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怪物団 フリークスのレビュー・感想・評価

全13件を表示

3.0この映画を封印するのが良い社会なのか、観ることができるのが良い社会なのか

2025年3月18日
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鑑賞方法:DVD/BD

単純

『フリークス』という題名が直接的すぎて、もう少しどうにかならなかったのかと思う。
日本での初公開は昭和7年(1932)。
そのときのタイトルが『怪物團』である。
なお悪い。
原題にしろ邦題にしろ、こんな題名では封印されてしまっても仕方がないとすら思ってしまう。

監督はトッド・ブラウニング。『魔人ドラキュラ』(1931)を監督して、それまで小説や舞台劇のキャラクターだったドラキュラのイメージを広く世界に知らしめた才人である。
『魔人ドラキュラ』は大ヒットしたが、『フリークス』の方は公開当時から物議を醸し、監督トッド・ブラウニングの映画界でのキャリアに終止符を打ったと言われるほどの問題作になってしまった。

なぜ問題作なのか。
それは、本当に障害のある人たちが多数出演していて、そのことが観客にショックを与え問題視されたからである。
ホラー映画に対する規制が厳しいイギリスでは30年間公開が禁止されていたという。

確かに、出演している障害者の人たちの姿は衝撃を受ける部分はある。
また、作品のテーマとして「自分たちを虐げる健常者に対する障害者の怒りと復讐」というのがあり、それも当時の観客にとってはかなりショックが大きかったようである。
ただ、物語自体はオーソドックスだし、ネットが普及して刺激慣れしている現代人の目から観ればそれほどショッキングな内容でもない。

Wikipediaの出典元となっているクラシック映画情報サイトによれば、そもそも出演している障害者の多くは見世物小屋の花形スターたちで、自分の小屋を持っているような人気者だったという。
そう思って観れば、彼らはみな演技が巧みで非常に芸達者で舞台慣れしている。
そのことも、この映画に対する拒絶感を和らげることに役立ってはいる。

しかし。しかし、である。
何をどう綺麗事で言い繕ったとしても、この映画が障害のある人たちを興味本位で見世物扱いし、あまつさえ笑いのネタにしているというのは事実である。

たとえ、当事者たちが納得ずくで出演していて、見世物小屋のスターとして高収入を得ているような成功者だったとしても、やっぱり現代に生きる我々は彼らの姿を直視することにためらいや罪悪感を感じてしまうだろう。

それでも、自分はこの映画を人目に触れないように封印してしまう社会よりは、観ることのできる社会の方が、まだ風通しが良くてマシなのではないかと思っている。

障害者問題というのは非常にセンシティブで、ともすれば「見ざる、聞かざる、言わざる」「触らぬ神に祟りなし」「臭いものには蓋をする」といった感じで健常者の目に触れないように、話題にも上らないように追いやられてしまいがちである。

どんな問題でもそうだけれど、一番厄介なのは「とにかく波風が立たないように隠しておく」という「事なかれ主義」であり、少なくともこの作品は良くも悪くもそういう「事なかれ主義」に風穴を開けるような存在だと思う。

トッド・ブラウニングには障害者の差別問題を世に問うといった高尚な意図はそこまでなかったと思うが、彼自身がサーカス出身であり、障害者の芸人たちはかなり身近な存在だったようである。
映画の中でトッド・ブラウニングは障害者の芸人たちをサーカスという芸能の世界で苦労しながらもたくましく生きる者たちとして描いており、彼が一般的な良識や道徳とは違うところで障害者芸人たちのことを「観客を驚かせ、楽しませる仕事をする同じ仲間」だと意識していたのが察せられる。

現代的な良識や道徳といった視点に立つと、やっぱり障害のある人たちの中にはこの映画に不快感を感じてしまう人も多いんじゃないかと思ってしまう。
でも一方で、障害のある人たちを聖人君子扱いしたりせず、彼らも健常者と同じように欲望も野心もある普通の人間なのだという視点に立てば、自分も映画に出てみたい、観客を楽しませたい、あるいは芸能界で一儲けしたいと思う障害者の人たちがいたって全然おかしくないという見方も成り立つ。
しかし、事なかれ主義の現代の日本において障害のある人たちが一般的なエンターテイメントの世界で映画やテレビに出演する道はほとんど閉ざされているといっていい。

