徹底して最後まで見せないつもりかと思いきや、意外にあっさり途中で顔をさらし、そこからはひんぱんに素顔で登場しますが、顔の扱いが凄く雑な印象を受けました。
同時代の映画「スターウォーズ帝国の逆襲」なんかでは、異星人のリアルな表情をアニマトロニクスで巧みに表現できていたので、もっとリアルな造作が出来たんじゃないかと思いました。いかにも作り物という風情の特殊メイクにはかなりの違和感を抱いたのです。そのことが残念過ぎて、映画の世界にもう一つはまり込むことが出来ませんでした。
2018.4.5
考えさせられる。
鑑賞前は闇が深く救いのないものと覚悟していたが、
意外にもハートフルでハッピーエンドだったので驚き。
この映画に感想を綴るには一言で足りそうだが、
鑑賞記録として感じたことを残しておきたい。
まず、メリックの容姿が明かされるまでのホラー感からは
想像もつかないような展開になるので戸惑った。
ホプキンス演じる先生との出会いがなければ、
一切救いはなかっただろう。
また、見た目に大きなハンディキャップを背負っていても
それを認め前を向いていれば、助けてくれる人はいるんだと
そういう気持ちにさせてくれた。
ただ自分がホプキンスようになれるかと考えると
あの最後の劇場で拍手する一員程度だろう。
そんな自分に悲しくもなってしまった。
偏見でいじめるようなクズには絶対にならないが、
積極的に手を差し伸べられない自分はもどかしい。
自分自身を深く見つめ直すきっかけになった。
実在した人物ということで、実際に起こった物語とは
違うところが多々あるとはいえ、
世界中でこの映画を検索し、プロテウス症候群の
存在を認知することで少なからず、偏見を減らすことに
貢献していると思うので、この難しい物語を映像化に
踏み切ったリンチは素晴らしい。
個人的に号泣必至だった
久しぶりに映画で号泣しました。
リンチ作品の、場面が切り替わる時に舞台みたいに、それも(多分)あえてややゆっくり暗転する演出が好きです。昔の映画みたいでしっとりして叙情的で上品だよね。
しょっちゅうメソメソして鼻かんで忙しい鑑賞だったんだが、特に泣いたのはやっぱり、ジョンがトリーヴズ医師?の奥さん相手に母親について話す場面。あと、ラストだなぁ、、 ラストの音楽もよかった、、有名な曲かな。
それにしても、、当時の病院のセキュリティ、、ザルだな(呆)
女優のケンドール夫人?素晴らしいですね。慈愛がすごい。こういう、掛け値なしの愛情を注げる人間でありたいものです。
なんだろう、、全員ではないけれど、演者というのは、往々にして本質を見抜く目を持っている人が多い気がします。共感能力が高いせいかな。
トリーヴズが、自分のやっていることが偽善なのか葛藤する辺りも、人間的で良い。
若い頃のアンソニー・ホプキンス、けっこうイケメンね、、(←今更?笑)
ま、面白くは、ない。
これまた普通の話をちょっと歪んだリンチ節で撮った一本。
正義の医師役のアンソニー・ホプキンス が、後に地下牢に潜む本物の怪物に成るのだぞ、と思いつつ観ると愉しいっちゃ愉しい。
ま、面白くは、ない。
修行の為に観たとした一本。
Am I a good person? 人間の醜美とは?
