エドワード・ヤンの恋愛時代のレビュー・感想・評価
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共感出来ないのに共感出来る
近代的な台北の街を舞台に繰り広げられる恋愛群像劇、と言われたらそう...
観たかった度◎鑑賞後の満足度○ 【今から見ると恋愛時代というよりもアジア(中国)の時代を先取りした映画だったように思える】
①製作年度の1994年というと日本ではバブルがはじけ、それまでのアジア一の経済大国から転げ落ち始め、その後30年以上這い上がれずに現在に至っている。
一方、中国(大陸)は改革解放政策により此の頃から経済成長が一気に進み、台湾も堅実に経済成長を続け、更に続いて(より安い労働力を求めて日本のメーカーが生産拠点を移したという恩恵も有るけれども)シンガポール、タイ、ヴェトナム、マレーシア、インドネシアも経済成長が進んでいく。
是等の国々にとって最早日本は「かつての金メダリスト」(昔は凄かったけどね)という認識らしい。
②そういう台湾の経済成長を背景にして、この映画の中心をなす若者達は、中流階級から富裕層までの所謂生活(衣食住)には困っていない者達である。
財閥の娘から一流かどうかは分からないけれども其なりの会社の社員たち、一応成功しているらしい映画監督等々。
生活の心配がないから勢い彼らの問題・悩みは、恋愛問題・男女関係・人生の目的/意味の追求・生き甲斐といったことに向けられる。
豊かになった国の若者(年配者もそうかもしれないが)は大なり小なりこういう問題を抱えることになるけれども(格差の問題はまた別の話)。
③映画の冒頭部分は主要キャラクターの関係がよく飲み込めなく戸惑う。
約30年前の台北の景色
90年代的ドタバタ群像劇の中にエドワード・ヤン節が差し込まれてくる...
90年代的ドタバタ群像劇の中にエドワード・ヤン節が差し込まれてくる。タイミングや角度もバッチリ。またテーマも軽薄な人物の入れ代わり立ち代わりと見せかけて 孤独 人の関わり 幸福 未来。現代も全く古びることのない生きづらさを全面に叩きつけてくるようだ。素晴らしい。なぜエドワード・ヤンは見始めてすぐエドワード・ヤンとわかるのだろう。相米にも感じるけど。それが巨匠か。
惜しかった……
1990年代の台北の人間模様。 都会的でもあり生活臭もあり、人々が...
揺れる映画、例えばエレベーターは、、、
1994年。エドワード・ヤン監督。経済的に急速に繁栄する台湾社会。そのなかでメディア企業を経営する財閥の一人を中心に、家族や友人たちの恋愛模様が描かれる。それぞれ強力なキャラクターを持つ複数の、しかし閉じた世界の住人たちの姿が徐々に浮き彫りになるだけでなく、それぞれが関係性を変えていくのがすばらしい。「見た目」や「ふり」を気にする人たちと、それに対して「真実」を求めてしまう人たちが、そのキャラに固執するのではなく、揺れ動く。その揺れ具合がすばらしい。ぐいぐいと引き込まれます。物語(とくにセリフ)と映像(光)の吸引力がすごい。多様性に向かって開かれていく喜びがあります。
例えば、エレベーター。もちろん上下に運動して目的のある男や女を目的地まで運ぶ箱なのだが、それだけではなく、箱のなかでは男女の痴話げんかもあれば、入口でのすれ違いもあり、乗りたくないのに乗せられてしまうこともある。または、到着音だけで喧嘩別れした旧友が来てくれたことを察知したりもする。そしてすばらしいラストシーンで再び出会い直す男女。なんてことだ。車があれば、といった人はいたが、エレベーターがあれば、映画はできるのだ。
政治や社会も含めて台湾社会の現在を鋭く切り取っているのに決して古臭く見えないのはカメラワークや科白回し、そして編集全体がしっかりしているからだろう。流行に合わせて「わかるよね」という妥協をせず、映画作品としてしっかり自律している。例えば、中心となっている無垢で真摯な、それだけに悩み深い女性が明らかにヘプバーンを模倣しているなど、映画史への参照。水面を反射した光や電気のない部屋に漏れてくる外のもやっとした明かりなど光への感性。これは「映画であること」へのまぎれもない刻印だ。いかに現代台湾の風俗に言及していても、決して時代に寄りかかってはいない。
こんな映画がまだ未見で残っているのだから、世界に絶望するのは早いと思える、幸福な映画体験。
ラストがとても良かった
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