アメリカの映画やテレビでは、低身長症の人や耳の聞こえない聾唖の人が俳優としてけっこう普通に活躍してたりするが、『フリークス』はその先駆けであり、そういう下地を作る存在だったと言ったら言い過ぎだろうか。

手放しで人に薦められるような映画では決してない。
人によっては「かわいそう」「不快だ」「興味本位でけしからん」と拒絶反応だけで終わってしまうかもしれない。

けれど、障害のある人たちと一緒に暮らせる風通しの良い社会とはどういうものなのか、さまざまなことを考えさせられる映画であり、そういう議論のきっかけになるだけでも存在意義がある映画だと思う。
少なくとも自分は観ておいて良かったと思える一本だった。

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盟吉津堂

3.5映画史上に残る問題作と言われた名作!

2024年6月6日
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鑑賞方法:DVD/BD
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いちごだいふくもち

5.0見世物小屋

2024年5月27日
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怖い

興奮

なんだかんだ小綺麗な理屈を付けても、結局は最初につけた邦題「怪物團」通りのラストシーンこれに尽きる。ザ・フライ2のラストシーンでオマージュされている。

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ブッチー

3.0気持ちがいい作品

2024年4月20日
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ミカ

2.5古いが名作?

2024年4月18日
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様々な障害をもった人がでてくる
悪い女が遺産目当てに小人の金持ちを騙そうとする話
題材は地味なんだけど、もう障害者達のキャラクターがすごくてなんだかんだ食いついて見てしまう
なにより音楽とかのレトロな感じもよくて飽きずに見れてしまった、ただ話自体はありがちで特筆すべきものはないかな?
オチはなかなかすっきり爽快ですけど

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まあ映画好

4.5オリジナル版が見てみたい

2024年3月16日
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あまりにおぞましいシーンはカットされているみたいで残念
去勢されるヘラクレス見たかった
素晴らしいカルト映画でした
結婚式でのクレオの憎たらしさは演技だけど本当に腹立たしい

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承太郎

4.0極めて真面目な映画

2023年5月29日
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TYTY

4.5奇人、巨人、小人の恋物語‼

2022年11月4日
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鑑賞方法:DVD/BD

『フリークス』は、おそらく歴史に残る「カルト映画の始祖」だろう。
古い映画らしく演出は稚拙だが、小人症、両性具有、シャム双生児など、登場人物が刺激的で、ストーリーを気にする暇もないほどである。
このように、片輪や生来の身体障害者を昆虫のように撮影しながら、その中で奇形者への深い愛情を感じることができる。
この映画の出来は傑作の域に達しているだろう。
しかし、この映画は、狂気の挑戦としか言いようのない、類例の少ない、妙に痛快でスリリングな映画なのである。

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茂輝

4.0これこそが映画だ

2022年6月1日
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こんなにも分かりやすく
そして純粋なメッセージが込められた映画

だけど今だと
倫理的に厳しいのか??

泣いてしまうほど
あまりにも酷い物語
その先には復讐が待つ
ストーリーとしてもおもしろい。

ほんとに心底
胸が締め付けられた
映画ってこういう事だよなあ

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JYARI

3.5注意! シネマヴェーラでのフィルム上映(2021)はラストの●●女シーンがカットされた規制版です!

2021年8月9日
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鑑賞方法:映画館

シネマヴェーラで『フリークス』が、それもフィルム上映でかかるというので、行ってきた。
旧盤のDVDを観たのもずいぶん昔で、いろいろと忘れている部分も多い。
そう思って楽しみに足を運んだのだが……。

なんか、これ尻切れトンボなんですけど??
ラストで馬車の下から「彼らが迫ってくるシーン」でぶつっと終わって、唐突に1秒くらいラストクレジットが出て上映が終わっちゃった。
あれ、こんな話だっけ???