人生初デビット・リンチ‼️
観たことないのになんとなく変な映画を作る人イメージがあったデビット・リンチ監督。「エレファント・マン」は古い映画だし重い内容だろうけど、「映画好きなら観とかないといけない」っという妙な使命感で劇場に足を運んだのですが・・・いや~良かったです。
正直言ってジョン・メリックの姿はそこまで驚かなかったというか。顔を出すまで物凄く引っ張るのでドンドン妄想が膨らんでいって、象のように鼻が長かったりするのかなっとか、もはやエイリアンな姿を考えてたりしたのですが、いざ顔が出ると、「あれ?意外に普通じゃん」っと思ってしまった自分がいます。スゴい事はスゴいのですが、これまで変な映画観てて耐性がついていたからでしょうか?いや、もし実生活でお客さんとか取引先の人だったら初見はビックリすると思いますけど、なんだかんだで外見って観てると慣れるもんですし。でも、あの麻袋かぶってる姿のデザインは秀逸ですよね。両目見えてるのに片方だけしか穴を空けてない所とか。あれ一発でエレファント・マンとわかる印象に残るデザインです。
で、ジョン・メリックにはそんなに抵抗を覚えなかった分、あの酔っ払いどもに腹が立って腹が立って。ジョンがホント可哀想で。ジョンは何もしてないのにかまうなや!って思って、もうあいつら最悪でしたね。素朴な感じのジョンとの対比で酔っ払いどもマジ醜い。そういう風に作ってあるんでしょうけど、デビット・リンチ監督見せ方上手いわ。嫌なヤツをちゃんと嫌なヤツとして描いてる。後ろからポカンとやった婦長さんはグッジョブでした。
怖い人なイメージしかないアンソニー・ホプキンスが良い医者役だったのも良かったですね。ってかアンソニー・ホプキンスが出ていた事自体知らなくって、最初に登場した時はお!有名俳優いるやんっと思いました。ジョンの姿を初めて見た時に涙するシーンは何だか迫力あります。で、医者として、またジョンの友人としても色々悩むんですよね。暗い部屋で「自分は良い人間なんだろうか?」っと自問自答している姿は印象的でした。きっとジョンに友人と言われる度に心の中で葛藤があったんだろうなぁ。
もしかしたら金持ちの偽善にジョンを晒し者にしていただけかも知れないのですが、個人的には偽善ってそんなに否定するものでもないと思ってるんですよ。だって、その行為で助かる人もいるわけですし。個人的にわりと献血に行ったりするのですが、例えば「献血で貰えるレトルトカレーとかの土産を目的に献血してます」なんて言ったら、それは偽善になるのでしょうか?この映画で言えばジョンは楽しそうに会話してましたよね?まぁ、そこで悩む所にトリーヴスのドラマがあるんですけどね。
でも、現代ならインターネットがあるので人前に出なくってもできる仕事はいくらでもあるのではないかと思いますが、あの時代だとそれこそ見世物小屋に自分を売るしかなかったのでしょう。わざわざ金払ってまで変な人を観たいかっと問われると、今の感覚だと大半の人間は「NO」ではないでしょうか?それでも本作では時代的な悲劇性もあるのでしょうけど、根底に流れる「自分と違う者を恐れる感情」は今も昔も変わらないのかも知れません。例えば宗教に置き換えるともうちょっと感覚が掴みやすいかも。
差別って無意識でやってる事も多くって、大半が相手に対する無理解からくるんですよね。でも、そもそも論で「自分が自分が」で他人を理解しようとしない人間なんて腐る程いますし。それでも多様性が叫ばれる昨今、多少やり過ぎな面はある問題は別としても、世の中少しはマシになっているのではないかと思いたい。そう信じたい。そんな風に思った作品でした。うん、観て良かった。
泣きました
虐げられ悲惨で惨めな運命から、最期に出逢ったのは神の救いだった。この映画を観て生まれて初めて宗教が必要な場合もあるんだと考えさせられました。
目が痛くなるほど泣きましたが、一緒に観た友人はケロッとしていました。
二度と作れないような映画
高校生の時、封切り当時、一体どれほどすごいのかとにかく見てみようと並んで観ました、映画館はすごい人で立ち見、それも初デート。
予想通りめっちゃくちゃ重い内容、よほどの映画好きじゃない限り、初デートではおすすめしません、でも、メリックの奇形も初めは、おおうってなったが、段々と慣れていき、また、非常に厳しい内容だが、作り方がうまくて、脚本もきちんとエンターテインメントになっていたし、偽善だろうと何だろうと、彼を人間として救った医師と周辺の人の優しさが伝わったし、主人公も必死に生きた、今は悪役も多いアンソニーホプキンスが非常にやさしい医師を演じているし、この厳しい内容の題材を映画として完成させたデビッドリンチはやっぱりすごい才能があると思う。ラストもとても美しくまとめているのが救いか、映画好きなら見て損は無いと思う。
まさかの映画館で鑑賞出来るとは…
上映当初から鑑賞してる人にとっては,感動?懐かしさ?内容の奥深さ?が生まれたんだろう。
当初から観たかったのは言うまでも無い事なのだが、本当に何も知らない状態からの鑑賞になる…。 デビット・リンチ監督作品である事(一寸,あまり例には出さないかなぁ⁇ツインピークスには滅茶苦茶嵌まった思い出が蘇った❗️)と、(あんなに若くてスレンダー&ここ最近,“羊たちの沈黙”シリーズに嵌まっていた)私には,一寸自分の眼を疑ってしまう程の同一人物のアンソニー・ホプキンスのナイスガイ振りと、実話というジョン・ハート演じるジョン・メリックについて色々調べた処…,自らの半生を綴ったとされる小文に「母親が,妊娠中に“五月祭”なる行事で町を訪れた移動動物園のパレードを見物しに行った所,誤って行進して来た象の足元に転倒,強い恐怖を味わった事が原因」だと書かれていたようだが…,その事で,極度の変形や頭蓋骨の増殖を帯びたという事自体を題材にしたデビット・リンチ監督にも、調べれば調べる程,興味を唆られた…。
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