最後の、ハンスとフリーダが再会するシーンは、カットしたバージョンも存在することは知っていたから、そこはなくても仕方ない。
でも、ショートバージョンでも終わり方は、そこではないはずだ。
俺の記憶では、冒頭のシーンで隠されていた「見世物」の正体が明らかになって終わるはず。
これ、あきらかに最後の最後、途中できわめて乱暴に切ってあるよね?
これだと、冒頭のシーンにつながらないから、なんのことだか本当にわからないじゃん。

かなり古いタイプの字幕が焼いてあったから、ずいぶん古いフィルムであることはわかる。
台詞を字幕で追えていない部分もある、今から見ればまあまあ杜撰な仕事だ。
フィルムの状態自体も、DVD版に比べても圧倒的に悪い。見づらいくらいに荒れている。
……でも、それは予想の範囲内だし、それも込みでフィルムで観るのは楽しいものだ。
だから、わざわざ足を運んでいる。

でも……、肝要なラストで欠落があるのは、さすがにどうなのだろうか?

それがフィルムを逸失したせいなのか、もともと日本上映時に自己規制でカットされてしまったせいなのか、僕は知らない。せめて、これを上映するなら、やっぱりパンフなりHPなりで、「かれこれこういう理由でラストシーンが欠落しております」って、ちゃんと書くべきなんじゃないのかな??
シネマヴェーラの常連さんのあいだでは、日本で使い回されてる現存フィルムは、そういう状態のものだってコンセンサスがもうできあがってて、新参者にはわからないで良いってことなのだろうか。
「上映時間59分」とあって、通常版の64分より5分短いことで察せよ、ということだろうか。

いや、自分も仕事でしょっちゅうミスして、メールでカスタマーからお叱りとかいただくんで(笑)、これだけ良い映画をいつも流してくださるシネマヴェーラさんを責めるつもりは毛頭ありません。
でもこれ、もともと現存版はオリジナル版から30分近いカットがある(すでにカットした部分は永久に喪われたらしい)うえに、ラストに何バージョンかある映画だって知られてるぶん、「残虐シーンをカットしたから、こういう状態になっちゃったのかな」って納得しちゃうファンも、絶対いると思うんだよね。
これからご覧になる皆様は、ぜひお気を付けくださいませ……。

※ ※ ※

映画としての『フリークス』は、きわめて端正でノワーリッシュな復讐劇であり、100年近く昔の映画でありながら、驚くほど古びていない。
むしろ、過去に監督のトッド・ブラウニングがキャリアを絶たれたり、大きな訴訟になったり、イギリスで30年放映が封印されたり、いまだにテレビ放映がなかったりといった、数々の「タブー視されてきた歴史」が不思議に思えるくらい、まっとうで「ポリティカル・コレクト」な映画である。

試みに、これが「フリークス」が主人公ではなく、「黒人」が主人公の「オセロ」的なノリの映画だったり、「ドワーフ族」が人間族にたぶらかされるファンタジーだったりすれば、「同じ筋、同じオチ」の映画であっても、そこまで衝撃を与えもしなかったろうし、叩かれもしなかったろう。
結局は、「見世物小屋」という「光と闇のあわい」で生きてきたフリークスたちを、銀幕に焼き付け公の場に市民権付きで持ち込んだことに、当時の人が拒絶反応を示したということではないか。

もちろん、本作がある種のエクスプロイテーション・ムーヴィーとして成立していることは、否定できない。僕だって、ありし日のミゼットプロレスが大好きだったし、障碍者プロレスの世界を描いたドキュメンタリー『無敵のドッグファイト』(93、天願大介)も封切りで観に行った人間だ。そういう人間にとって、『フリークス』は福音のような映画だ。なにせここに登場するのは小人症の人たちだけではない。ありとあらゆる「名高い」フリークスの皆さんが登場する。ピンヘッド、ハーフボーイ、シャム双生児に、髯女、半男半女……その他、多士済々。博物学的なキャラクター群は、誤解を恐れずにいえば、間違いなく「目に楽しい」。
そこは認めざるを得ない。

でも、これは間違いなく「前向き」な映画だ。
本作に登場するフリークスたちが、その形状の特性を武器に、ショービジネスで大成功を収めてきた超有名人たちであったことを、我々は決して忘れてはならない。
彼らはそれを「天から授かった個性」として、前向きに映画に出演し、その芸と特異性のすごさ、すばらしさをフィルム内でも存分に披露しているのだ。
そもそもトッド・ブラウニングは、若いころ自らカーニバルの世界に飛び込んだという、仲間意識としては明らかに「あっち側」の人間である。彼のフリークスたちを観る目は、どこまでも優しく、驚くほど対等でフェアだ。
作中での扱いにおいても、彼らは血の通った「ふつうの人間」として、ことさら特別視されることなく描かれている。だから、観ていて「今の時代じゃNGだろ、これ」ってシーンが、ほんとに「なにひとつ」ない。
物語の本質にかかわらない部分では、カーニヴァルにおける彼らの日常生活や友情、なにげないやりとりが、愛情豊かに描きこまれる。
天使のような部分も描かれるし、恐ろしい部分も描かれるし、何より人間としての豊かな感情が描かれる。
たしかに、雷雨のなか、馬車の下を無数のフリークスが這い寄ってくる終盤のシーンは映画史上に残る「怖さ」かもしれない。でも、あれは「弱者故の連帯」が生んだ結論であり、「少数者の誇り」故の聖なる反撃である。観客の胸は恐怖に震えると同時に、ついにやってきた処断の時に高鳴りを抑えられないことだろう。
総じて、『フリークス』は、障碍者と健常者が出てくる、ごく当たり前の愛憎のドラマであり、障碍者であることを軽んじた人間が応報の末路を迎える、胸のすくような復讐劇である。
あるいは、弱者を食い物にしようとする強者を、弱者が連帯して対処する、しごく正統な勧善懲悪譚である。
健さんの任侠ものや、必殺や、『狼よさらば』でしびれられる人間なら、これにだって、ふつうにしびれられるはずだ。

もう一点、本作を「ノワール」の先駆と位置付ける視点も、ここでぜひ強調しておきたい。
ファム・ファタル(20年代後半の映画では、この手の悪女は「ヴァンプ」と称された)が登場して、情夫とともに旦那の殺害を計画し、思わぬしっぺ返しを受けるという展開だけを観れば、本作は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(小説は1934、ジェイムズ・M・ケイン)に2年先行する、まごうことなき「ノワールの祖型」に則った作品であり、正しくその「カーニヴァル×ノワール」という要素は、『ナイトメア・アリー 悪夢小路』(小説は1946、ウィリアム・リンゼイ・グレシャム、映画化は今回シネマヴェーラでも上映される『悪魔の往く町』、1947、エドマンド・グールディング監督)へと引き継がれてゆく(ラスト・シーンの因果応報な感じなど、グレシャムが本作を意識しているのはほぼ間違いない)。
諏訪部浩一氏は、ノワール小説というのは、30年代の大恐慌の時代に誕生し、社会的弱者を描いた、そもそもは社会批判的な性格を持つジャンルであったことを強調している。
そう考えれば、『フリークス』はまさに40年代フィルム・ノワールの先駆けといっていい作品なのではないか。

ホラー・ファン、カルト・ファン以外にも、ぜひ機会を見つけて観てほしい映画である。

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じゃい

4.0今じゃ絶対つくれない。

2020年8月29日
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鑑賞方法:映画館

今じゃ絶対つくれないけどリアルな俳優さん達だからメッセージが際立つ。みな同じ人間なんだしハートだよ、と。

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peanuts

3.0本物

2019年11月12日
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Keita